第二十三話・余計なお世話
欧米では意見を言わないと非常識。しかし日本では意見をいうと非常識。黙っているのが一番賢い。
今回は私なりの社会観を書いてみました。何も言えない、やめて、といっても鼻で笑われる……何もしてないじゃん、思い過ごし、聞き間違いじゃないの、って言われるいじめられっ子時代……つまんない子供時代を過ごし、夢見ていた大人の社会もまた、いじめはちゃんとありますね。
しかし常識がある人々が集う社会は大変生きやすいです。個人的に非常識なクレーマーなどを相手にした経験を経たうえで話しますが、大人社会だって子供社会の延長でえらくともなんともないですよ。お金や地位、性が絡んでくると子供社会よりもなお複雑化しますってことです。あと、弱い犬ほどよく吠えるということも、実感はしています。
というのは、身近な家の話をしっているからです。
そこは娘さんの家庭内暴力に悩まれていました。正確には暴力ではなく、暴言。外見上は優しそうないつも笑顔な娘さんですがご両親に対してだけは「こんなところに生まれたくなかった」「早く死ね」「なぜ私を生んだのか」 と同じ言葉を延々と罵倒します。時には興奮しすぎて家族に対して暴力を奮う、家族内の話なので被害届などとは無縁で、そのご両親もまた世間体を大事にする人間でした。
家庭内暴力(暴言)は本当に種々の問題があります。当人は中等部ではいじめっこで、その母親がいじめられっこの家にまで謝罪に行きました。高等部では逆にいじめられて、毎日泣いていたそうです。個人的には当人の二面性のある性格が問題だと思うのですが、「どうしてあんなふうになったのか」「どうやったらあの暴言がなくなるのか」 とその親御さんから愚痴というか相談されても返答できなくて困りました。
「なぜ私を生んだのか」 というキーワードで家庭内の葛藤があるはずですが本来ならば心理学に通じている医師などと家族面接を重ねて原因を探る案件です。しかしそれ以前にまともな会話ができないので、そのままです。何時間でも声がかれても暴言で親を責め続けるのは当人にとっても地獄でしかないはず。気分を楽にするためにも心療内科受診を一度試しにしてみたら、ということを親御さんごしに伝えたら怒ったそうで私は当人にとっては余計なことをしたわけです。
相談はされても家庭内のことは介入が大変難しいです。モノを壊したり、危害を加えて実際にケガをさせたなどということがあれば逆に行政側も介入がしやすいですが、暴言だけでは動けません。
家族面接を経たうえで家族関係の見つめなおしが必要かとは思いますが実際やるとしたら膨大な時間とお金がかかります。何よりも当人の協調がなければ成立しえないと、結果もゼロで終わってしまいます。
家庭内暴力(暴言)の果て、双方とも老いてくるとなると、この手の人はお金に執着することもあります。家庭内でのお金のトラブルも結構深刻です。相談内容によっては警察案件じゃないか、と思ったりもしますが世間体という縛りがあり、結局行政側も何もできないということもありました。
そういうことも経験していますので私は「家族とはなにか」 と思います。単なる血縁を貴ぶのはもはや古いのではないでしょうか。医療職として守秘義務がありますので他言はしませんがかわいい子供にDVや虐待をやらかす人もいました。病気と片付けられたら楽ですがなかなかそうはいきません。
家族は国を形作り最小単位の集まりだと思っています。しかもその集まりは血でつながっていたりします。親子という意味ですね。その過程は一般的には大切にすべきだとされています。
最近そのタブーが緩和されて「親を敬え」「年寄りを尊敬しろ」 という瘡蓋がだいぶはがれてきたように思います。親孝行などもうあと少しで死後になりますですよ、今回はそんな罰当たりな話です。
それとついでの話。例の相談者の娘さんには恨まれてしまいましたが、心療内科受診は恥ずかしいことでもなんでもないです。しかし普段から心療内科、精神科になじみのない人、医療に普段は無縁の家庭にとっては見えぬ高い壁があり、受診自体がみっともない、ハジだという感覚があるようです。もっと早くに受診してくれたらよかったのに、という精神科医の嘆く症状の人を病棟で見たこともあります。自分でおかしいと思って受診する人は重症ではないし、悪意で勧められたとは思わず、相性のいい精神科医に会えたらラッキーと受診してくれたらいいなと思います。心療内科や精神科は別に恐ろしいところでもなんでもないです。よい医師との出会いがあれば逆になかなか予約が取れないと愚痴るようになります。
何も言ってもらえぬ人間は、相手にされてないということ。しかし介入自体が余計なお世話をすることになります……按配が難しいです。




