第二十四話・田舎における我儘 ⇨ 私の田舎嫌いの理由
最初は嫁ぎ先の話から。人口の少ないいわゆる過疎地での話です。
いきなりですが昔の葬式はどこでも家でしていました。しかし現代はそうではありません。でも人口の少ない田舎では新しい習慣が仕入れられることなく、その風習がまだ生きています。私はちょうどその時代の終わりかけに嫁にやってきたので、最初の数年間は葬式というと、平日の二日、仕事を休んで手伝う羽目になりました。土日にかかっても結局は二日つぶれるわけです。
まだよく知らぬ人の家に入って、古株の人の指示に従ってお茶出しをしたり、お酒(田舎の葬式は昼間からお酒を飲む)を温めたりついでまわったりします。この習慣にはなれなくて私は葬式の手伝いを要請されると仕方なく「我慢」 していました。
特に田舎では三十代後半でも若嫁さん扱いで、お皿洗いはいいから表に出て弔問客にお酒をついでまわりなさいと言われるのがいやでした。私はお酒を飲む人がいない環境で育ったので酔っぱらいの扱いがわかりません。ビールの注ぎ方も知らなかったのですが、あれって結構難しいですよね。私は泡ばっかりのコップを弔問客に勧めたりしました。
やがて数年後には葬式自体は家でしても、弔問客の食事は家ではなく公民館でしてもらうことになりました。つまりお皿や座布団の貸し借りはなくなったということです。昔を知る人は本当に楽になったと喜んでおられました。
田舎なればこその話で昔は今のように交通が便利でなくて、車がなかった時代の話です。席順まで決まっていたとか、いやはや……その時のよもやま話でびっくりした話もあります。七十代の人たちの話。昔夜に部屋で一人で寝ていたら誰かが夜這いに来た話を笑顔でされている。夜這いは、予約もなしで寝ているところを訪問される。そして身体を……信じられない。思い切り犯罪じゃないですか。
驚いた私が帰宅後に義父に聞いてみると「あったよ~みんなで遊びに行ったりしたよ~。気に入らない男が来たらお前は帰れと女から水をかけられたりする」 と楽しそうにいうので再度びっくり。夜這いなりにルールがあり、決して無理やりなことはなかったらしいですが私にはついていけなかった……私は平成の時代に嫁にきて本当によかったと思いました。
変な横道にそれたので戻します。
さて私が書いた小説、「私はこうして田舎が嫌いになりました」 という作品ですが、これは実話と創作が混在しています。双方の関係者が故人なればこそ書けた話ですが、故人であるとはいえ、義父の話でもあります。作中の主人公の妻に吐かれた「あなたが我慢すればよいのに」 という一言は実は私が実際に相手方の姪ごさんから言われた言葉です。
良いお嫁さんであろうと思っていたのですが、皆の前で言われたその言葉で私は我慢の糸が切れました。その人はある理由で女性ながらムラへの発言力が強く、頭の回転が良い人だと思っていたのですが、やはり例の人の血筋でわがままな人でした。私は即座に反応しました。
「この常会の状態を知っていてもなおそう言うのですか。痴呆のある会員さんや気に入らぬ会員を公然といじめ、無視し、注意すると私にも暴力を振るう。自分の気に入らぬ話題や議題には言葉で乱入して自分の好きな話を延々と続ける。人の嫌な話には特に目を輝かせて続ける。個人的にも義父の畑にも薬品をまくような夫婦。警察にも通報していますし、これはもう私さえ我慢すればという話ではないのですよ」
それ以降私は田舎暮らしを継続していますものの、当人が役員としてかかわっている常会や区会、婦人会はすべて活動をやめました。私は「あなたさえ黙っていればこの常会がうまくいく」 発言がどうしても許せなかったのです。
たった一人のヒステリックな老婆の言いなりであったその常会。その人がいないと「あの人には困ったわねえ」 と愚痴をいいあう常会。その老婆はすべてにおいてケチをつける天才でした。ムラの公的な出金、ムラの行事のやりよう、その人が介入するとすべてがややこしくなる。思う通りにならぬとヒステリックに同じ言葉を吐き、謝罪を求める。私は新入りで入会してその異常さに唖然としました。
