第十一章 第四話
そして四月はビアンカの誕生月でもあり、毎年ケーキやお菓子を皆で焼いてくれたり、聖システィーナ地区の花農家シド・ヘインズがここぞとばかりに娘アイリスの子供の頃の華麗な衣装をビアンカへのプレゼントとして持ち込むぐらいで、特段プレゼントを貰っているわけでは無いビアンカだったが、何時も何時もジャスティンがその度に申し訳なさそうに謝るのが唯一の気掛かりだった。
そこで、月曜日の夕方、約束通りにビアンカの様子を見に訪れたジャスティンを捕まえてビアンカは瞳を輝かせて見上げた。
「ジャスティンにお願いがあるの」
一体何を強請られるのかと、ジャスティンは頬をひく付かせた。
ビアンカのお願いとは、一週間のイースター休暇の間、何処かへ旅行へ行きたいというものだった。
「何処でもいいけど、本当はアバディーンがいいなぁ」
「いやでもアバディーンは遠過ぎるだろが。往復したら丸々一週間掛かるぞ。一週間も休みたいって言ったら俺、殺されるわ」
最近の医局長ヒックス・ストライドは見た目の変化と共に以前のように怒鳴り散らす事は少なくなったが、それでも油断すれば容赦ない鉄拳が振り下ろされて、カルテで頭を盛大にぶっ叩かれる事にジャスティンは慣れ始めてきたところであった。
「でも、小児科のお医者様が増えて楽になったんでしょ?」
「それはそうだけど」
ジャスティンは渋い顔で口の中でブツブツ呟きながら、昨日とは打って変わって上機嫌なビアンカを見下ろした。
絶対に許可が下りる筈が無いと思っていたジャスティンだったが、意外にもヒックスはあっさりと許可を出した。
「但し、従前に担当患者へのフォローを念入りにして忘れるなよ」
「って、本当にいいんですか?」
まだ信じられないジャスティンは、その場で自分の頬を抓りたい衝動に駆られたが、辛うじて堪えてヒックスを見下ろした。
「元々は、卒験の近いお前らを研修に専念させるのが目的で医師を増やしてるからな。次の秋にまた研修生が入って来る前にあの二人を指導医のレベルまで上げなきゃならんし」
医局長室で机に向かって淡々と話しているヒックスは、徐に顔を上げてジャスティンをジロリと睨み上げた。
「なので、成果を上げて来いとアンガスに伝えろ」
「へ?」
言われてる意味が分からなくてジャスティンは目を瞬かせた。
「先輩、宜しくお願いしますぅ。あ、僕も一応運転は出来るんで、途中で交代しましょうか」
「あら、私も運転出来るわよ。じゃあ二時間づつ交代ね」
一路北へと向かう濃紺色の小さな車の中には、大きな身体を無理矢理に押し込めて剥れた顔でハンドルを握っているジャスティンと、助手席でウキウキ顔でハミングしているビアンカ、そしてどうしてこうなったのかジャスティンには全く理解出来なかったが、何故か後部座席にジャスティンと同期の研修生アンガス・エイドリアンと、ジャスティンの天敵とも呼べる病棟看護師カレン・ホッグスの二人が此方も浮かれ顔でケタケタと笑っていた。
「でも嬉しいなぁ。ノーマン・ウォレス先生に直接教授して貰えるなんて」
千切れんばかりに振る尻尾が見えるアンガスは、嬉しさにはちきれそうな顔で運転席のジャスティンの顔を覗き込んだ。
小児科医としては名の知れたジャスティンの父親ノーマンから直接指導を受けてみたいとアンガスが言い出したのがそもそもの事の始まりで、以前に学会で顔を合わせた事もあるヒックスもノーマンには一目を置いていて、中央政府経由でノーマンに打診したところ快諾を貰ったというのがこの事態に陥っている元凶であった。
「何でお前が俺の親父を知ってるんだよ」
「そりゃあ小児科を目指す人間なら誰でも知ってますよ。実は僕、子供の頃にお会いした事あるんですよね。親父のインタビューの時に同席させて貰って」
そう言いながら頬を染めたアンガスは、はにかんだ笑顔を見せていて、ジャスティンは「ケッ」と面白くなさそうに呟いた。
「親父は俺以外の子供には甘くて優しいからな。大方『利発そうなお子さんだ。いい医師になれるぞ』とか言って頭を撫でたんだろ」
「ど、どうして分かるんですか!」
全く以て図星だったらしいアンガスは目をひん剥いてパチクリとさせていたが、そんな姿を子供の頃から否と言うほど目の前で見てきたジャスティンには丸分かりだった。
「それがムカつくぐらい当たるんだよな、親父の場合。ペルテス病の子供には『治ったら立派なサッカー選手になれるぞ』って言って、そいつ本当に大学でMVP取るぐらいの選手になってさ。他にも、色彩感覚を褒めた子は今はデザイナーだし、上げればキリが無いくらいに当ててるんだよなぁ」
「それ、単純に当ててるんじゃないわよ」
不満げなジャスティンの背後からカレンが鼻で笑った。
「貴方のお父様は観察眼がとても優れていらっしゃるのよ。子供を注意深く観察してその子の特性を見抜き、子供達の感性を刺激して育てる事に長けておられるんだわ」
「じゃあ、俺はどうなんだよ。そんなお優しい言葉を一度も掛けて貰った事ねぇよ」
ジャスティンは益々剥れて口を尖らせたが、助手席のビアンカがフフンと笑って口を挟んだ。
「自分の子供の事となると、愛情が先に立って冷静には見ていられないんじゃない、きっと」
「ビアンカ、良く分かってるわねぇ」
「うんうん、的確な分析だね」
一体アレの何処に愛情があるんだよと心の中で悪態をついているジャスティン一人を取り残して、子供みたいにはしゃぎながら笑い合っている三人を乗せて、それでも車は順調に北へ向かって走って行った。
*1……ペルテス病。子供の股関節の病気。




