第八章 第五話
どう考えても、今の今までソシアルダンスの存在を知らなかった英領ヴァージン諸島の子供達にワルツを踊れという方が無理というもので、曲に合わせて優雅に踊っている大人達の隙間を擦り抜けて自由気儘に子供達が跳ね回っている様子は、きっと以前のW校でのダンスパーティとは似ても似つかないのだろうが、それでも世界の復興を祝って明るい顔の皆の姿を眺めているのは、ジャスティンにとっても確かにかけがえの無い思い出になっていた。
「何だよ、ジャスティン。お前『壁のシミ』かよ」
相手の女性を怪我させる前に早々とダンスを諦めて窓辺の椅子に腰を下ろしジャスティンが一人ボーッとしていると、無遠慮に肩をバンバン叩いて豪快に笑い掛けてきたのはジャスティンの天敵とも言うべきケビック・リンステッド国際コミュニティ会議議長だった。
「うるせー。つうか、何でケビックが此処に」
剥れるジャスティンを見下ろしてケビックはフフンと笑った。
「こんな催しがあるのに俺が見過ごす筈ないだろ。で、連れてきた」
「は? 誰を」
「全員とは行かなかったけどな」
キョトンとして入口を振り返ったジャスティンの目の前に煌びやかな正装のドレス姿も麗しい美女が何人も立っていて、途端に頬に紅が差したジャスティンはポカンと口を開けた。
「あんな美女達、何処から連れてきたんだよ」
全員がモデルと見紛う美女達が嫣然と微笑んでホールに歩み入る姿を口を開けたまま目で追いながらジャスティンは呆然と呟いたが、一層ケラケラと笑ったケビックは満足そうだった。
「お前も良く知ってる『アルカディア』の女達だが?」
「へ?」
ジャスティンの記憶にあるのは日に焼けた健康そうな笑顔の女性ばかりで、何時もはジーンズやズボンなどで隠されている細い足にダンス用のハイヒールの靴を纏い、其々が真白く輝く背中を見せてパートナーと優雅に歩く姿に、ジャスティンは開いた目を瞬かせて言葉も無かった。
そう言えばケビックもタキシード姿の正装で、笑顔で歩み寄った黒髪の美女に腕を差し出してニヤリと笑った。
「お前に本物のW校を見せてやるよ」
元々がW校の生徒だった『アルカディア』のメンバーが加わり、一層華やかになった場には歓声が溢れ返った。
流れる様にステップを踏んですれ違う皆に得意げな笑みを浮かべているケビックと視線を交し合ったクリスが妻のエミリーと二人でクスクス笑っていて、ジャスティンも良く知っているスティーブは、この間衣装合わせに来た時とは別人に見える妖艶なリンダと此方は何時もと変わらない穏やかな笑顔を見せていて、パートナーを入れ替えつつ踊るペアの輪の中にBVIの子供達も混じり、宴の最高潮の輪に入れずじだんだを踏みたい気分で眺めているジャスティンの隣には、やっぱりビアンカが何時の間にか立っていた。
「気にしないで何でもいいから踊ればいいのよ。お兄ちゃんみたいにね」
確かにステップも踏まずただ回っているだけのロドニーが満面の笑みを浮かべているのを見ていると、形式や体裁に拘っているのが馬鹿らしく思えてきて、ジャスティンは「おう!」と気合を入れて叫んで、ビアンカの手を引いて踊りの輪の中に飛び込んで行った。
気にせずとは言いつつも頭の中で基本のステップを踏襲しながら必死で踊るジャスティンが把握したのは、『アルカディア』の女性達は皆ジャスティンの蹴りを避けるのが上手いという事だった。
平然とした顔に微笑みを浮かべ、優雅にステップを踏みながらもジャスティンの繰り出す足蹴を華麗に避けながら踊る女達は、一体全体どういう訓練を受けてきたんだと、何れも劣らぬ美女達を口を開けて見ていたが、背後から刺さる鋭い視線に殺気を感じ、思わずジャスティンは防御の体勢を取って振り返って身構えた。
美女達の中でも一際美しい妖艶に笑っているこの女性とは、嘗てエディンバラの独身宿舎で会った事のあるジャスティンだったが、自分の目の前に今立っているジニアから漂う只ならぬ殺気は、確か彼女は元SASの、と其処まで思ったところで、パートナー交換で差し出された彼女の右手を本来なら手に取りお辞儀をして踊り出すべきところを、ジャスティンは躊躇無く左手で払っていた。