大体私との初対面で「大卒だそうだが威張らぬように」 って訓示を垂れる神経からしておかしいです。「そんなことしません」 というと「それを威張っているという。その態度が気に食わない」 ですよ。ケンカ売っているわけではなく、本人が真面目にいっているのが驚きでした。まわりはその人がヒステリックにわめきだすと、そっとその場をはずしたり、黙りこくって興奮をおとなしく待つ。コレ、私にとっての異世界でした。
なぜすべてにおいて、介入したがるのだろうか。
古株の人たちが、困った人だといいつつも、好きなようにさせてきた結果がコレです。世界一面白くない常会が誕生していたわけです。他の常会は仲が良いところだと花見や遠足などもあったと聞きますが、その例の老婆がいるところはそんなものは一切ありませんでした。常時誰かがイヤな思いをする常会など機能している方が不思議です。
公民館の掃除中は自分だけの好きな演歌を大音響で流します。私がうるさいと思って切りますよというと発狂したように怒る。胸をつきとばされたりもしました。私が理詰めで問い詰めると答えられず「私の夫は元警察官だ」 と怒り出す。あきれた私が「またですか? それがどうかしましたか? 私の親戚にも警察関係者がいますけど、それとは関係ないでしょう」 というと背中を向けて黙りました。が、言いなりになる手下には私の悪口三昧だったと思います。
あるときその人がいないときに大雪のために今月の公民館の掃除はやめましょう、ということを決めました。するとそれが気に入らなかったのか「掃除は皆の義務なのに休むなんてなんという非常識なことをするのか、あやまりなさい」 といいます。不在時に決められたことはなんでも反対します。その時も鬼の首をとったように、私たちに手をついて謝れといってくる。
ヒステリックにわめきだすと誰も止められない、そして非常識なことは百も承知で誰もが嵐が収まるのを待つように首をすくめて立ち尽くしている状況。みなこの老婆を恐れていました。私はそれが不思議でした。ただ一時間以上も罵倒されているのに誰もが帰らないという異常な状況。これもこの老婆がいなくなると私を慰めるのだろうなと思いました。
うんざりしていましたが私はその場を収めるために「あなたの不在に決めて悪かった」 とだけ言ってその場をおさめました。私が頭をさげると満足したようで「次から気をつけるように」 と訓示をたれる。異常事態ですが、誰も文句を言わない。しかしそういう私も婚家先に迷惑をかけるといけないという縛りにあって、行けば必ず不快な目にあう常会に参加していたのです。古い人間が我慢しているのに、新入りの立場の私が常会の体面を壊してはいけないと思っていた。
つきつめればどういう些細なことでも、その人が不在時にはどういうことでも決め手はいけないということ。地主でもなくどんな地位にもない、一介の常会メンバーにすぎぬその老婆がなぜそこまで権力を持つのか、私は今でも不快に思います。老婆は皆が持ち寄ってきた漬物などを先に試食し「あんたの家の者が創ったものはおいしくないので皆の前には出せない」 という始末。私が持ってきたものもそういわれました。ばかばかしい。私は平気で切ってだしました。老婆が私をにらんでいたのも知っていますが、他のメンバーからは引っ張りだこですぐに消えてなくなりました。
義父母やほかのメンバーからの聞き取りである程度の考察ができます。幼少時の家への劣等感が警察官と結婚することにより払しょくされ、威張る立場にいると勘違いしているのではないかという意見が有力でした。かつ昔からの古い常会メンバーは、温和で事なかれ主義の人が大変多い。平和を好み、乱れを嫌い、多少不満でも従順であれば、楽しく「やり過ごせる」 ことを長年優先させた結果です。つまり突出した人間が意見をいうと「そういうものか」 と靡いてしまうのが慣例になってしまった。
