第一章 第七話
ビアンカの事を院内に広めた人物が、実は意外な場所に居た事をジャスティンが知ったのは、その休日の翌日の事であった。
「はい、ジャスティン。元気そうだね」
穏和な眦の下がった蒼の瞳を細めて、長身のジャスティンよりも更に五cmは高い長身の男は、術衣の上にコート型の白衣を悠然と羽織って、にこやかに笑っていた。
「ああ、スティーブ。久しぶりだな」
英国の湖水地方にあるコミュニティ『アルカディア』で診療所の医師を務めるスティーブ・フェアフィールドは、この国立中央病院所属の医師でもあった。
「今日はソフィーの診察か?」
一階のスタッフルームで顔を合わせた、軍時代から見知った顔であるスティーブに、ジャスティンはその頃からのタメ口で首を竦めてみせた。
「うん。リハビリの進捗の確認にね」
最上階の特別室に長期入院しているソフィー・フェアフィールドはこのスティーブの実姉で、稀代の天才と呼ばれる才媛だが、四肢切断、内臓損傷など世界崩壊時に受けた拷問による身体の損傷が酷く、ようやく再生治療が完了し、甦った身体のリハビリが行われている最中であった。
その姉の主治医の一人として治療に携わっているスティーブは、ジャスティンよりも一歳年下ではあったが医師としてのキャリアは上で、再生医療班の他、ホームドクター科の非常勤医師でもあり、他の医師を指導する立場だったが、そんなことをおくびにも出さず何時も柔和な笑顔の男は、凡そ医師らしくない、人懐っこい笑顔でジャスティンに笑い掛けた。
――アンガスに似てるな。迷子の仔犬二匹か。
二人が並んで鼻を鳴らしている様子を思い浮かべて、思わず吹き出しそうになったジャスティンは、堪えて「コホン」とわざとらしく咳をした。
「そういえば、ビアンカ入院したんだってね。大丈夫だったの?」
急に表情を曇らせた何も知らないスティーブに、ジャスティンはカラカラと笑った。
「大丈夫も何も、仮病だったから」
「そっか。じゃあ、ビアンカちょっと心配になっちゃったのかな。ジャスティンを取られると思って」
スティーブはニコニコと笑って言った。
「結構女子に人気あるモンね、ジャスティン。でもビアンカがまだ十一歳って言ったらみんな驚いてたけど」
内心では、お前かと胸倉を掴みたい煮え立つ思いをようやく押し留めて、ジャスティンは屈託の無いスティーブの顔を、下から眺め上げた。
「つまり、ビアンカが十一歳だってバラしたのは、お前ってこと?」
「うん」
キョトンとした顔のスティーブに、ジャスティンは諦めたようにハァとため息をついて首を振った。
「俺がその所為で『ロリコン』って呼ばれてるって知ってる?」
「えええ」
それでようやく気付いたスティーブは、まん丸に目を見開いた後、ショボンとした顔で「ごめんよ、ジャスティン」と呟いて、本当に迷子の仔犬がキュンキュンと鼻を鳴らしているようなその風情に、ジャスティンは益々大きくため息をついた。
スティーブは見た目通りの裏表の無い性格で、その発言の裏にはジャスティンを貶める気も揶揄する気持ちも全く無かったのは疑いもなく、それだけに皆が素直にスティーブの言葉を信じたのも無理らしからぬことであった。
「僕が皆にジャスティンはロリコンじゃないって言おうか?」
大きな身体を竦め上目遣いでジャスティンを見返すスティーブに、ジャスティンはフルフルと首を振った。
「今更何言ったって、ビアンカが十一歳なのは事実だしな」
ジャスティンの諦めの言葉にスティーブは益々しょげ返って顔を俯けたが、なんだか自分がスティーブを苛めているような気持ちに苛まれて、ジャスティンはフゥとため息をついて空を見上げた。
「俺がビアンカを愛してるのも事実だし、それが一般的にロリコンに見えるのならしょうがないって事だ。気にするな、スティーブ」
「でも」
「いいんだ」
フッと笑って首を竦めたジャスティンをスティーブは心配そうな蒼の瞳で覗き込んだ。
「ジャスティンは全然ロリコンじゃないよ。『絆』の相手がたまたまビアンカだっただけで、ジャスティンはちゃんと彼女が大人になるのを待ってるじゃないか」
思わず顔を上げたジャスティンの蒼の瞳に、真顔のスティーブの真っ直ぐな蒼の瞳が映った。
そういえば、とジャスティンは思った。
スティーブはあの『発動』の立役者ハドリー・フェアフィールドの再従兄弟であり、ずっと【鍵】と【核】を支えて、彼らを守ってきた番人の一人でもあった。
特殊な環境に居た彼の感性は一般のそれとは異なり、【守護者】の事にも詳しい彼には、ビアンカの置かれた境遇が理解出来ている筈であった。
――分かってくれている奴は、此処にも居る。
自分は決して四面楚歌ではないという事が分かったジャスティンは口元に小さく笑みを浮かべた。
「大丈夫だ、スティーブ。俺は大丈夫だ」
他の誰が分かってくれなくても、こうして分かってくれている奴が居る、それだけで自分がこの傷を背負って生きていくのも、そうへこたれるモンでもないだろうと、ジャスティンはゆったり細めた瞳で、まだ申し訳なさそうな顔をしているスティーブの肩を叩いた。
『緊急入電、緊急入電。救急搬送三十分後』
和んだ場の雰囲気を一掃し、突然スタッフルームのスピーカーがガーガーと雑音混じりの音を立て始め、流されたそのメッセージにジャスティンもスティーブも医師の顔を取り戻して、険しくなった眉を上げた。
『患者は十一歳、女児。左腹部刺傷。GCSは6。受け入れ態勢の準備されたし』
「GCS6って、ヤバいぞ」
さっきまでの穏やかな雰囲気が一気に消し飛んだスティーブは、眦の上がった険しい顔をジャスティンに向けた。
「至急救命救急へ向かえ! 多量の出血が予想される。輸血要員の手配も忘れるな!」
先輩医師の顔で機敏に指示を出したスティーブに、同じ険しい顔で「了解しました!」と返答したジャスティンは、もう慣れ始めたサンダル履きで、ERへ向かって全力で走り始めた。
*1……グラスゴー・コーマ・スケールの略。意識レベル判定方法で世界的に広く使用されている。点数が低いほど意識レベルが低い。日本ではJCSのほうが一般的。