第十二章 第三話
その週の土曜日、子供達を其々の親元、そしてBVIの子供達の故郷聖システィーナに帰して大人だけが残ったW校の寄宿舎の厨房に顔を揃えた指南役のリンダ、そして是非レシピを覚えたいというカレンと副舎監ビリーの妻テレサという美女達に囲まれて、着慣れないエプロンを身に纏ったジャスティンは緊張した面持ちで背筋を伸ばしてしゃちほこばっていた。
「材料はこれね。ココアパウダーとバター。バターは室温に戻しておくのがポイントよ。それから砂糖。これはココアの約半量。それから牛乳も室温に戻して、後は少量の水よ。分量はメモを参考にしてね」
リンダの作ったレシピを手に其々が生真面目に注意事項を書き込みながら頷いていたが、リンダは余りに真面目な生徒達を見渡してクスッと笑った。
「驚くほど簡単なのよ。やってみれば分かるわ」
力の要るココアとバターの攪拌作業は唯一男手のジャスティンに任されたのはいいが、力任せにボウルを掻き混ぜるジャスティンをリンダが慌てて止めた。
「そんなに力を入れる必要は無いわ。ダマを無くす事の方が大事よ」
「ダマ?」
「そう。固まりがあっちゃいけないの。優しく木目細かくね」
お菓子はおろか料理も殆どした事の無いジャスティンにとっては未知の領域の話で、戸惑って頭に手をやろうとしたジャスティンの手をカレンがぴしゃりと叩いた。
「調理中に頭を掻かないの」
「……はい」
癖を見透かされて口を尖らせたジャスティンは、それでも素直に返事を返した。
頭に防御用の頭巾を被されて、こんな姿絶対にビアンカには見せられねぇと、内心で天を仰ぎながらも奮闘したジャスティンのお陰で綺麗に纏まったココアを見てリンダはうんうんと頷いた。
「で、このココアを沸かしたお湯の中に入れて。此処でのポイントは絶対に沸騰させない事よ」
慎重に掻き混ぜるジャスティンの手元をカレンとテレサも覗き込んで、立ち昇り始めたカカオの香ばしい香りに二人ともうっとりと目を細めた。
「懐かしい、いい香りね」
「うんうん。ココア飲みたくなっちゃった」
クスクスと笑い合う二人を尻目に、口元でブツブツと「沸騰させない。沸騰させない」と呟いているジャスティンは真面目そのものだった。
女性陣が篩っておいた砂糖を混ぜて、そして室温に戻した牛乳を分量分を注いで丁寧に混ぜ合わせると、見慣れたチョコレート色のクリーム状の物が出来上がって、ジャスティンは感動で「おおお」と声を上げた。
「少し固めかしら……でもやってみましょう」
何処から用意したのか、リンダが小さな凹みがあるトレーを幾つもテーブルの上に広げ、出来上がったクリームを皆でトレーに少しずつ流し込んだ。
「で、これを冷蔵庫か冷凍庫で一晩冷やせばチョコレートの完成よ」
「っっしゃあ!」
両拳を空に突き上げてガッツポーズをするジャスティンの傍らで、ボウルに残った僅かな残りカスを指で掬い取ってこっそりと舐めたテレサは目をパアッと見開いて頬を染めてリンダを振り返った。
「おいしい! チョコレートよ、本物みたい!」
途端に残りの三人も我先にとボウルに指を突っ込んで、舌の上に広がる甘く香る懐かしい香りに顔を綻ばせた。
「うん、上出来ね。これなら子供達も喜ぶわよ」
「すっごい。本当にココアからチョコレートが作れるのね」
懐かしいその味は本当に幸せの味がすると、作ったジャスティン本人も、久しぶりに味わう甘さに感慨も一入であった。
翌日の日曜日、期待に膨らむ胸を抱えて再びW校を訪れたジャスティンは、厨房で出迎えたテレサと、テレサの夫でジャスティンの親友であるビリー・ローグと、冷凍庫から取り出したチョコレートの完成品を前にして複雑な表情で見下ろしていた。
色合いは確かにチョコレートだが、やはり多少硬かったのが災いしたのか、形は綺麗に纏まらずにゴツゴツとした歪な物が多かった。
「ま、見た目は悪くても味が良けりゃ大丈夫だろ」