そういうわけで常会を束ねる区長さんでさえも「あのバアさんには、はいはい、といっておけばそれでいいから」 という始末です。ばかばかしい……とにかくそういう常会でした。他のメンバーはあの人が興奮するといつまでたっても帰れなくなると困り顔です。でも常会は入っておいてくれ、と義父母がいうので、仕方なく入っていましたが私は当人の姪ごさんのその言葉でキレたわけです。
その姪ごさんは、新婚当時から常会の当人に理由なく生意気といわれて通常の会話が成立せず、困った私が相談にいっても「私は関係ない」 の一点張り。そのあげく、私を責めるわけです。つまり常会がうまくいかないのは、老婆のふるまいが原因なのに私に我慢を強いるのは納得できない。 「うまくいかなくなったのは私のせい」 となぜ断言できるのか。
かくしてムラの慣習を破って新入の私が、一方的に脱会したわけです。その上で私は当事者の相手方の出す葬式には出ませんでした。これは田舎の流儀では、究極のわがままということらしく、話題になったようです。老婆夫婦が義父の田んぼに薬を捲いたことで警察が絡んでいるのもご存じのはずですが、田舎では警察にかかわることもハジ、されたことを騒ぐこともハジになります。現に被害者たる義父はそうでした。私が今後子供たちにも支障がでたらどうするのですか、と叱咤して警察に相談、報告しました。記録に残っています。
この件では、事情を知っている人は私の行動に納得していただいています。しかしながらこちらの葬式にはまたトラブルが出ました。それば当事者の老婆(以下、某とします)が常会メンバーだから手伝う権利があるとばかり、家に押しかけてきたからです。確かに常会メンバーが葬式を出すと通常は手伝っていただくことになりますが、前述したように警察がらみの話もあるので、遠慮してもらいたいとは常会長には言っておりました。(追記になりますが、常会長は年ごとに順番に変わります。)
今年は私がそれを言っているにもかかわらず、某は押しかけて葬式の受付を手伝おうとしました。私は拒否し、出て行ってほしいといいました。
するとなんと常会長が私を諫めてきます。常会全体で手伝うのが決まりで誰かが欠けてしまうとこの田舎ではすぐにわかる。不仲だとわかると常会の名前が落ちてしまうので受付ぐらいはいいではないかという。その常会長の母親は加齢による痴呆が少し出てその某が「邪魔、ボケて役立たない」 等と公然とバカにされていたこともあって怒っておられたこともあるのに、いざとなれば、表ではこんなふうにいう。
例の姪も当然のように手伝おうとしています。私は出て行ってほしいと告げました。田舎の流儀に関しては私はまったくの部外者であり、ここのやり方を守ってほしいと説教される立場になりました。喪主である私の夫はこの時は不在で、葬式会場に出払っていました。残っていたのは私だけだった。
葬式後、この話を常会長から夫が聞かされ、夫は困った顔をしていました。私は「田舎はこうだからイヤ」 と怒るし、夫も本当はこの当事者の老婆が大嫌いですが、田舎の流儀は重んじるという男。受付ぐらいいいじゃないか、騒ぎを起こして後々まで話題にあがるのも困るよといいます。すんだことは仕方がないがもうちょっと大人になって、と言ってきたので私は落胆しました。
この老婆の扱いに関しては結婚当時からいろいろと問題で、年をへた今でも私は納得していず一時は離婚話まで出ています。大体初対面の挨拶で「大卒の人は云々」 と説教する人の神経が私には理解できません。
田舎は対面を重んじる人々が多い、それと日本人独特の思想になると思いますが「調和、平均値」 を好むと思っています。田舎では特にこの傾向が顕著です。予定調和というか、突出した思考や行動は嫌がられるということです。伝統を重んじるということでこれは美談にもなります。しかしこれが新入りにはキツいです。昔からの伝統に従え、はよいですが、昔から皆がそうして、
