第十一章 第七話
結局ジャスティンは食べ掛けの皿もそのまま足音高く二階の自室へと上がってしまい、取り残されたビアンカは不安そうにカレンを振り返った。
「仕方ないわ。これは、ジャスティンが自分で乗り越えなきゃならない事ですもの」
薄っすらと苦笑を浮かべながらジャスティンの食べ残しの皿を手に取ったカレンに、ビアンカも小さくため息をついて「そうね」と呟いた。
ベッドに横たわって天井を見上げながら、ジャスティンは怒りの収まらない赤い頬で口を真一文字に結んでじっと考え込んでいた。
己の未熟さは十分理解していたし、それが故に実践出来る機会を逃さずに研鑽を積みたいという思いが行き場を失ってジャスティンの心の中に降り積もって、もどかしい思いを抱えてジャスティンは目を閉じた。
「あの、先輩」
微かなノックの音と共にアンガスの遠慮がちな小さな声が聞こえたが、ジャスティンは無視を決め込んでクルリと寝返りを打った。
「ちょっと。開けてくれないとアンガスは私達と一緒に客間で寝る事になるんだけど?」
そしてつっけんどんなカレンの声にジャスティンは勝手にしろと一層剥れて眉を寄せたが、「あっそ」というカレンの冷淡な返事が聞こえて不機嫌な眼差しを扉へ向けた。
「じゃあ、悪いけどアンガス、ビアンカと寝てくれない? 私寝相が悪いから」
「待て! ちょっと待て!」
肩で息をして扉を大きく開け放ったジャスティンの焦りの浮かんだ顔を見て、カレンはフフンと鼻で笑った。
「先輩、済みません」
二人掛けのソファにペタンと座り込んで、毛布を抱えて鼻を鳴らしながら見上げているアンガスに背を向けたまま、ジャスティンは無言でまだ剥れていたが、本当はアンガスには何の非も無く、謝る必要は何処にも無い事を分かっていただけに、やるせないため息と共にジャスティンは振り返った。
「別にお前が悪いわけじゃない。あのクソ親父が極悪非道なだけだ」
「でも」
アンガスは言い難そうに口篭ったが、顔を引き締め直し真っ直ぐにジャスティンに向き直った。
「ノーマン先生が僕だけに教授しようとするのには、理由があるんです」
アンガスの真剣な眼差しをジャスティンは眉を寄せて見返した。
ジャスティンが軍を辞めて小児科医になると言って故郷に戻ってきた時、顔にこそ出さなかったがノーマンはとても喜んだのだと、アンガスはポツリポツリと話し始めた。
「でも、先輩は聖システィーナ地区に自分の医院を開くつもりだと知って、それがビアンカの為だとは分かってはいてもノーマン先生はとてもがっかりしたんだそうです」
それについては一言も言い訳出来ないジャスティンは口を噤んだままだった。
「頼りにしてくれている患者さんも多くて、後継をどうしようかとお二人でずっと悩んでいたんだそうですが、だから僕が此処で働きたいと言った時、ノーマン先生はとても喜んでくれました」
「ちょ、待て。今何て言った?」
聞き間違いかと思い聞き直したジャスティンだったが、アンガスは至極真面目な顔でもう一度言った。
「僕が研修を終えたら此処で働きたいと」
「へ?」
凛々しい顔付きのアンガスは、もう迷子の仔犬には見えなかった。
アンガスは国立中央病院の小児科でも信頼を得ていて、てっきりそのまま病院に残るんだとばかり思っていたジャスティンは、自分の代わりとしてこの医院を継いでくれるというアンガスを、半分口を開けてポカーンと眺めていた。
「だから、内科だけで無く外科、整形も含めて地域医療で遭遇する事案に、出来るだけこの機会に僕に体験をさせたいというお考えがノーマン先生にはあるんです。決して、先輩を蔑ろにしているとかそういうんじゃなくて」
「ああ、分かったアンガス。でもな。お前にはお前の道がある筈だ。別に俺の為に無理して道を曲げなくても――」
「いいえ、先輩。これは先輩の為じゃなくて、僕自身の為に選んだ道なんです」
バリバリと銀髪を掻き毟りながらアンガスを諭そうとしたジャスティンを遮って、アンガスはきっぱりと言った。
「僕も、小児科医として生まれ変わった新しい世界に貢献したい。それは此処で無くても国立中央病院でも出来るのかもしれないけど、先輩が生まれ育ったこの場所で、先輩のご両親が心血を注いでこれまで守って来られたこの場所を守りたいと、そう思ったんです」
穏やかに微笑むアンガスの顔は一層大人びて、逞しく育った仔犬が自分の道を見付けて一心不乱に駆け出そうとしている様に見えた。
「それでいいのか? アンガス」
自分にとって願ってもない展開なのにどうしても素直に喜べないジャスティンは寂しげな声で訊ねたが、やっぱりパタパタと振っている尻尾が見える笑顔でアンガスはにっこりと笑った。
「お前が心配する事は何も無い。エイドリアン先生は、お前よりも優秀だし飲み込みも早い」
今日は帰路に付くという日の朝、ノーマンが顔を上げずに朝食を頬張りながら淡々と言って、面白くないジャスティンはムスッとした顔のまま黙々とハギスを口に放り込んでいた。
「で、産婦人科はどうすんだよ」
小児科医の後継は見付かっても母オリヴィアの後を継ぐ者が居ないという事に変わりは無く、ジロリと横目で睨んだジャスティンをオリヴィアはクスクスと笑っていた。
「それも心配いらないわよ。アンタはビアンカの事だけ考えてればいいの」
横槍を入れたカレンの、不敵な笑みを浮かべた不遜な顔を睨み返してジャスティンは「ケッ」とそっぽを向いた。
「じゃあ、夕べは僕とカレンが客間で、ビアンカと先輩が同室でも良かったね」
何気ないアンガスの言葉にジャスティンはブッと吹き出して顔を赤らめたが、冷静な顔を上げたノーマンは「おい」と突っ込んだ。
「ビアンカ嬢はまだ十三歳だぞ。英国の法律では――」
「分かってるってば!」
どいつもこいつも人の恋路を邪魔しやがってと、ジャスティンは一層剥れた顔で大きなソーセージを一飲みにして頬を膨らませた。




