第十九話・哀しい卒業アルバム
以前にも書きましたが私にとって中学生が一番暗い時期でした。中学生二年生の時がひどかったです。他のクラスの人たちまでがわざわざ私がいるときに教室に連れ立って入って行き、「わあーこっち見た」「目が腐る」 など言われていました。
私は一応無視無関心を装い読書に没頭したふり、聞こえないふりをしました。でも心の中では毎日泣いていました。周りは一切涙を見せない私が憎かったのでしょう。モノを取られるのもしょっちゅうです。テスト前にはノートを取られまして、テスト終了後にはそのノートが私の机に放りだされていたりしました。その犯人に心当たりが多すぎてわかりませんが、熟年になった今、どんな顔をしてどんな暮らしをしているかと考えています。
先生の介入は一切なく、私も一言も話しませんでした。先に書いた小学校時代の先生の態度で大人は信用ならない、と思っていたし一人で全部抱え込んでいました。中学校の修学旅行終了後、担任が私の態度を見て何かを感じたらしく、小部屋に呼ばれ「旅行は楽しかったか?」「学校は楽しいか?」 としつこく聞かれたりしました。担任なりに私を遠回しに気遣っていたのかもしれませんが、そんなことを私に聞いてどうしようというのか、と思います。すでに終わってしまったことを今なぜ聞くのだろうか……全部聞いても私に一体何ができるというのか……。すでに人間不信になっていた私は大人はバカだな、と思いつつ「楽しかったですよハイ」 と答え話を切り上げてさっさと図書室に行きました。大人からみてもかわいげのない教え子であったと思いますが、それが当時の私の精一杯の自己防衛、自己主張でした。
負のスパイラルの渦中で本だけが友人で、親しい人は誰もいませんでした。こういう人物が卒業アルバムが創られるとなるとどういう扱いを受けるかわかりますか?
現在過去問わずボッチ、不登校、いじめてくる相手が団体というか、いじめっ子の数が多い人はすぐにわかるでしょう。
私は中学生の卒業アルバムを見返したりはしない。でも何が書かれていたか……思いだすたびに心が折れる。普通のアルバムなのですが、クラスの集合写真、一人一人の写真、そして最後のページにはイラスト形式でした。問題はそのイラストです。顔だけはリアルな写真で手足はプロのイラストレーターさんが描いたものです。
一クラス一枚。
私への扱いはやっぱりという感じでした。ページの一番隅っこです。私は「崖の下に向かって落下」 しています。他の皆は遊園地ぽいイラストでジェットコースターにのったり、メリーゴーランドに乗っています。落下グループに私以外二人いました。合計三人……。クラスのはみ出し者扱いはこうですね。
崖の下に向かって落ちていく顔。顔写真の対比よりも手足はごく細いです。落下する私はイラストレーターによってばたばたともがいているように描かれていました。落ちて行く先は漫画ならば確実にぺちゃんこ、現実ならば死ぬでしょう。飛び降り自殺を無理やりさせられているようなイラストです。
顔と手足がさかさまになっているイラストは私を入れたその三人だけです。他のクラスメートは全員仲良し同士で楽しそうなイラストにされています。こんな扱いをされて私は渡された卒業アルバムを見るなり血の気がひきました。
学校側が依頼した外部のイラストレーターさんですが、私は今でもそのイラストレーターさんの神経を疑っています。そのクラスの一ページのイラストの中心にいる人は綺麗なドレスをきて、傘の上に座り、手に当時人気があった海外の歌手の名前を描いています。明らかに別格の扱いで、他のクラスメートからは「ずるい」「あの子はイラストレーターさんの家まで行ってこういうふうに描いてと頼んだらしい」 という声が私にまで聞こえてきました。彼女はアルバム委員でもなんでもありませんでした。だから不満な声は相当あったようでしたが、友人のいない私の扱いに対しては誰も何も言いません。透明人間に対してはそんなものです。
