第十七話・支配されることを望む人々
もう三十年以上も前の思い出話である。現在のようにパソコンやスマホが普及していなかったので、通信手段は電話がメインでした。当時二十代後半だった私は、アルバイトで、電話心理相談を受ける仕事もしていました。相手は顔の見えない依頼人です。相談人は雑誌の広告やチラシを見て電話します。雇用先の心理相談事務所は、自宅待機している私の家の電話番号に取り次いでくれる仕掛けです。雇用先にはマニュアルもなく、いい加減なところがあって、私なりに工夫して応対しました。
相談者の様子も内容もいろいろです。全容をつかむためにすごく時間がかかる人、言いたいことがありすぎて、あちこち話がとんでしまう人、泣きそうになって嗚咽をこらえつつ話す人……。
相談内容を私が理解すると、ベストな結果を出すべく相談者がどう動いた方がよいかと一緒に考えます。もしくは相談者にとって困った人にどう行動してもらいたいか、そうなるためには相談者がどう動いたらよいかと考える。ここまでくる前に言いたいことを話してしまうと心の中の整理がついてすっきりしたのか、もう大丈夫ですといって電話を切る人も多かった。こういう人は大丈夫だろう。何とかやれるしやっていける。そしてまだ他人に相談できる段階にあるのは、基本的に自力でもやっていけるのです。少なくとも声に出して自分以外の他人に理性をもって順序立てて相談できる気力があるのですから。
このアルバイトをして気付いたことがいくつかありました。この世の中には、一定数で自分の自己分析もへったくれもなく今後自分の行動や考え方を「決めてくれ」 みたいな人がいます。つまり人生の岐路を他人にまかせてどうしたらよいですか? あなたのいうとおりにしますから決めてくださいと。自分の人生は自分のものなのに他人事なのです。
相談者も相談相手も双方匿名、という特殊な環境にあったからこそ、そういう人に高確率で出会えたのかもしれません。差支えない範囲で……相談者の一人にAさんという三十代の女性がいました。Aさんはちょっと込み入った恋愛相談をしました。相談が夜までにかかり、私は明日の仕事にさしつかえがあるので切らせてもらいたいと言うと、それでは都合のつく時間に直接電話をさせてくれと言いました。私は自宅の電話番号を教えてしまいました。
結果、毎晩私の自宅に電話がかかってくるようになりました。私は当時携帯電話をもっていませんでした。Aさんが心理的に弱っているのがわかるので、やんわりと心療内科受診をすすめたのですが、病院は嫌いの一点張りです。私の自宅の電話番号から住所がわかったのか、私宛のプレゼントが送られてきました。中身は値が張るものです。話を聞いてくれてありがとうの感謝の手紙つきです。驚いた私が手紙に書いてあった電話番号にかけて礼をいうとAさんはとてもうれしそうでした。つまり私はなんというかAさんに気に入られたのです。
「先生から直接電話をかけてくれてありがとうございます、プレゼントを気に入ってくれてありがとうございます」
Aさんの感謝の言動はまだ経験の浅かった私にとって心理的な負担になりました。未熟な私にいわゆるファン? が、ついた状態になってしまったのです。Aさんはこう言います。
「先生、私に何でも言ってください。なんでもします」
Aさんの相談なのでAさんにとってベストなやり方を私なりに考えて返答します。
「その人はあなたのことを思いやっているとは思えない。別れた方がよい、というか別れなさい」
私がはっきりと言えば言うほどAさんは私に感謝するのです。私は単なる愚痴の聞き役だと割り切りました。相手が自分にとって害なす存在でしかないとわかっていても、別れない人もいるのです。私はそういうAさんが理解しがたかった。私という相談相手がいて人生の岐路を示唆され、それでも男性とは別れず尽くしていい顔をする。Aさんは一度しかない人生をそうやって過ごしているのです。
Aさんは相談以外にも仕事上でのトラブルの話もするようになりました。私を信頼してくださってそれは有り難いのですが、Aさんの話は長いのです。元来、Aさんは日常生活上では相談できる友人がいない人だったのでしょう。その延長上当然ですが実際に会いたがるようにもなりました。業務上でのルール違反をしたツケがきたのです。とりあえず忙しいとか、今日はごめんなさいなどといって謝りつつ、少しずつ距離をとるやり方をしました。そのうちに彼女から電話も手紙もこないようになりました。
Aさんを例にあげましたが、世の中にはこういう人もいます。そしてこういう人は好きになった人を喜ばせてあげたい⇒ 何でも私に言ってください。あなたの喜ぶことをしてあげたいです、になるわけです。 とてもピュアな性格、純粋で善い人です。こういう人は悪意のある人につけこまれます。お金持ちなら、お金を理由をつけて要求されます。自分の意思がないので、なるべくしてなったのです。Aさんの好きになった男性もこういうタイプでした。個人的にはAさんと相手の心理的な生育過程に興味あるところですが、Aさんの好意が負担になって私はそれどころではありませんでした。無事縁が切れた時は正直ほっとしました。Aさんに対しても本当に申し訳ない恥ずかしい思い出です。
私はAさん以外にも電話相談に乗っているうちに心理操作というか、暗示にかかりやすい人が相当いるのに気付きました。気軽に人生相談! という広告を見てかけてくる人に多い現象かどうかまでは言い切れません。相談者には強引な人もしくは団体に振り回されてお金も取られているという人もいました。宗教がらみの悩みもありました。その人たちはその困った人や団体、もしくは環境や境遇をどうやって振り切ってよいかわからないのです。
「はっきり断りなさい」
相手の性格がある程度把握できると、毅然として上記のセリフを命令口調で言うと相談者は理解します。うれしそうにお礼をいって電話を切ります。相手は私という見ず知らずの相談相手にこういう行動すべきだと言ってほしいのです。命令してほしい人もいます。これがわかった時の衝撃は何というか私にとっても貴重な経験でした。
宗教がらみは家庭問題もあり複雑です。どういう宗教にも我を頼れ、救ってやるというところはかなりの確率で金銭を要求されます。寄付とあからさまに言われなくとも寄付しないと恥ずかしいことだと刷り込まれます。それと引き換えに心の安らぎを覚え、本人が満足したらそれはそれでよいと思います。ただそれを善きこととして周りの人に強制的に強いるというのは間違っています。宗教でなくともある特定の人に支配されたがる人は、結局は他人にいいように動かされてしまいます。本人が気づいているときと気付いていないときがあります。それもそれで本人がよければよいのですが、そうはいきません。そういうことで人間関係がより複雑になります。となると単なる心理相談は思い切った行動をするための助走の役割になるのではないでしょうか。相談者と相談員の相性もついてまわるので一言では片づけられません。とても難しいことです。