第八章 第一話
曇天の空からはチラチラと粉雪も舞い散る冬寒の空を見上げて、少し震えのきた体を竦ませて屋上で空を見上げていたジャスティンは、「よしっ!」と気合いを入れ直してまた戦場へ向かうべく踵を返した。
今年の冬は子供達の間で風邪が流行しているらしく小児科外来は千客万来状態だったが、管理の行き届いた病棟内では風邪を引いている子はおらず、今日は病棟担当のジャスティンには密かに特別室を訪問する余裕すらあった。
「奥方様、こんにちは」
何時も通り明るい笑顔で声を掛けたジャスティンは、視界を遮る巨大な背中をキョトンと見返して、振り返ってジロリと睨んだその人物が急に破顔して笑うと、ジャスティンも一層顔を綻ばせた。
「ハナ!」
「お前さん、元気だったかい」
スコットランドAASの独身宿舎の主ハナ・ウィロックは、丸い顔を一層丸くして笑い皺を深くして笑った。
「どうしたのさ、ハナ」
嬉しさの余り駆け寄って叫んだジャスティンを、ハナは顔を顰め指を口に当てて「シーッ」と睨んだ。
先々月に大手術を終えたヘザーは一ヶ月に亘るICUでの治療を終え先週特別室へ戻ってきたばかりだったが、まだ呼吸チューブは抜けず、今は静かに眠っているところであった。
「グレン少将殿が、誰か奥方様の身の回りのお世話を出来ないかとおっしゃっておられたんで、アタシが来たって事さ」
小声でボソボソと話すハナの言葉の一つ一つに一々頷きながら、部隊内に細かく目配りしてくれるグレン少将への感謝の気持ちと、ハナが来てくれたなら安心だという安堵の気持ちでジャスティンは懐かしさで緩む頬で笑った。
ヘザーの心機能と肺機能の回復は順調で、今の調子ならば春には退院出来るだろうという明るい見通しも立っており、血色も良くて穏やかに眠っているヘザーの美しい寝顔を見てジャスティンは何度も小さく頷いた。
「よう、ウィル」
特別室を見舞ったその足で自分の病棟も見回ったジャスティンは、三二五号室の自分の担当患者ウィリアム・シェリダンの元を訪れた。
ところがウィリアムもスヤスヤお昼寝中で、その寝顔を見守っていた母フローラが眦の下がった穏やかな笑顔でジャスティンに会釈した。
血中酸素濃度が目標としていた九十四%まで上がったウィリアムだったが、呼吸チューブを外しての観察は春以降に予定されていて、その経過が順調ならば彼もこの春に退院出来る見通しであった。
彼が体調を崩す原因でもあった誤飲も最近は減って、近頃はあれもこれもと何でも食べたがるウィリアムは体重も一kg程増えて、血色の良くなった肌は艶々と輝いていた。
白い肌に少し赤みを浮かべて眠っているウィリアムは本当に天使みたいだと、機嫌良く寝ているウィリアムを起こさないよう静かに心拍や血圧を確認したジャスティンは、その様子を微笑んで見ていたフローラに笑顔で頷き返した。
一時は『ロリコン且つショタコン』という不名誉な渾名が院内を駆け巡ったジャスティンだったが、その後不思議とぱったりと噂は鳴りを潜め、何時の間にか『ウォレス先生はただのロリコンだった』という結局元の状態に戻っていた。
それでもロリコンだけは変わらないんだなと内心で苦笑しながらジャスティンがナースステーションまで戻ってくると、病棟看護師カレン・ホッグスが待ち兼ねていた様にジャスティンを呼び止めた。
「ウォレス先生、三一三号室のアゼル君なんだけど昼食の摂取量が半分に落ち込んでるの。診てきてくれない?」
一応は先生と呼びながらも、相変らず友達口調のカレンの指示に「おう」と気軽に返したジャスティンは、今来たばかりの道をまた素直に戻って行った。
「原因はこれだった」
戻ってきたジャスティンが苦笑いをしながらカレンに見せたのはゴミ箱にこっそり押し込まれていたお菓子の袋で、それを見て同じ様に苦笑を溢したカレンは、それでもキビキビと昼食で摂取出来なかった栄養素を割り出して夕食の内容変更依頼書を書き上げると、電子カルテの前に腰を下ろしたジャスティンを振り返った。
「それから、次の休日に出勤してくれってストライド先生が――」
「えええ」
今度の休日にはとある目論みを立てていたジャスティンが無情の指示に眉を顰めて情けない顔で振り返ったが、カレンは首を竦めてクスッと笑った。
「あの部屋の大掃除をするんですって。きっとあそこにオハラ先生が戻ってくるんでしょうね。出勤するか、大掃除するか、どっちがいいかだってさ」
「どっちもご免だ!」
ケタケタと笑っているカレンの表情も明るくて、二人の『絆』を取り戻したヒックスとカメリアが二人穏やかな顔で会話を交わしているのを見るにつけジャスティンも心が綻ぶのを感じてはいたが、だからと言って何で俺がとブツブツと不平の零れる口を尖らせて、笑いながら手をヒラヒラ振って調理室へと向かったカレンの背中をブスッとした顔で睨んでいた。