ビリーは事も無げに首を竦めて笑ったが、理想には程遠い見た目にジャスティンはがっくりと肩を落としていた。
「そうよ。とっても美味しかったわよ、ジャスティン」
十二個入りのトレーの中で、一個が欠けているのに気付いて屈託無く笑うテレサを目を見開いて振り返ったジャスティンだったが、悪びれもしないテレサの明るい笑顔に苦笑が浮かんで、「ああ」と笑って頷き返した。
「何、これ……」
子供達が寄宿舎に戻ってきた日曜日の夜、夕食の後の寛ぎの時間にテレサが「とっておきのお菓子があるのよ」と持ってきたのは、ガラスの器に山と積まれた黒っぽい歪な小石のような物で、目の当たりにした子供達は皆怪訝そうに眉を寄せた。
「これは、チョコレートです!」
得意げに笑っているテレサと、談話室のテーブルの上に置かれたそのお菓子とを見比べて、不審げな顔をしていたザックだったが、食に関する事に貪欲な彼は無造作にその一つを取って口にポイッと放り込んだ。
「……美味い!」
途端に瞳を輝かせたザックに釣られて他の子供達も手を伸ばして、口に入れた瞬間に蕩けて一杯に広がる甘い味わいと豊潤な香りに、どの子も目をまん丸にして「おいしい!」と叫んだ。
「でしょ。でも少ししかないから慌てて食べたら勿体無いわ。折角ジャスティンが一生懸命作ってくれたんだからゆっくり味わってね」
「これ、ジャスティンが作ったの?」
ビアンカが手にしたチョコレートを繁々と見て、驚いた目をパチクリとさせた。
「そうなの。南米からココアを取り寄せてそれで作ったのよ。皆にチョコレートを食べさせてあげたいって」
柔らかく微笑むテレサの顔を見上げて、子供達は皆自分の手の中のチョコレートにじっと見入った。
「わ。手にくっつくぞ、これ」
溶け始めたチョコレートに慌ててロドニーは口に中に放り込み、指に残ったチョコレートを勿体無さそうに舐め取って機嫌良さそうに笑った。
「それさえ無けりゃ最高のお菓子だな、これ」
ザックも指を舐めながらニイッと笑い、嬉しそうに瞳を輝かせている妹アデラの頭を撫でた。
「でも、遠くからココアを運ばないと食べられないんじゃ、次回は何時食べられるか分からないよね」
コリンは以前に食べた事があるらしく、久しぶりのチョコレートを落ち着いて味わいながら冷静に状況を分析してみせたが、テレサは思わせぶりにクスクスと笑った。
「それがねぇ」
夫ビリーを見上げながら笑っているテレサを、子供達は皆不思議そうに振り返った。
「じゃ、頼んだぞ、エドガー」
「全く、毎回君の無理難題には呆れるよ」
そう言いながらも苦笑いを溢しているエドガーの電話の相手は、言わずもがなの国際コミュニティ会議議長ケビック・リンステッドその人で、今年の七月に行われる第二回の国際コミュニティ会議に招聘している南米地区の一行を出迎えに行く英国海軍フリゲートの『ブリストル』の出航を明日に控えたこの間際になって、その南米地区からココアを大量に輸入せよとの命令に、エドガーは困惑して頭を掻いたが、ケビックの思惑の由来を知っているが故にエドガーも断るつもりは無かった。
「まぁ、定期交易が出来ればブラジル側としても渡りに船である事には間違いが無いし、何より子供達が喜ぶだろう」
「ああ。チョコレートは幸せの食べ物だからな」
子供達が喜んでいる顔が浮かんで、ケビックも静かに微笑んだ。
ジャスティンが作った歪なチョコレートの他に、寄宿舎の冷蔵庫の片隅には色とりどりの銀紙に包まれた卵型のチョコレートが静かに鎮座していた。
リンダが作った見事なイースターエッグは子供達の誰もが食べるのを惜しんで毎日冷蔵庫をそっと覗き見るだけで、誰も食べようとはしなかった。
ジャスティンが書いたという大きなピンク色のハートのマークが描かれたエッグはビアンカの物で、それを見る度に自分達にチョコレートを届けようとしたジャスティンの奮闘を思って、ビアンカの心の中に明るく灯る炎が赤々と燃えて、自然と温かい気持ちになるのだった。




