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Virgin☆Virgin  作者: N.ブラック
第十章 冬があるから春が来る
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第十章 第七話

 ジャスティンに縋って盛大に泣いた日の翌日、綿雲の切れ間から暖かい日差しが降り注ぐ屋上で、アンガスはお茶のカップを片手にテムズ川を見下ろしているカレンの傍らで、少し腫れぼったい瞼を俯かせてそれでも少しはにかんだ笑顔を見せていた。



「ここ最近に無い良い顔してるわね」

「そうですか? 瞼がこんなで僕史上最悪の顔なんですけど」

 ニヤリと笑ったカレンにクスッと笑みを返したアンガスは両掌で小さな紙を弄んでいた。

「貴方の為なら胸を貸そうって乙女が院内には沢山居るのにねぇ」

「そうですか? 皆そんなには――」

「居るのよ、アンガス。貴方が気付いていないだけで」

 少し不満げな顔で口を尖らせているアンガスを見下ろして不敵に笑ったカレンは、目をパチクリさせた後フッと優しい笑みになったアンガスの表情の変化を見ながら、此方も優しい笑みになった。

「そうですか」

 アンガスはメモ用紙を小さく千切った紙に目を落としたままで、其処に書かれている『Justin』の文字をカレンには見られないよう気をつけながら折り畳んでいて、フェンスを振り返って折り上がった小さな紙を眼下のテムズ川に向かって放り投げた。

 小さな紙飛行機は頼りなくユラユラ揺れて風に誘われる様に舞い、陽光を返して煌くテムズ川の白色に紛れて溶けて消えていった。




「僕、養子だったんです実は」

 ロンドンで唯一営業をしている飲食店『ガイア2100』にあるレストランでカウンターに並んで座っているアンガスとカレンは、夜ともなると流石にまだ客は戻っていない静かな店内で、密やかに会話を交わしていた。

「僕は養父の妹、つまり叔母夫婦の子供だったんですけど、叔父が病弱で生活に困った叔母は僕を実の兄に売ったんです」

 氷を入れたスコッチウィスキーを嗜んでいたカレンのグラスが、カランと小さな音を立てた。

 売ったという表現は幾ら何でも大袈裟なんじゃないかとカレンは内心で思ったが、それがアンガスの苦悩の深さなんだろうと口には出さずに黙って聞いていた。

「養父母はとても厳しい人達で、一歳の頃から預けられていた僕は誰かに甘えるという事を知りませんでした」

 二杯ほどのエールで少し顔が赤くなってきたアンガスは、自虐的な笑みを浮かべて残りのエールを一気に呷った。

「でも、僕が六歳になると養父母は本性を見せ始めたんです。本当の悪魔の顔を」

 バーテンダーが静かに新しいグラスをアンガスの前に置いたが、アンガスはグラスの中で小気味よく弾ける小さな気泡を暫く眺めているだけだった。


 アンガスが何故女性達を虜にするのか、その為の技術はその時に養父母に徹底的に仕込まれたものだったとアンガスは不思議な笑みを浮かべて言った。

「男も、女も。何処をどうすれば悦ぶのか。僕は教え込まれて彼等の奴隷にされてたんですよ。所謂性奴隷ってやつですかね」

 顔は笑っているのに、泣いているようにしか見えないアンガスの濡れた瞳をカレンは黙って見続けていた。


 非情な養父母はまだ子供のアンガスにパイプカット手術を施し、不用意な妊娠をさせないようにして毎晩弄んだと聞いて、カレンの顔は薄明かりの店内でもはっきり判るほど赤らんで震える手からはその怒りの深さが読み取れた。

「まぁ、今思えば、まだ二次成長も迎えていない子供にその術式が可能かと言われれば不可能としか言い様が無いんですけどね。でも実際僕は今迄誰も妊娠させた事ないんで、多分本当なんでしょうね」

 少し温くなったエールのグラスをようやく手にしたアンガスは、ほんの僅か口に含んだだけでグラスをテーブルに置いた。

「でも僕は逆襲したんです。あいつらに」

 ニコッと笑った顔は何時もの屈託の無いアンガスの笑顔だった。


 手練手管を覚えこまされたアンガスは、それを逆手に取って逆に彼等に自分無しではもう生きていけないようにしたのだと得意げに笑っていたが、緑色の瞳は笑っておらず、沈み込んだ闇色が浮かび上がって黒ずんで見えた。

「立場の逆転はあっという間でした。奴等は僕の機嫌を取るようになって僕は『勝った』と思ったんです」

 確かにその時はそう勝ち誇ったアンガスだったが、今にして思えば一体何に勝ったんだろうと、アンガスは宙に視線を投げた。

「僕は如何にして人を手玉に取るか、それだけを考えて生きてきたんです。ずっと」

 酒が余り強くないアンガスはもう飲めないのか、気泡を空気中に弾けさせ続けているエールをじっと見ているだけだった。


 カレンはずっと黙ってアンガスの独白を聞いていた。余りに壮絶な彼の人生に「もうやめて」と遮りアンガスを抱き締めたい衝動に駆られたが、それはこれ以上彼の告白を聞きたくない自分の恐怖心によるものであり、決して逃げずにアンガスと向き合う決心をしていたカレンは歯を食い縛って黙って聞いていた。





 帰りの足取りは少しほろ酔い加減で、頼りなく左右にフラフラと揺れるアンガスの身体を守る様に腕を回して、カレンもゆっくりとした足取りで病院裏の看護師用宿舎へと向かっていた。

「僕ね、先輩が羨ましいんです。本当に真っ直ぐで」

 クスクス笑っているアンガスは甘える様にカレンを見上げた。

「真っ直ぐなだけが取り得の男ですもの」

 カレンの辛らつな言葉にもアンガスはクスクス笑い続けていて、「でもね」と言葉を続けた。

「僕昨日分かったんです。僕は先輩に子供みたいに甘えたかったんだって。何も言わないで抱き締めて欲しかっただけなんだって」

「そうね。この話を聞いたら、頭ん中をパンクさせてでもアイツは貴方を守ろうとするでしょうね」

 怒りの感情が発生するとボサボサの銀髪が余計膨らむ事に気づいているカレンは、頭が爆発したジャスティンの様子を思い浮かべてケラケラと笑った。

「だから僕もういいんです。愚痴を聞いてもらってすっきりしたし」

「ちょっと、それじゃアイツがお父さんポジションでアタシがお母さんポジションって事?」

 こんなデカイ子供を持った覚えは無いとプリプリと頬を膨らませているカレンを見上げて、アンガスはまたクスッと笑った。

「じゃあ、お姉さんポジションで」

「うーん、まぁしょうがないわね」

 妥協したカレンは豪快に笑って、千鳥足の二人は機嫌良さそうに夜の街を歩き続けた。

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