第十八話・虎の威を借りるいわゆるエライ人の子ども
救急病院に勤務していたころの思い出話。生きていればどなたでも、いつなんどき病気やけがをするかはわかりません。できれば病院のお世話にはなりたくない。誰でもそうだと思います。でも可能性としては誰でもある日突然、救急車に乗って救急病院に連れていかれる確率はゼロではない。救急病院に勤務していると昼夜問わずいつでもピーポーと救急車がサイレンを鳴らしつつやってきます。
そんな中のある日。当直業務をこなしつつ、救急患者の電子カルテをみていましたら、ある患者に対して担当医師が怒っているというか気分を害した書き方をしていました。その医師は私も知っていますがとても救急医療に慣れた人です。経験豊かで頼もしい感じを与える人です。それがある患者の振る舞いについて、めったにない書き方をされている。
題名でわかる人はわかるかと思う。
その人はいわゆるエライ人の子どもさんでした。子どもといっても成人しています。つまりその患者さんはお父さんの名前を出したのですね。それもあって医師の書き方は普段と違い入念でした。
……ベッドの上から私は◎◎の息子だと名乗り、早く診察しろと怒った。当人は意識があり自力歩行が可能。私は手術室、担当看護師が緊急処置が必要な患者がいる状況を説明したが理解していただけなかった。
その患者さんの状況は電子カルテに書いてあったのでどういうことで受診したかはわかる。自分の置かれている症状を「ご自分で説明できる患者さま」 は、はっきりいって緊急ではない。状況によっては後回しです。救急科の受診には受け入れ時刻の昇順もしくは降順で同時に部屋にどういう患者がいるか、何でやってきたか、自家用車か徒歩かタクシーかそして救急車かも一目瞭然でUPされます。その患者がいるときは交通事故や意識不明の重症者がいて処置に追われていました。医師は数人いても手が足らない状況はいつでもあります。当人にしてはほったらかしにされたと思ってさぞ不安だったと思います。その日の担当看護師のフォロー不足や不安軽減のための声掛け不足もあったのかもしれない………が、
「いわゆるエライ人である父親の名前を出す」
のはいかがなものか。
当人にとっては、切り札だったかもしれないが、救急科は救急でどれだけエライ人の血縁者であろうが、優先順位はエライ人の順番ではない。つまりその手の切り札なんか何の役にもたたない。当人は医療従事者ではないので、その感覚はわからないのだろうけれど、しんどいながらも意識がはっきりしすぎて医師や看護師に対して怒る元気があるならばなおさら救急診療の患者としての優先順位は下がる。
普段はカルテには必要最小限の言葉しか書かない医師なのに、当人が言った詳細な言葉まで事細かく綴っている。万一当人の父親のいわゆるエライさんが「よくも私の息子をほったらかしにしたなあ~」 と怒ってきたときに備えてというよりも、医師がその患者に対して心の底から怒っているとわかる書き方であった。
電子カルテには個々の個人情報が詰まっているので、外部に漏れることはまずないが、院内では「コレ怒ってますね」「あの先生がSをここまで詳しく書くのってめったにないよね」「おおっコレは完全に怒っとる」 という会話が各部署のパソコンの前でかわされていたと思う。SというのはSubjectiveの略で患者の主訴、患者の訴え等主観的情報.患者の状況を書く欄です。言葉とか外観の様子を書いたりします。
当人の電子カルテは一生そのまま。その日に放った言葉はその病院内の電子カルテ内では生きている限り永遠に消えない。ある意味院内限定の烙印みたいなものです。
当のエライさんは、子どもには「エライ父親の威光」 をいざというときに使えという教育をしていたのか、と思われます。日常的にあう人からはぺこぺこされる機会はあっても、医療現場、それもガテン系ともいえる体力的にハードな救命の現場にはそんな「威光」 は無意味でしょう。そのあたりは教えておかないと、と思います。
確かに医療という職場は己の健康に直結すので、より優遇されたいと思うあまりに、親の威光をちらつかせるという人もいます。
「実は◎◎が伯父です」「△△の娘です」「私は特別です、△△だから」
言われた私は「そうなんですか」 と笑顔を返しますが、正直な本音をいうと「それがどうかしましたか?」 って言いたいです。「ははあ~おそれいります~」 とか絶対に思いません。
それに私はいわゆるエライ人に職務で数人と接する機会はありましたが皆さん苦労されているのか、ヘンに威張る人はいなかった。その子どもさん、血縁者、知人、時にはお手伝いさんがそのエライ人の虎の威を借りて、優遇を要求するのはヒトとしてみっともないと思います。
◎◎◎ 第十八話のまとめ 虎の威を借りる狐さんの話です ◎◎◎