第十章 第三話
今日は早朝からちゃんと自分で起き出してソワソワ落ち着かないジャスティンは、朝の病棟回診を終えて看護師達との打ち合わせの最中も何処か心此処にあらずといった風情で一応真面目な顔をしているがチラチラと何度も時計を見ては目を逸らし、そんな挙動不審なジャスティンに目聡く気付いたカレンは投げ遣りな嘆息をついた。
「ウォレス先生、ちゃんと聞いてる?」
「え? 何だよ、ちゃんと聞いてるぞ、カレン」
図星を隠す為かムッとした顔を返したジャスティンを見上げて、カレンはもう一度ため息をついた。
「後五分で終わりますから、これが終わったら行ってもいいですよ、ウォレス先生」
そんな二人のやり取りをチラリと上目遣いで見ていた看護師長は、また書類に目を落としてさり気無く言った。
「え、いや、別に。えっと……ありがとうございます」
狼狽した末に認めたジャスティンは素直に頭を下げた。
小児科がある国立中央病院本館三階から猛ダッシュで南側にある新館二階の産婦人科まで駆け込んだジャスティンは、肩で息をしながら目的の部屋を探し、ナースステーションにほど近い個室にその探していた患者番号が下げられているのを見て、ようやく大きく息をついた。
扉が開け放たれた部屋の中では、背の高い黒髪の男性がベッドに横たわった女性に微笑み掛けていて、ジャスティンに気付くと一層穏やかに微笑んだ。
「ウォレス先生、忙しいのに済まんな」
ザイア少佐に声を掛けられるとつい反射的に敬礼を返してしまうジャスティンは、「ジャスティン・ウォレス、入ります!」と軍人だった頃の様に直立不動になってからニカッと笑った。
尊敬する永遠の班長殿、ザイア少佐の妻マリアが双子を出産するために設備の整った国立中央病院に転院すると聞いてからこの日をずっと楽しみにしていたジャスティンは、明るい日差しが差し込む病室で変わらぬ天上の笑みで微笑んでいるマリアにも敬礼を返して笑い掛けた。
「奥方様も体調が良さそうで何よりです」
最近何処かでこの台詞を言ったような気もしたが、まぁいっかと思い直したジャスティンは、もう病衣に着替えベッドに入って起き直っているマリアを見下ろした。
元々ジャスティンは修道服姿のマリアしか見た事が無く、昨年の六月の班長殿との結婚式で初めて修道服以外のマリアを目の当たりにしたのだが、こうして病衣を纏っていてもマリアは変わらず美しかった。
艶のある茶色の髪は肩ぐらいの長さで、大きな茶色の瞳に溢れる慈愛の光が零れ出し、化粧もしていないのに艶やかな口唇は紅色に輝いて、自然と聖母像を思い浮かべるその微笑には誰の心をも癒す力があるだろうと思われて、もう既に母の顔になっているマリアをジャスティンは感慨深げに目を細めて見ていた。
「どうぞ宜しくお願い致します、ウォレス先生」
「いえいえいえ。呼び捨てで構いませんので」
この二人から先生と呼ばれるとどうにも身体の奥底がむず痒くてブンブンと首を振ってしまうジャスティンは、二人共が落ち着いている様子なのを確認して、顔を上げてキリッとした表情になった。
「それで、お二人をご案内したい場所があるのですが」
そしてニヤッと笑ったジャスティンは何処か得意げだった。
マリアには車椅子を用意しゆっくり歩いて本館の八階までやってきたジャスティンは、特別室の扉をノックして二人を誘った。
「レオ! マリア!」
二人の姿を見た途端泣き出しそうな顔でドスドスと足音を立てて駆け寄ってきたハナを愛おしそうに抱き締めて、ザイア少佐は嬉しそうに笑っていた。
「ハナ、久しぶりだな。元気そうで良かった」
「ハナ、お久しぶりです」
まるで我が子と再会したかのように喜んでいるハナの大きな背の向こう側で、ベッドに起き直って座っているヘザーも、喜びを頬に表して微笑んでいた。
「またお会い出来て嬉しいわ。ザイア少佐殿、奥方様」
「奥方様もお元気になられて本当に良かったです」
今はリハビリのために少しずつ歩行訓練も始めているヘザーは、本来ならこの三月に退院する予定だったが、今年はエディンバラも雪が多くまだ寒いという事で、ヘザーの退院は春を迎える五月へと延期が決まっていた。マリアの転院を耳にして喜んでいたヘザーはすれ違いになりそうだとがっかりしていたが、延期の気落ちを癒してくれるマリアの笑みを嬉しそうに見つめて、健康そうな薔薇色に染まった頬で少女の様に嬉しそうに笑った。
此処は病院内で二人とも病衣姿なのに、そんな事でさえ彼女達の美しさを損なわせる事は出来ないんだなと、微笑み合う二人を前にして、ジャスティンは一人しみじみと物思いに耽っていた。
去年の暮れにW校で行われたダンスパーティの席で着飾った美女達を目の当たりにしたジャスティンだったが、そんな正装すら必要としない二人の美女は別格だなと一人内心で頷いていたが、でもとふと思い直した。
『アルカディア』の女性達にも普段の農作業姿から迸る生命力の溢れる美しさがある事を思い出し、そして、何よりも自分の大切な婚約者ビアンカの何処も飾る処の無い素の美しさを頭に思い描いて、一人納得してうんうんと頷いていた。
――やっぱ、女性ってのは皆美しいわ。
泣きべそ顔から一転して弾ける笑顔になったハナがこれでもかという勢いでスコットランドのお菓子を傍らのソファテーブルに並べ始めると、笑い声の溢れる病室内の空気が一層暖かくなったように感じられて、ジャスティンは満足そうに微笑んでいた。




