第十四章 第四話
無事に進級試験を全員合格で乗り切ったW校の生徒達は夏休みに入って其々の実家へと戻って行ったが、臨月が間近のエドナだけは万が一に備えて国立中央病院へと入院する事になり、大きくなったお腹を抱えてロドニーと校医カメリアに付き添われて訪れた。
「今のところは順調よ。妊娠中毒症や他合併症も出てないわ。体調管理をエドナはしっかりとやっていたものね」
校内でのエドナの体調を厳密に管理していたカメリアも肩の荷を下ろしてホッとした顔になった。
「俺も此処に泊まっていいんだろ?」
ロドニーは片時も離れ難いようでジャスティンを振り返って眉を寄せて睨んだが、ジャスティンが答えるよりも先にエドナが不機嫌顔でロドニーを見上げてピシャリと言った。
「貴方には此処での生活なんか三日で飽きるわよ。絶対に大人しくしていられないんだから。先生も看護師さんも大勢居るんだから、心配いらないわ」
「まぁ、幾ら個室とは言え産婦人科だからな。男には居心地悪いぞ、ロドニー」
ケタケタと笑ったジャスティンを一層剥れた顔で睨んだロドニーだったが、確かに健康優良児の彼にとっては病院は尻の座りが悪く思えるらしく、不承不承ながらも頷いて「何かあったら直ぐに連絡しろよ」と言い残して聖システィーナへと帰って行った。
八月の太陽は夏の短いロンドンでも目映い光を撒き散らし、己の葛藤を吹き飛ばしたジャスティンにとっても身体が快調に動く絶好の季節となっていた。
もう班長殿も会議の警護任務を終えて英国に戻ってるだろうなと、折を見てビアンカと一緒にポーツマスまで行ってみようかと上機嫌で思いを巡らせていたとある日、予防接種の会場に英領ヴァージン諸島の子供達が全員が顔を揃えてジャスティンの元を訪れた。
「よお、皆元気そうだな。イブも久しぶりだな」
今でもまだ修行中の身ではあるが院外にも出られるようになったイブは、質素な修道服に身を包んで穏やかに笑っていた。
「ジャスティン! あのね! 昨日凄い事があったのよ!」
真っ先に駆け寄ってきたビアンカは興奮で頬を赤く染めていて、大勢が居る前にも関わらず、「へ?」と間の抜けた返事をして立ち上がったジャスティンにしがみ付いた。
興奮していたのはビアンカだけでは無くて、九人の子供達全員が其々嬉しさの滲んだ笑顔で取り囲んだジャスティンに向かって一斉に捲し立てた。
「聖アンジェリカ号がね、帰ってきたんだよ!」
「ジェミーとカツラが帰ってきたの!」
「でね、それだけじゃなくて、ニンフェアも一緒だったんだよ!」
ギャーギャーと喚く子供達の声が会議室中に反響して、それだけでも何を言ってるのかちんぷんかんぷんなジャスティンは、両手を挙げて「待て待て待て!」と制止した。
「お前ら、注射がまず先だ」
途端に口を噤んだ子供達は全員眉を寄せたしかめっ面になった。
あの『発動』の日から七年の月日が過ぎ、誰もがもう諦め掛けていた聖アンジェリカ号が奇跡的に帰還した事を改めて説明されて、ジャスティンも驚きを隠せずに目を瞬かせた。
それだけでは無く、子供達がBVIで出会ったという【核】であるニンフェアと瓜二つの少女が一緒に英国に戻ってきたという事は、『発動』に関する事には詳しくないジャスティンでも、世界が再び其々の『絆』を紡いで新たなる道を進み始めた事の表れであるのは容易に察せられた。
「……すげぇなぁ」
感服の息を洩らしたジャスティンにビアンカが嬉しそうに頷いた。
「きっとハドリーとニナはお互いの事をまた見出して、そして今度こそきっと二人で幸せになるわ」
「そうですね。二人の『絆』は変わらずに有り続けていますから、例え前世の記憶が無くても互いを見失う事は無いでしょう」
首から提げた十字架を手に穏やかに微笑んでいるイブはまだ十四歳になったばかりの筈だが、この中の誰より年長に見える落ち着き払った静かな声で、自分も諭されている気分になったジャスティンはうんうんと頷いたが、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「【核】と【鍵】が揃ったって事はさ、また湖水が不可侵領域になるって事?」
「いいえ。今世界が主として守護する地域として指定しているのは聖システィーナ地区で、例えニナとハドリーが戻って来たとしてもそれに変わりはありません」
落ち着いたイブの答えにジャスティンは怪訝げに眉を寄せた。
「何でさ」
「それは――」
イブが口を開き掛けた時、入口の扉が慌しく開き険しい顔の看護師が顔を出してジャスティンに告げた。
「ウォレス先生、エドナ・ワイズさんが――」
看護師が全部言い終わる前にロドニーが顔面蒼白で立ち上がって駆け出して、動揺の走る子供達に「此処で全員待ってろ!」と叫びジャスティンもロドニーを追って全力で廊下を駆け抜けていった。
予定日より少し早く陣痛の起こったエドナだったが、恐れていた大量出血も無く元気な男の赤ちゃんを無事に出産した。
真っ白なお包みに包まれた元気に泣いている赤ちゃんを「はい。お父様」と看護師から手渡されて、ロドニーは壊れ物を持っているかのように恐々と抱き上げて、感動に潤んだ瞳でじっと赤ちゃんを見下ろしていた。
「エドナ、よく頑張ったな」
今回も新生児の健康チェックに立ち会ったジャスティンが、術着のまま緩んだ笑い顔でエドナに微笑み掛けると、汗ばんだ頬を赤く染めてエドナは涙ぐみながら無言で頷いた。
「俺と同じだ。蒼の瞳だ」
ロドニーが不器用な手付きながらあやしている最中に泣き止んだ赤ちゃんは、クリクリした瞳を見開いてじっとロドニーを見上げていた。
「蒼の瞳で髪は黒。お前達を見事に半分分けした子だな」
カルテを手に満面の笑みのジャスティンも、まだうら若い新米の両親を前にして、三人の幸せを心から願わずにはいられなかった。
吉報を今か今かとソワソワと待っていたBVIの子供達は、母子ともに無事の知らせに全員が飛び上がって喜んだ。
「やったね! 男の子だってさ!」
「うんうん! エドナ凄いよね!」
キッドとアキが笑顔で頷き合う隣で、ザックは苦笑を溢していた。
「エドナはこれから大変だな。暴れん坊二人も抱えて」
「言えてる。私達がエドナお姉ちゃんをサポートしないとね」
ザックとアデラの兄妹は、クスクスと笑い合った。
「ってことはさ、ビアンカはもうおばさんになっちゃったの?」
「こら、ジェマ」
言い難い事でもズケズケと言い放つジェマの頭を、双子の兄サイがコツンと叩いた。
「あら。だって事実、私の甥なんですもの」
ところがビアンカは涼しい顔で当然とばかりに胸を張った。
「こんなに幸運が続くなんていい兆候だわ。きっとジャスティンの卒業試験も上手くいくわ」
此方も当然とばかりに不敵に笑っているビアンカを見下ろして、絶対と言い切れないジャスティンは言葉を濁して「まぁな」と平静を装いながらもボリボリと困惑顔で頭を掻いた。




