第十章 第五話
多胎時には早産のリスクが単胎時よりも増大するという事は事前に分かってはいたジャスティンだったが、妊娠九ヶ月目を迎えても合併症も無く無事だったマリアはこのまま臨月を無事に迎えられそうだと思っていただけに、マリアの急変はショックだった。
マリアの突然の異変に気付いたのは、リハビリからの帰り途中で見舞っていたハナとヘザーだった。
「奥方様! 奥方様は?」
慌てているジャスティンはどちらがどちらか分からない呼びかけをしたが、出産経験のあるヘザーは流石に落ち着いていて、ハナも浮き足立っているジャスティンをフンと鼻で笑った。
「破水したからね。予定通り帝王切開される事になったでお前さんの出番は無いよ。もう少し医者らしく落ち着く事だね」
既にマリアの姿はベッド上には無く、大きく肩で息をしたジャスティンは、今度は手術室へとダッシュで駆け抜けて行った。
「本当にあの子は相変らずだね」
首を竦めて呆れ顔をしたハナを、ヘザーは小さくクスッと笑った。
今日は班長殿は姿が見えず、もう直ぐ出産の知らせが無事に届いているのかヤキモキしながら手術室の前を行ったり来たり繰り返しているジャスティンは、手術中にも関わらず突如として開けられた扉にギクッと振り返ったが、大きなマスクと髪を覆う帽子で覆われ目だけが僅かに覗いている看護師がジロリとジャスティンを睨んだ。
「ウォレス先生、術着に着替えて中に入れというご命令よ」
願っても無い展開にジャスティンは大声で「了解しました!」と返していた。
相次いで取り上げられた男の子二人は多胎時の特徴である小さな身体をしていたがそれでも二千グラムに近い大きさで、状態次第では直ぐに新生児集中治療室へ運ばねばならなかったが、盛大に泣き声を上げている男の子達は心機能などにも問題は無さそうで、母子共に健康である事をジャスティンは心の底から喜んでいた。
まだ麻酔の効いているマリアは薄目をぼんやりと開けて泣き声の主を必死に探していたが、二人の看護師の腕に其々抱き抱えられて全身を真っ赤にして泣いている我が子達の姿を見たマリアの眦から一粒の涙が零れ落ちて行くのを見て、こんな時でも、否こんな時だからこそ奥方様は本当に美しいと、ジャスティンも眦に浮かんだ涙を光らせた。
感動に打ち震える間も無くジャスティンも小児科医としての任務に励み、新生児達に予期せぬ疾病が隠れていないか慎重に検分した結果も良好なデータばかりで、新生児用カートに載せられた男の子達を見下ろして満足感で微笑んでいた。
先に産まれた子、兄は黒髪に淡い茶色の瞳で、大きな口を開けてまだ盛大に泣いていたが、弟は黒い髪で黒い瞳をクリクリと動かしていて、もうすっかり泣き止んで小さな欠伸までしていて、其々の顔付きの違いを確認したジャスティンはカルテに『二卵性』と書き込んだ。
「お前が見るからに暇そうだったからストライド先生を呼ぶまでも無いなと思ったんだが、正解だったな」
口の悪い産婦人科の主任医師に辛口を叩かれて恐縮至極のジャスティンは運ばれていく母子達の後から術着のまま手術室を出たが、その場に制服制帽姿のザイア少佐が立っているのを見て、また反射的に敬礼を返していた。
「ウォレス先生、世話になった。ありがとう」
妻子の無事な姿を見届けて柔らかい安堵の浮かんだ表情のザイア少佐を見て、また感動がぶり返したジャスティンはブンブンと首を振りながら零れ落ちそうな涙を振り払った。
「とんでもありません。母子共に健康であられて、男子二名二卵性双生児でありました。みんな、みんな元気です!」
零れる笑い顔と共に敬礼を返したジャスティンを、ザイア少佐は嬉しそうに頷きながら見ていた。
「かっわいいーー! ちっちゃーーーい!」
翌週の週末に早速赤ちゃん達を見に来たW校の子供達は全員が大はしゃぎで、何度も看護師に叱られてはペロッと舌を出していた。
「何だよ、どっちもレオ似なのかよ」
不満げな顔なのはロドニーで、マリアに似た女の子では無い事が不服らしく、今日は私服で付き添っているザイア少佐をジロリと睨んだ。
「そうでもないぞ、この子は瞳が茶色だからな」
小さな赤ちゃん達は人見知りをしないらしく、代わる代わる覗き込む子供達の顔をしげしげと眺め返していて、小さな手を口に咥えたり足をパタパタと動かして機嫌良さそうであった。
二台横に並べられたベビーベッドを取り囲む子供達を微笑んで見ながら、マリアは隣に座るヘザーに笑い掛けていた。
「奥方様もお子様も皆ご無事で良かったです」
ザイア少佐の隣にはAAS大隊S班班長のネルソン・アトキンズ大尉がにこやかに笑いながらザイア少佐に声を掛けていて、照れた頬を緩めたザイア少佐は「ああ」と言葉少なに微笑んだ。
「お名前はもうお決めになられたのですか?」
ヘザーに見上げられたザイア少佐はフッと口元に笑みを浮かべると「ええ」と頷いた。
「上の子はニコラス、下の子はダニエルと名付けようかと」
その理由を知るネルソンは眼を見開いてザイア少佐を振り返った。
確かに上の男の子は瞳の色も髪色も自分達が嘗て失ったニコラスと同じで、先程ダニエルは自分が必死で蘇生を試みていた時と同じ笑みで自分を見上げた様な気がしていたネルソンにはきっと神様があの二人を自分達の元へと帰して下さったのだとしか思えず、妻にゆっくりと頷き掛けながら微笑んでいるザイア少佐の穏やかな横顔に、ネルソンは声にならない思いを噛み締めて唇を震わせていた。
「きっと、二人ともやんちゃで元気な男の子になるわ」
「いや、きっとダニエルは読書好きになるぞ。絵本を沢山用意しないとな」
「ザイア少佐殿、それは自分にお任せ下さい」
笑顔で言葉を交わす大人達と、まだ赤ちゃんの周りから離れようとしない子供達との笑顔で溢れる病室には、直ぐ傍まで訪れている春の気配が立ち込めていた。




