第一話・はじめに
本作のテーマは題名にあるとおり人間のいじめと悪意についての話です。人間の社会に生きている一員として同じ人間から発される負の行動と感情、それがテーマです。
架空の読者様よりの質問、あの~悪意の反対、善意は書かないんですか? そっちの方が読みたいな。心がほんわかと温かくなるような話がいいな。
答え ⇒ 私は今は書きません。善意は悪意よりも書くのが難しいのです。そして善意は雪よりも軽くすぐに消えてしまい、不快な悪意の思い出だけがどす黒くとぐろを巻いて人間の心に巣食うのです。だから悪意の方が文字に表して書くのがたやすいのです。
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個人から個人へ発された悪意、他人から他人へ向かう悪意。悪意がステップアップすると憎悪に変わります。一方的な悪意や憎悪を受け止める場合、受け身の人にとってそれは「いじめ」 になります。肉体的、身体的、環境的に一方的な悪意を受け止める場合は虐待になる。「いじめ」 という言葉は今や現在の人間関係における重要なキーワードです。だからうすぼんやりとした広範囲の悪意を書くよりも、より親しみやすい(←皮肉入り)「いじめ」 というキーワードを使って書いていきます。
最初にウィキペディアから引用してきた「いじめ」 の概念を引っ張ってきます。
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いじめ(苛め、虐め、イジメ英: Bullying)とは、「肉体的、精神的、立場的に自分より弱いものを、暴力や差別、いやがらせなどによって一方的に苦しめること」である。いじめ防止対策推進法(平成二十五年法律第七十一号)第四条にて、いじめは禁じられており、同法第二十五条および第二十六条において、加害児童等に対する懲戒処分・出席停止についても明記されている。
ヒト以外の高等生物や動物では、マウンティングによって上下関係が確立されればそれ以上手を出される事はない。いじめが行われるのは人間社会においてのみである。
↑ ↑ ↑ (以上引用終わり)
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引用文のうち、最後の二行に私は異論があります。コンラート・ローレンツの動物行動学の本を読んでいればちょっと違う感想を持たれると思います。でも確かに一理ある。そこまでちゃんと引用するにはやはりいじめと書けば人間社会の構造や有りようを考えるきっかけになると思うからです。だからこの文面は一部誤解を与えるが間違ってはいないと思います。
それと「苛め」 と「虐め」 の差。同じ意味なようでもわずかに違う。私は厳格な国語学者ではないので、適当にまとめました。
「苛め」 は、弱いものを苦しめ、痛めつけること。
「虐め」 は 厳しく扱うさま。
つまり一般的な「いじめ」 の感じは「苛め」 が正しい。草かんむりになぜ可能の可なのだろうと思いますが、可能性を草で抑え込む感じかな、ということは成長させないという意味合いがあるのかもしれません。
ついでにこちらの「虐め」 は虐待の「虐」 の字でもあります。厳しく扱うを待ち……で「虐待」 でしょうか……。待つことは全くの未知の人物に対してはないので、知っている人から厳しく扱われるのを待つことになるのかな……よくわかりません。「虐」 の感じを解体してみると「虎」 の上と、中身が「爪」 という漢字から来ているらしいです。ということは、虎の爪を待つ……? なんとなくホラー的な要素がありますが語源もまた不気味な感じですね。
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理由はどうあれ、被害者=いじめられっ子は周囲から「見くびられて」 います。こいつならコレをやっても大丈夫と思われるわけです。本能としての縄張り意識や食物連鎖による攻撃とは無関係の話。いや私たち人間は類人猿の一種ですので、動物です。しかし人間は偉くないですよ。そこらあたりは勘違いしてはいけないと思います。
いじめのパターンは心理学者などが種類別といってはヘンですが詳細に分類する人もいらっしゃいますが、ここでは種類も分けずに私個人が見聞きした事例をあげていきます。
つまり心理学など難しい理論は抜きにして実際に私が幼少時や成人してから見聞きした事例からどう考えるべきであったかどう行動すべきであったかをあげていくつもりです。
私の人生は老いへ向かっていき、私の生きる証を形にして残すとあれば私の経験からくる思考しかないのです。と書くわりには大したことはないかと思いますので読んでいただける人には感謝いたします。
なお文中の地名や個人名はすべて架空のものです。職務で実体験した話もありますが守秘義務の範囲内でしか書けないので適当にフィクションを入れています。ご了承ください。
◎◎◎ 第一話のまとめ ⇒ いじめとは、肉体的、精神的、立場的に自分より弱いものを、暴力や差別、いやがらせなどによって一方的に苦しめること ◎◎◎