第十四話 第六話
普段なら目覚ましのアラームがけたたましく鳴ろうとも全く反応しないジャスティンでも、流石にこの朝は清々しいほどパッチリと目が覚めて、熟睡した筈なのに疲れの残る重だるい身体を起こして盛大に伸びをした。
「よしっ!」
何時もはボサボサのままの銀髪にも丁寧に櫛を入れ、滅多に使う事の無いヘアワックスまで使って髪を整え、気合十分の顔で両頬をパチンと叩いた。
前日のアンガスの外来では特にやっかいな症例も無かったらしく、卒なくこなしたアンガスに笑顔で見送られてジャスティンは緊張で強張った顔で一階外来の小児科担当ブースの扉を開けた。
程なくして入ってきたのは小児科医局長のヒックス・ストライド医師とジャスティンが数度しか会った事の無い院長、そして診療部部門長でもある内科医局長で、立ち上がったジャスティンは思わず足元を揃えて敬礼を返す体勢に入っていたが、辛うじて堪えて丁寧に頭を下げた。
「我々は居ないものと思って普段通り診療を行ってくれたまえ」
ヒックスはそう言ったが背後から感じる重圧から逃れられる筈も無く、担当の若い外来看護師も普段の笑顔も無く緊張した顔付きで、尤もそんな状況で診察を受ける患者が一番可哀想だなと頭に浮かんだジャスティンは内心を押し殺して「はっ」と短く返した。
夏風邪の子や、この間の予防接種を受けられなかった子、とびひやねんざの子など比較的軽症の子供達の診療が続いて、この分なら大きな問題も無くて無事に終わりそうだと少し緊張が解れて笑顔も出るようになったジャスティンは、背後の三人の医師が小さな声で何か囁き交わしながら手にしたファイルに何か書き込んでいるのもようやく気にならなくなり、次の患者、赤ちゃんを抱えた不安げなまだ若い母親を出迎えた。
「どうしました?」
穏やかな笑い顔で向き直ったジャスティンに、母親は抱き抱えた我が子を見せながら眉を寄せた顔で早口で捲し立てた。
「今朝から顔が赤くてぐったりとしていて元気が無くて。でも熱は無いんです」
確かに赤ちゃんの顔は赤らんで、泣くでも無く少し虚ろに薄目を開いて少し口を開けた口唇は乾いていて、手元の体温計で測っても熱は無くジャスティンは口を結んで眉を寄せた。
「……直腸温を測ってみましょう」
嫌がるでも無く温度を測らせてくれた赤ちゃんを見下ろして示された温度を見てジャスティンの顔は強張って、ジャスティンに歩み寄って温度計を覗き込んだヒックスの顔も緊張の浮かぶ渋い表情になった。
「直腸温度が三十九度。……おい、直ぐに冷却と輸液だ。急げ!」
ジャスティンが背後の看護師を振り返って大声で指示を出すと、状況を察した看護師も返事もそこそこに慌てて準備に取り掛かった。
「先生、この子は」
うろたえるばかりの母親に縋り付かれ、涙目の彼女を見下ろしてジャスティンは険しい表情を変えずに告げた。
「熱疲労、熱射病の一種ですが、熱により脱水状態に陥っています。赤ちゃんが熱に晒される様な状況はありませんでしたか?」
泣き出しそうな顔で母親は瞳を泳がせていたが、やがて零れそうな涙を溜めてジャスティンを見上げた。
「朝、何時もは閉めておくカーテンを開けていて。天気が良かったから少し日光浴をと思って。まだ朝だから大した暑さじゃないかと」
「それか」
合点がいったジャスティンは見守る病院の重鎮の存在も忘れて、目の前の命を救う事だけに没頭して手際よく輸液と体内温を下げる為の首や腋下、鼠径部への冷却措置を取り、点滴に繋がれた我が子の手を取って「ごめんね。ごめんね」と泣きながら謝り続けている若い母親の肩を叩いて「もう大丈夫ですよ。直に治まる筈です」と穏やかに微笑んだ。
重篤な状態に陥る可能性もあった疾患に落ち着いて対応出来た事で一応安堵の浮かんだジャスティンは、救急室へと運ばれた母子を見送ってフゥと息をついて頭をボリボリと掻こうとしたが、今日は気合を入れてセットしてきている事を思い出して思い留まって苦笑した。
「先生、では次の患者さんをお呼びしますので」
此方もホッとした表情になった看護師に「ああ」と頷いたジャスティンであったが、ブツッという独特の音と共に院内の緊急放送を知らせるスピーカーからノイズが鳴り始めてジャスティンも居並ぶ院長らも訝しげにスピーカーを振り返った。
『緊急入電、緊急入電。救急搬送十分後。患者は五ヶ月の乳児二名。二名とも男児。GCSは5。受け入れ態勢の準備されたし』
次の瞬間には身を翻したヒックスが無言で扉を開け放ち走り出て、思い当たる事柄に腰が浮いたジャスティンも走り出そうとしたが、自分にはまだ外来の患者が残っている事を思い出して、ヒックスや恐らく放送を聞いて駆けつけているであろうアンガスらに任せるしかないと、深い嘆息をついてまた椅子に座り直した。
救急患者の様子が気にはなったが、重鎮達の姿も消えて重圧から解放されて普段通りの診察を続けていたジャスティンの元に何時もらしく無く深刻な表情のアンガスが姿を見せて、「おう」と気軽に声を掛けたジャスティンに早口で告げた。
「先輩、直ぐにERへ行って下さい」
「え? でも」
「直ぐに。外来は僕がやりますんで」
有無を言わせないアンガスの真剣な顔を見上げたジャスティンの心臓が小さくトクンと音を立てた。
ER室の鉄扉を開け放って飛び込んだジャスティンの目の前に、泣き崩れているマリアを抱えて険しい顔でベッド上の我が子達を見守っているアレックス・ザイア少佐の姿が目に入って、恐れていた事態が現実のものだった事を知らされてジャスティンは呆然とした。
「ウォレス先生、早くしろ!」
もう臨戦態勢に入っているヒックスに声を掛けられて我に返ったジャスティンは、尊敬する班長殿に無言で頷き掛けて並んだベッドに寝かされている双子の元へ駆け寄った。




