第十二章 第二話
ジャスティンが国連援助隊の一員として南米の仏領ギニアへ援助に向かったのは四年前の事で、英国へと帰国する直前の肌寒い夜に出されたココアの香ばしい匂いをジャスティンは鮮明に思い出していた。仏領ギニアではカカオ豆の生産も行われていた筈で、その時の伝手を頼りに何とかほんの少しでも輸入する事は出来ないかと、ジャスティンは国連コミュニティ管理局局長エドガー・リードへと連絡を取ってみたのだった。
エドガーには「仏領ギニアは農地も狭く収量の少ないカカオ豆は宗主国フランスに僅かに輸出されているだけで期待は出来ないぞ」と言われたが、一週間後エドガーから「昨日船が出たと連絡が来た。十日間程で着くだろうとの事だ」と連絡が来て駄目元で頼んでみて良かったとジャスティンは有頂天になった。
所々に汚れのこびり付いたダンボール箱を大テーブルの上にドンと置いたまま、ジャスティンは大テーブルに頭を乗せて何度も繰り返しため息をついていた。
「あら、お待ちかねの荷物が届いたのね」
しょぼくれているジャスティンの様子にも気付かず小児科医局を覗いた病棟看護師カレン・ホッグスは興味津々で箱の中を覗き込んでみたが、箱の中央に鎮座していたのは大きなガラス瓶で、見覚えのある色の粉末がぎっしりと詰まったその瓶を手にして、カレンも首を傾げた。
「これって……ココア? カカオ豆じゃないの?」
言葉も出せずに首をブンブンと縦に振ったジャスティンは、予想もしなかった展開にテーブルに突っ伏してまたため息をついた。
ダンボール箱に同封されていたフランス国第三外人部隊部隊長のエル大佐の手紙に依ると、やはり仏領ギニアではカカオ豆を他国に融通する程の収量は無く、子供達にチョコレートやココアを味合わせたいというジャスティンの熱意を聞いていた大佐は、態々隣国のブラジルに赴いて手に入れた貴重なココアパウダーをジャスティンへと送ってくれたのだった。
「これでチョコレートって作れるのかなぁ?」
「でも、ココアはやっぱりココアよね。ココアパウダーからチョコレートって聞いた事無いわ」
料理には詳しいカレンだったがココアパウダーからチョコレートを作る技術は知らないらしく、さぁと首を竦めた。
「でも、ココアでも子供達喜ぶんじゃない? それにほら、一緒にこんなに沢山砂糖も入ってるし」
ココアパウダーと一緒に同量以上の貴重な砂糖も同封されていて、「せめて子供達に甘くて美味しいココアを飲ませてあげて下さい」というエル大佐の温かな心遣いには感謝したジャスティンだったが、ビアンカにチョコレートを食べさせてやりたいという野望は軽やかなパウダーと共にサラサラと消え去ろうとしていた。
「やぁ、ジャスティン。久しぶりだね」
次の休日には諦めてココアパウダーをW校へと持ち込んでココアだけでもと思い始めていたジャスティンの前に、白衣を翻した大男が目尻の下がった蒼の瞳でニコニコと笑っていて、やるせなさそうに手を上げたジャスティンは、スティーブ・フェアフィールド医師に気だるく挨拶を返した。
「ソフィーが退院してからは余り見かけなくなったよな」
ジャスティンが眉を顰めて見上げると、スティーブは慌てて首をブンブンと振った。
「そんな事ないよ。ちゃんと月一回はホームドクター科の会合には来てるし、姉さんの通院日にも合わせて来てるよ。ジャスティンが忙し過ぎて会えないだけだよ」
それを言われるとそれもそうかとジャスティンはボリボリと頭を掻いて誤魔化した。
「そうだ。八月に姉さん結婚する事になったんで、ジャスティンも式に参列してくれないかな」
唐突に弾ける笑顔になって嬉しそうにジャスティンの肩を叩いたスティーブを見上げて、ジャスティンは目をパチクリさせた。
「もうとっくにエドガーと結婚したんだとばかり思ってたぞ」
「姉さんは四人が帰ってくるまで待ってるつもりだったんだ。でも八月になったら結婚するって言い出して」
ソフィーが翻意した理由はスティーブにも分からないらしいが、それでも姉が最愛の人と生涯を共に生きる道を選んだ事が嬉しいらしく、何時もよりも目尻を下げて嬉しそうに笑っていた。
「それで今回はリンダも一緒に来たんだ。昔の、と言っても前世で劇場の衣装係をやってた頃の事なんだけど、知ってる生地の卸問屋の倉庫に保管してあった良い絹の生地が手に入る事になったんで、それで姉さんのウェディングドレスを作る事になって」
ソフィーの婚礼衣装姿はさぞかし美しいだろうと頭に思い描いたジャスティンもうんうん頷きながら笑っていたが、ふと思い出してスティーブに聞いてみた。
「リンダは確かお菓子作りにも詳しいだろ? ココアパウダーからチョコレートって作れるのか聞いてみてくれないか」
「いいけど……何で?」
キョトンとしたスティーブを見上げ、ジャスティンはしかめっ面で無言で頷いた。
「ココアから作るんなら簡単なのよ。カカオ豆から作る方が素人には無理よ」
そう言って苦笑いを溢しているリンダの両手を掴んでブンブンと振り回し、ジャスティンは瞳をキラキラとさせて何度も頷いた。
『ガイア2100』にあるソフィーの居室を訪れているリンダを訊ねたジャスティンは『最後の砦』リンダの頼もしい返事に満面の笑顔になったが、リンダは採寸道具を片付けながらも小首を傾げてジャスティンを振り返った。
「で、何でチョコレートなの? 確かに最近では見かけなくなったけど他のお菓子もあるでしょ?」
問われたジャスティンはボリボリ銀髪を掻いて暫く黙していたが、やがてキリッと引き締めた顔を上げた。
「俺も、ビアンカや子供達に、新しい世界の希望を届けたいんだ。今の子供達は、俺達が今迄普通に享受してた物を見た事も無ければ食べた事も無い。俺達が自分達の手で失った物の代償の、その象徴がチョコレートのような気がするんだ。だから俺は、俺自身の手で取り戻して、子供達に食べさせたいんだ。あの幸せの味を」
真顔で語るジャスティンを、リンダも、そしてソフィーと婚約者エドガーも黙ったままじっとと見返していたが、やがてソフィーが口元を緩めて笑みを浮かべて「そうね」と言った。
「きっと子供達も喜ぶと思うわ。いい思いつきね、ジャスティン」
才媛に褒められた事でパアッと明るい表情になったジャスティンは、得意げに胸を逸らして自分自身にうんうんと頷いた。