「あら、やる気なのかしら」
蒼の瞳を僅かに細めてクスッと笑ったジニアの背後では、姦しい男共が歓声を上げていた。
「やっちまえよ、ジニア」
「ジャスティン、ジニアの投げをかわせたら今度昼飯奢ってやるぞ」
輪になって笑いながら手を叩いて囃し立てる野次馬達に囲まれたジャスティンは、同じように身構えたジニアが素早く繰り出す腕を辛うじて避けていたが、三度目には避け切れずに襟元を掴まれたと思った瞬間にはもう身体が宙に浮いていた。
ところが、このまま床に叩きつけられると思った身体は誰かの腕の中にストンと収まって、顔を見上げたジャスティンの目の前では此方も良く知っているサミュエルがにこやかに微笑んでいた。
「残念だったね、ジャスティン」
「あー、えっと」
幾ら今はもう軍人では無いとは言え、特殊部隊員として活躍してきた筈の自分の情けない体たらくに、ジャスティンは恥ずかしさの余り口篭ったが、サミュエルの顔を見ている内にある事を思い出し「そうだ」と瞳を輝かせた。
「今病院にハナが来てるんだ。会いに行くといいよ、サミュエル」
「え、本当? 母さんがロンドンに居るの?」
途端にサミュエルはジャスティンを支えていた腕を離し、朗報に笑顔になった妻ジニアに駆け寄ってしまい、支えを失って床に投げ出されたジャスティンは、ケラケラと笑う一同に頬を膨らませて、
「フン」と赤くなった頬でそっぽを向いた。
童心に返ってひとしきり大暴れし火照った顔を手扇で扇ぎながら窓辺に戻ってきたジャスティンは、はき出し窓をこっそりと開けた笑顔のビアンカにちょいちょいと手招きされた。
まだ時間的には夕暮れの筈だが、曇天の空にはまだ粉雪が微かに舞っていて、粉砂糖を塗した様な一面の銀世界は早くも灯り始めた街灯に照らされて白く輝いていた。
「今でもお兄ちゃんは雪が降ると興奮するのよ」
ホール外のテラスに置かれたガーデンチェアにも薄っすらと雪が積もり、真っ白の雪を指でなぞってビアンカは微笑んだ。
「自動車免許を取ったら、一人でもスコットランドに行くんだってお兄ちゃんは言ってたけど、きっと無理よね」
「アイツに車の運転なんかさせてみろ。絶対に速度表示を無視してかっ飛ばすぞ」
ケラケラ笑ったジャスティンは浅黒い肌を晒しているビアンカの剥き出しの肩が少し寒そうなのに気付いて、自分の着ていたスーツのジャケットを脱ぐとビアンカに羽織らせた。
「ありがとう、ジャスティン」
見上げる蒼の瞳は街灯の明かりを映してキラキラと輝いていて、「ああ」と照れ笑いを浮かべたジャスティンは、今日もボサボサの銀髪をボリボリと掻いた。
「おいこら、何こっそり隠れてんだよ」
その噂の本人ロドニーが、どうやら姿の見えない妹を探しにきたらしく怖い顔でジャスティンを睨んでいて、ビアンカの肩に掛けてあったジャスティンのジャケットを「フン」と剥ぎ取って無愛想にジャスティンに投げ返し、自分の着ていたスーツの上着をビアンカに掛け直してやって「行くぞ」と強引に手を引っ張って行った。
ジロリとジャスティンを睨むロドニーの瞳も、困り顔に苦笑いを浮かべて手を引かれていくビアンカの瞳も、どちらも同じ蒼色で、少しウェーブ掛かった金髪といい、やっぱり二人は兄妹なんだなと妙な感慨を覚えたジャスティンだったが、他の島の子供達とは異なる髪色と瞳の色の二人の父親は、英国本国から島へ派遣されていた英国人だった事をふと思いだした。
――総督府は確か二千九十九年に閉鎖されたんだっけな。
ビアンカが産まれる前に彼等の母親を捨てて英国へ戻った父親は、もしかしたら今も何食わぬ顔で英国で生きているのかもしれないと思い立ったジャスティンは、身体の中から響く拍動が次第に間隔を狭めて自分の身体を激しく揺さぶっているのを、強張った顔で感じていた。