私は己の扱いをみて「やはり」 という思いと「くやしい」 という思いを交互に感じていました。ほかにもあと二人いるとしても、仲間がいたとしてもそんなの関係ありません。また卒業式当日にそんなクレームをいっても仕方がありません。
崖の下に向かって落ちていく私の手足を書いたイラストレーターとは当然面識がなく、仲良し同士を組み合わせて描いてあげてねと依頼した当時の担任やアルバム委員の意にそった書き方をしたのでしょう。こいつらは嫌われ者だから絵の隅っこでいいや、崖に下に落としてやってよ、と依頼したのかもしれません。だから私は当時の担任の教師もアルバム委員も憎いです。イラストレーターだって罪はないかもしれませんが、私はその人も憎いです。
少なくとも担任やイラストレーター、編集者は大人です。それを見た私や私の家族がどう思うか……どうしてそこまで考えが至らぬのか? 私は両親に卒業アルバムは見せられませんでした。隠しました。今でも誰にも見せていません。当時のクラスメートは今でも許せないです。黙ってやり過ごすしかなかった自分に対しても許せない。しかし時は戻らない。
こんな心の傷をこのサイトで書く私ですので、ついでに一つ。私はある有名な殺人犯に対して同情していることが一つあります。何を書きだす気か?
我が子と近所の子どもを殺した女性……これで犯人がわかるが、殺人は当然いけない。だけど週刊誌に掲載されていた犯人の学生時代の卒業色紙……見るなり心をえぐられるような気がしました。そこには殺人犯(当時はいじめられっ子)向けに書かれた罵倒の言葉の羅列でした。彼女は本当に嫌われていたようです。色紙に書かれた文字は以下のとおり。罵倒の言葉ばかり罵倒です。
「会ったら殺す!」
「あと二度と会うことはないだろう」
「一生会わないでしょう」
「目の前に来んな!!」
「◎◎(←地名)から永久追放」
その殺人犯も友人がいなかった……私はこの罵倒色紙をきっかけに事件に興味を持ちました。世間を騒がした事件ですので、週刊誌の続報で、犯人の家では実父の暴力、学校ではばい菌扱いだったということを知りました。友達がほしくて万引きも重ねていた話もあります。人格障害の面もあったと報じられてもいました。
家でも学校でも居場所がなかった犯人の半生は一体なんだったのか……そして結婚して子どもを設けたにも関わらず、その我が子を手にかけたのはなぜか、その友だちまで殺したのはなぜか……殺人犯は裁判の場で殺した子どもの親に謝罪したようですが、殺した子どもは戻ってこない。現在その犯人は無期懲役で服役しています。事件を、虐待していた父親やいじめたクラスメートから、やっぱりなと思われていたとしたら……私は罪は憎んでもその罪を形成したこともまた罪になると考えてしまいます。
殺人犯を擁護するのか、と怒られそうですが私は犯人に向けられた卒業色紙の文面を見て、それを見た瞬間の犯人の心情を思って泣きました。
人生の句読点になる卒業記念の言葉はお互い将来の夢やまた会おうねというのが普通だと思います。でも普通ってなんだろう、普通って普通ではない扱いをされている人にとっては何が当たり前になるのか。でもそれは悪意であって犯罪ではない。法律上では犯罪ではなくとも、悪意という犯罪もまた私は存在すると思う。
あ、やっぱり人を殺したんだ、「いじめておいて正解だった」 と思っている殺人犯のクラスメートがいたとしたら、私はそれは違う、と言いたいです。子どもを殺した殺人犯をかわいそうになどと思うなんて、と、世間様の考えとずれているかもしれないですが、それが正直な感想です。
私は殺人犯とは実際に会うのがかなわなくとも、心の平安を保ちつつ静かに罪を償ってほしいと思っています。
◎◎◎ 第十九話のまとめ 卒業アルバムにもやってよいことと悪いことがある。学校側の監督責任はあると思う。 ◎◎◎