第二十二話・ダークヒーローの話
この世にはヒーローならぬダークヒーロー、アンチヒーローも多いです。たとえるならば年齢など関係なしで誰もが知っていてわかりやすくて人気があるのはアニメのルパン三世かな。明るくて楽しいストーリーで、登場人物の全員にそれぞれファンがついているかと思います。ルパンの職業は一応泥棒であっても、です。正義の味方という形容詞のつくウルトラマンやスーパーマンとはまた違った位置づけです。
ルパンの他にも無免許の天才外科医のブラックジャックなどもそうです。探してみると結構います。ライトノベルには多いのではないでしょうか。社会的な縛りに囚われずマイルールを貫いた行動をしているのに、結果的には人助けになるというカッコいい人間。
古典ならば鼠小僧ですね。彼は江戸時代に実在した泥棒ですが、金持ちばかりを狙い貧しい人々には盗んだお金を分け与えたということで義賊というか英雄扱いされ当時の歌舞伎などの題材にされています。実際はそういうことをしてはいなく、ただの泥棒として捕縛の上打ち首になりましたが、話が広がり、徒党を組まずただ一人で身分階級をモノともせず金のある大名屋敷目指して盗みに入ったことから英雄視されています。つまり反権力の一種の象徴ですね。俺たちの仲間がお上に対して一矢報いたぞ的な。
通常ならば犯罪を犯した人間は一般社会では軽蔑されます。穏やかに真面目に働いて生きている人を脅かすのですから当然です。だが現時点では刑罰を終えてもまた犯罪をするのではないかというやはり恐れというか偏見があります。私は人生はやり直しはいくらでもきくと思っていますので、そのあたりのいわゆる真人間を迎え入れるというか啓蒙は必要かとは思います。そして犯罪にはならないが性根の悪い人間はいくらでもいるので、周知された犯罪者だけを恐れるのはおかしいと思っています。
しかしそれが小説、映画、アニメなどになるとその感情がかなり緩和されます。今回はその話。
心理学的な話に触れますが、反社会的な人物が出てくる架空の小説や映画作品として対峙する場合は、受け手、つまり読者や視聴者は、その反社会的人間を意識的、無意識的にかかわらず
「登場人物を間近に見て」
↓ ↓ ↓
「よく理解してあげよう」
↑ ↑ ↑
とするそうです。これは一種の性善説にあたると思っています。
故に犯罪告発の意図の有無に関係なく、娯楽としての犯罪小説や映画の出来がよく、齟齬がなければヒットします。またその役をした架空のキャラクターや役者さんにファンがついたり尊敬されたりもします。
人生は思い通りにならなくてあたりまえ、日常生活で鬱屈した不満や感情を抱えて暮らしている読者や視聴者は、犯罪者、時には連続殺人犯に対して「好きなことを発散した人間」 という心理に同調して己に照らし合わせて開放感を味わうというのもアリだと思います。
同調するあまりに、似たような犯罪をしてしまう人間やアイドルの自殺後の後追いなどは残念なことですが、先に書いたような心理の酷似になると思います。
ダークヒーローで有名な殺人者といえば、私にとっては架空の人物であればトマス・ハリスが創りだしたレクター博士になるでしょうか。彼は連続殺人犯で殺した人物を食べたりもします。もし実在していれば、大勢の人に憎まれているはずが、逆にファンが多いです。架空の犯罪者だし小説の中の登場人物なので日常生活でその話をしても「そうなんだ~」 で済まされるのが小説のいいところだと思います。
創作上だと犯罪者であれ誰が好きと何人でもあげれるのも小説や映画のいいところです。むしろたくさん数をあげられるほど話題も増えるし良いと思います。そういう意味では架空の悪人もまた存在意義はあると思います。
しかし実在する悪人は被害者やその家族にすれば、生きているというだけでつらい思いをすることになります。私は過去年配の刑事さんとあることで知り合いになりました。彼はテレビドラマは安易に殺人とヒーロー化した刑事を出しすぎると言いました。
刑事の仕事はカッコいいどころかカッコ悪いものであること、何度も写真や画像を見比べることが多く目を悪くすること、定時に帰れなくて家族に寂しい思いをさせること、何よりも被害者感情を思えば安易なことを架空でも書かないでほしいと……なんでも現場にいる人のいうことはその人にとっては真実です。
彼は被害者やその家族の嘆きを直に知っているのです。その重い言葉に私はショックを受け、安易に「殺人モノは楽しいです」 といった己を恥じました。その刑事さんは私が小説を書いていると知って釘をさしたと思っています。なので私が推理モノを書くとしたら現場現役の刑事さんもよいものを読んだといってもらえるような作品を書きたいと思っています。
◎◎◎第二十二話のまとめ◎◎◎
ダークヒーローに存在意義あり。