「皆が我慢してきたからお前も我慢しろ」 ⇔ 強調しておきます。
はキツい。
老婆の後日談というか、先日の話も書いておきます。夫が常会での配達物を届けに行くときに、その某の郵便受けに雪がかかっていたため、車に積んでいたシャベルで雪をどけて配達物を渡してあげたそうです。すると、次回の降雪があったときに夫に電話がかかってきて当然のように「雪が積もっているので今から玄関の雪かきをしにきて」 といってきました。
自分の言いたいこと、やりたいことは善良な村人の困惑を強引に押し切り、人の嫌がる話ばかりして、それでいて何かをしてもらって当然で命令するようにお願いしてくるその神経にびっくりです
今までの亡き私の義父やその老婆の亡き夫がしたことを思えばそんな電話をかけられるかということです。話してくれた夫もさすがにあきれる思いだったのでしょう。私はその話を聞くなり言いました。
「あなたたちは某が一種の人格障害でもあるというのに気づかないんだ。あなた、それでも、常会としての体面の維持をするために某のわがままに付き合うのは美徳でもなんでもないよ」
こういう私に対して生粋の田舎育ちの夫の返事は以下の通りでした。
「いや、あの人が常会の一部を破壊したのは事実だが、あの人ひとりにひっかきまわされたということを知られるとそれも常会のハジになる」
へええ~~~~、別の遠く離れた居住区の人からも某さんが常会にいて大変だなあと言われるぐらいわがままで有名な人なのに、そこまでかばうか。
現在、老婆は一人暮らしです。昔から長男のお嫁さんが気に入らず、直接の知り合いでもない常会メンバーにさんざん悪口を言っていたので、見事お嫁さんは同居していない。というか、あんなのと同居できたら人間じゃない。人の悪口を好み、身内や仲間を攻撃する人の老後はそんなものです。
雪かきをしてもらって当然とばかり電話で依頼してくるのには驚いたのですが、それがその性格からくるもので、恥知らずと罵るのは簡単ですが、やはり病的だなと思えば哀れです。
夫の言い分は田舎育ちならではの思考から来ていると思っています。日本の社会はそんな人間でも落ちこぼすことなく、陰口を聞きながらでも仲間に入れて機能させてきたのだな、と思います。すべて性善説からきていますね。外国人の受け入れもなんとか友好的に、と思う人が多いので、いつの日か日本は容易に乗っ取られるのではないかなあと思っています。
」」」」」」」」」」」
私が常会を脱したこと自体は気持ちはわかるがムラ社会に逸脱した行動ということになっています。夫からはお前は年を取ったら苦労するぞ、とは言われています。常会から抜け出した人間は昔なら生きていけなかったとまで言われています。そうなんですか……。
夫は田舎育ちなので田舎の人間関係に辟易はしていない。こういうものだと思っている。隣人とは仲が悪い人もいる、面と向かっては何も言わないが悪口を言い合う人もいる。だけどそれを上手にやり過ごしていくのが人の道だと。だから感情を素直に表す私はわがままなのだと。こんな厳しい自然の中、車がないと不便な場所、年老いて運転ができなくなったら誰に頼るつもりかというのです。
……そういうわけで私は年を取ったら土地勘のあるところに新たに住居を構える予定です。老後はもうすぐ来るのでぼちぼち用意をしておかないといけないな、と思っています。
私は今でもはっきり言えます。田舎の自然は良いが田舎の人間関係はクソです。面と向かっては何も言わないのに、姿がみえないときは「あの人は……」 と言い合うのが一体どこがいいの?
私は同じ田舎育ちでも若いお嫁さんと話す方がよほど空気の通りがいい。ネット世代の方がわかりやすくていい。古い世代、昔はよかったという世代は田舎の狭い社会で息をしていた人特有の悪臭がある。息苦しい。私は田舎の自然は好きですがそういう人間関係が本当に苦手です。このたび田舎嫌いの小説を書いたことも後悔していません。テレビに取り上げられたこともあり、これで正解だったと思っています。