第十章 第八話
ハワード・ライアン医師は全ての延命治療を拒否しただけで無く、痛みを軽減するための投薬すらも拒否しようとして担当医となったスティーブに叱られた。
「先生、アンダーソン先生や僕の祖父が心血を注いだ終末期医療が受け継がれなくなってしまいます。僕に治療をさせて下さい」
スティーブに真顔で言われると断りようも無く、ライアン医師は苦笑を浮かべて治療を了承した。
「スティーブ、患者の疼痛階段を見極める事が重要だ。表情や仕草、疼痛間隔などきめ細かく観察し、適切な投薬を行う。患者の身体的負担を取り除くだけでは無く、トータルペイン、精神的な苦痛にも対処してこそ初めて緩和ケアと言える」
病床にありながらも若い医師達に指導を続けたライアン医師は、長年多忙な夫を支えた老妻と病院内の医師や看護師、スタッフらに見守られて最後は眠るように息を引き取った。
ライアン医師の葬儀の日、ジャスティンはやはり病棟内を走っていた。何時も以上に機敏に動き、眉間に皺の寄った険しい顔は彼の強い意志の表れでもあり、重苦しい空気に沈みがちな小児科病棟の看護師達の間にもジャスティンの気概が伝わったのか、誰もが少しピリピリとした雰囲気が流れる空気からも感じられた。
ところがそんな空気が入院中の子供達にも伝わってしまったのか、どの子も少し不安そうで身の置き所の無いソワソワとした表情で、そんな子供達の元を訪れたスーツの上に白衣を纏った男は一人だけ柔らかい笑みを浮かべていた。
「バーニー、今日はちゃんとお昼ご飯食べられたかい?」
一型糖尿病を抱える男の子は、ニコニコと微笑んでいるこの男、アンガス・エイドリアン医師を見上げて最初はオドオドとした顔をしていたが、やがて笑顔になって「うん」と笑った。
ニコニコ笑いながら子供達に次々と声を掛けていくアンガスは、やがて笑顔を取り戻した子供達に囲まれて、一層楽しそうに笑顔を見せていた。
「やるわよね、アンガスも」
そんなアンガスの様子を遠目にじっと見ていたジャスティンの隣に病棟看護師カレンが何時の間にか立っていて、チラリと横目で見たジャスティンは口をへの字にした。
「何だよ、お前葬儀に参列してたんじゃなかったのかよ」
「行ったわよ、アンガスと一緒に」
カレンはピンク色の術衣の大きな花の形をしたポケットに両手を入れてフフンと笑った。
「あの笑い方、ライアン先生みたいよね」
確かに子供達から『おじいちゃん先生』と慕われていたライアン医師の朴訥とした笑顔に見えて、ジャスティンは「ああ」と言った後口篭った。
「でもまぁ、気合いが必要なのも確かだし、ウォレス先生もいい顔してるわよ」
ケラケラと笑った後ジャスティンの背をバンバンと叩いたカレンは、呆気に取られているジャスティンを置いて、戦場へと向かって歩き出していた。
気合いは十分でも寂しさの消えないジャスティンは、休日に一人花を買ってライアン医師の眠る墓地を訪れた。
真新しい真っ白な石に刻まれた彼の年譜を暫し見つめて、幾つもの花束が供えられた墓にジャスティンも花束をそっと置いた。
今日は平日で学校ではまだ授業中の筈だったが、ジャスティンの寂しさを癒してくれる存在は唯一人だけで、自然と足を向けていたW校はやはり静かな風に木々が揺れているだけで大講堂へと向かうメインストリートに人影は無く、うら寂しい思いを抱えて歩いていたジャスティンはため息をついて東の森にある寄宿舎の方角へと足を向けた。
ビリーも授業中で居ないかもしれないとは思いながら、うっそうとした木々に囲まれた小道を進んだ先に寄宿舎の赤い屋根が見えてきて、玄関先の階段にちょこんと腰を下ろしている人影に気付いたジャスティンは目を丸くした。
「ビ、ビアンカ?」
「ジャスティン!」
授業中の筈のビアンカが弾ける満面の笑顔で駆け寄って来るのを、ジャスティンは呆然と見ていた。
「きっとジャスティンが来るって思ったの。だからちょっとお腹が痛いって言って医務室に行って、オハラ先生に行ってもいいですかってお願いしたの」
ペロッと舌を出したビアンカに呆れてジャスティンは「あのなぁ」と渋い顔をした。
「よくオハラ先生も許可したな」
「だって、ライアン先生が亡くなってジャスティンがとっても悲しんでるんだって言ったら、オハラ先生も分かってくれたわ」
カメリアも夫であるヒックスと共にライアン医師の葬儀には参列していた筈であった。
同じ悲しみを抱える者として、その痛みの深さを理解してくれていた事と、ジャスティンとビアンカの強い結び付きにも理解を示してくれている事にジャスティンは内心で感謝した。
後は黙ったままジャスティンに腕を回しギュツと抱き付いているビアンカの柔らかい温かさが愛おしくて、自分が何を求めているのか分かってくれているビアンカが愛おしくて、風に揺れる長い金髪を撫でていたジャスティンは小さな身体を思いっきり抱き締めた。




