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第二十一話・人間関係は穏やかで優しい方が悩むと思う

 相手のたった一言を心の中でリフレイン、もしくは反芻して悩む。人によっては悩み過ぎて病む。かなり漠然とした書き方ですが、気楽に書いてみます。

 己の人生を照らし合わせても、五十年以上も生きていればまあ心情的にあの頃は嵐だったなと感じることもあります。人間関係においては私は上手に乗り切ることは下手でした。感情を抑えてまわりに振り回されていると思いつつも、素知らぬ顔をしてやり過ごすのが思春期の大半でした。だから私は人生の前半は死んでいたような感覚がします。

 小学校がいじめられっ子だったので心配した親は中高一貫の宗教系の学校に入れてくれました。朝夕の礼拝があるような学校だと優しくて思いやりのある友達に恵まれるでしょうという配慮です。しかし状況は変わりませんでした。これに関してもいろいろ私は考察しています。口数が少なくカゲが薄いこともはどこでも同じです。いじめられっ子はどこにいっても貶められやすいと思います。私に関しては、いわゆる救い主系は縁がなかったなと思います。

 家庭に関しては、両親にかわいがられてはいましたが、女の子はこうであるべき、という理想の型にはめられていて、大人になって一人暮らしを始めてやっと「息苦しかった自分」 に気づきました。

 幼いころは家庭内がこの世のすべてでもありますものの、精神的にかなり抑えられて自分が自分でないような感覚をもっていました。育ててくれた親には感謝していますが、私も親となった身になれば、心理学的に見てこれはちょっと違うのではなかったかなと思うこともあります。

 小さな私は不快なことがあると、顔をふせてこれ以上いやなものを見ないようにしていました。子供にとっては家庭と学校が生活のすべてになりますが、他の世界を垣間見せるのはその子供から見える大人の責任であると思っています。子供の運不運も子供にとっての世界に属する大人の態度とその本人への扱い方で決まります。

 また小中高といじめにあっていましたので、そういうことをされるのは「自分が悪いから」 と思っていました。私の母親もそういって「もっとしっかりしなさい」 と怒るので、自己卑下感は相当なものでした。誰も友人がいないこと、作れなかったことを開き直る一方、すごく恥じてもいました。私は自分で自分のことをなんてかわいそうな子だろうと思っていました。

 確かに当時の先生からは誰にも目をかけてもらえず、恩師といえる人間は私にはない。残念ですが、通ってきた道は変えることができない。いかに有能な教師であろうとも全員に目をかけることは不可能なのでこれはもう仕方がないと思います。

 成人して就職し一人暮らしを始めて、やっと自発呼吸ができて、世の中はこんなに素晴らしいと感じることができました。この感覚を味わえたのは幸運だったと思っています。


 この世に光の当たる人がいるならば、必ず陰になる人も必要なもの。私はそういう陰タイプだと思っています。今もそんなところはあってそれはそれでよいと思っています。

 世の中はもともと不公平なものです。したり顔に違うといっても、その人が感じてきたことはその人にとっては真実になる。私と信条が違う人でも私は尊重します。だが強要する人はスルーします。また他人の心情に介入できるほど私はえらい人間でもなんでもありません。

 その分日が当たっている人は、陰の人の心情を思いやる必要はあると思う。自分さえよければそれでよしという思考の人はいずれわかるし、いくら有名な人であっても私は軽蔑します。


 そんなひねくれた私が大人になってから医療職になりましたが、その選択をしたのは自己最良のチョイスだったと思います。世の中は狭くて広い。また広くて狭い。そんな感覚を持てたのもよかった。また人間はいつか死にますがそのハザマの世界に少しですが属しています。人間の存在意義はなんだろうと考えることが増えました。

 ある仏教系の宗教家は人間の価値は「死後」 で決まるといいましたが、私は違う感覚です。と申すのは一貫して嘘をつきとおして死んだ人間を知っているからです。私事ですが五十を超えて人間関係の断捨離をすませ、後の心残りもきっちりと洗い流すつもりです。


 ……人の恨みは買うものではないですよ。その時は勝ったと思ってもあとで必ず逆転されますよ。人生は死後で価値は決まりませんよ。そんな他人の評価を決めてもらわずとも自分で人生を通っていくべきですよ。人生の真実は誠実の積み重ねでもあります。そして生きている限り、いくらでもやり直しがききます。それと自殺はダメですよ。もうダメと思っても、なんとかなるものですよ。私もいじめでみんなのために死んだ方がいいのだろうな、と考えていた時期もあったのでこの点だけは胸をはって忠告できますよ。

 話を戻しますが、業務上で模範とすべき先輩がいました。逆に反面教師な先輩もいました。医療職にもいろいろいるんだなと思いました。また不特定多数、無数の患者ともかかわって職務での一時通過というか一瞬の付き合いであっても何かを教えてもらえました。

 お辞儀一つ、笑顔一つ、時にはクレームのつけ方や説明の仕方のそれぞれの反応で、その場では意識しなくとも他者との触れ合いは確かにあったのです。私は子供の時より成人してからはじめて人間関係と己のありようを学べたと思っています。


 子供時代、私は「大人になれば、世界が変わる」 と信じていました。なぜならば大人は子供が成長したものだから。と思っていた。しかし、成長するのではなく、変わらないってこともわかりました。大人になれば世の中の理不尽なこともすべてが判明してくると思っていましたが、なんのことはない。「大人の世界も子供の世界の単なる延長」 です。

 いい人はいい人。

 悪い人は悪い人。

 しかし犯罪者ではないが「いい人」 の中に「悪い人」 もいるってことがわかりました。

 逆にいわゆる犯罪歴のある人でも職務で会い、仮に私に白衣の威力というものがあったとしても、礼儀正しく人懐こく憎めない人もいました。人はその時のかかわりで、その人にとって「お互いがお互いにとって善人となり悪人ともなる」 ことがわかってきます。みなさんにとっては幼いころから友情を感じてそれを培っていた人には当たり前のことかもしれませんが、私は成人してからかようなその当たり前のことがわかりました。

 そしてそれがわかってくると、世の中には子供や大人、社会的立場の強弱、経済の格差、人種の違いはあっても「意味があまりない」 と思うようになりました。



 しばらく休載していましたが、独断エッセイ「イラクサのブーケ」 再開します。




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