第六章 第六話
正午が近い室内はジワジワと気温が上がっていて、自分が脂汗を掻いているのはこの気温の所為だと言い聞かせたジャスティンは、目の前に座っている強敵に向き直った。
「えっと、ビアンカ・ワイズさんですね」
間違いようも無く知っているジャスティンでも一応手順に従って淡々と本人確認を行って、威圧的な視線を上向けて膝の上に両手を置いて足の付かない椅子に座っているビアンカに正対した。
「えっと、Tシャツは着てこなかったのかな?」
今日のビアンカは真っ白なシャツと濃紺のショートパンツ姿で、脱がなくても診察が出来るようにTシャツ着用を事前に言い渡しておいたのにと、喉元まで出掛かった文句を引っ込めてジャスティンはぎこちなく笑った。
「先に先生にお伺いしたい事があるんですけど」
他人行儀な口調もジャスティンを一層怯えさせた。
「何かな、Ms.ワイズ」
此方も負けじと他人行儀で返したジャスティンの顔をじっと見て、ビアンカはボソッと言った。
「『ショタコン』って何ですか、先生」
一気にドッと溢れ出した脂汗に塗れたジャスティンは、突き刺さる視線から逃れて目を泳がせたが、逃げる事を許さないビアンカの視線はどう目を逸らしても追いかけてきて、身辺の多忙にかまけてビアンカを放ったらかしにしていたツケを、身包みの最後の一枚まで剥がれるまで払わされるのを覚悟して、ため息をついて降参した。
「じゃあ、アンガスとは何も無いのね?」
「当たり前だろうが! 俺はショタコンでもゲイでも無いわ!」
事情を説明し終えるまでの間中、ビアンカは謗りを籠めた視線でジャスティンを睨んでいたが、やはり何でも無かったと知らされて一応は安堵の顔を見せて小さく「フゥ」と言った。
「で、ジャスティン。ゲイって何?」
墓穴を掘った事に気づいたジャスティンだったが、それについての講義は後日にする事にして、兎に角今は検診を終わらせなければならなかった。
「じゃあ、シャツ脱いで後ろ向いて」
タオルで盛大に顔の汗を拭ったジャスティンが、大きく息をついて顔を上げた瞬間に、また顔中からドッと汗が噴き出した。
ビアンカは上に着ていた白いシャツの下には何も着ていなかった。否、正確にはちゃんと小さなブラを付けてはいたのだが、修道尼が手作りしたのであろう大人用のスリップを小さく切り成型し直したものらしく、透ける生地の下には浅黒い肌の色が透けて見えていた。
「ちょ、ちょっと待て、ビアンカ。それって」
狼狽して椅子をクルリと返して背を向けてしまったジャスティンの背中に、呆れたビアンカの声が降ってきた。
「あら、ちゃんとブラは付けてるし、素っ裸じゃないんだから平気でしょ? 先生なんだから。尤も、先生なら素っ裸でも平気よね?」
悔しいがビアンカの言う通りで、確かに病院内では子供だろうと大人だろうと素っ裸の胸を見たって動揺する事も無いジャスティンであったが、お前だけは別だと心の中で叫んでいた。
「それに、ちゃんと成長してるから、ちゃんと見て欲しいの」
頬を薄っすらと紅色に染めたビアンカは、自分の胸に手を当てて微笑んだ。
確かに、去年の秋、怪我を負って病院に運ばれてきたビアンカの胸に触った時の感触は凹凸のまるで無い幼児体型そのもので、実際の年齢よりは身体の発育が遅れている以上それは仕方の無い事だとジャスティンも分かってはいたが、ゆっくりと呼吸を繰り返しているビアンカの胸を覆う白い生地は、本当に微かにだが盛り上がっていて、その膨らみ掛けた胸にジャスティンの手を取って誘ったビアンカの瞳は切なく潤んでいた。
確かに僅かに盛り上がった胸がジャスティンの掌の下で命の脈動を伝えていて、掌から伝わる温かさと、通常より拍動が大きい胸の鼓動がジャスティンの掌を擽って、手を離したいのに離したくない複雑な想いが頭の中で交錯して混乱していたジャスティンだったが、静かに手を引いてビアンカに向き直った。
「内診は後日だ。その時はちゃんとTシャツを着て来い」
「ジャスティン!」
ビアンカの抗議の声を無視して背を向けてしまったジャスティンに向かい、暫く唇を噛んで押し黙ってしまったビアンカは、やがて冷たい言葉を投げ付けた。
「だらしないわね。それで本当に医師になれるの?」
患者の裸ぐらいで動揺してたら医師が務まらないのはそれはその通りだが、でもとジャスティンは思った。
「ああ。俺はなれる。裸を見て動揺するのはお前だけだからな」
ビアンカのカルテを書き付けながら、ジャスティンは背を向けたまま言い放った。
「言っておくが、俺だってお前の裸を見て何時も動揺するわけじゃない。この前の怪我の入院の時だって散々見てる。でもな。俺にはまだお前は手には入らない。俺が手に入れられないのを分かってて誘いを掛けているお前の姿を、男を誘ってるお前の姿を俺は見たくないんだ」
また怒り出すのか詰るのか、どっちにしろ悪戯が過ぎる子供にはこれ位のお灸は据えないと、と覚悟を決めたジャスティンは静まり返った背後の気配にじっと耳を欹てていたが、微かに聞こえてきた声はか細くて、何度か耳を澄ませてようやく聞き取れたビアンカの小さな声は「誘いなんか……誘いなんかじゃ」と擦れて震えて今にも泣き出しそうだった。
「きっと、ジャスティンは喜んでくれると思ったの。ちゃんと私も大きくなっていて、ちゃんと大人の階段を登っていて、何時かは私も大人の女性に見えるように成長して、きっとその時にはもう誰もジャスティンの事をロリコンなんて呼ばないから、その日がきっともう直ぐだって貴方に伝えたかったから……」
途切れ途切れの言葉の間に、嗚咽を上げながら訴えるビアンカを振り返ったジャスティンは、脱ぎ掛けたシャツを着せてやりそっとビアンカを抱き締めた。
「ごめんな、ビアンカ。でもゆっくりでいいんだ。焦るな。それに俺はもう誰が何を言おうがどうでもいいんだ。俺はロリコンじゃないし、俺にはお前しかいない」
「ジャスティン」
ギュッと縋り付いてきたビアンカを抱き締めて、金髪をゆっくり撫でてやっているジャスティンは切なげに空を見上げてから、抱き締めているビアンカの胸元にやっぱり膨らみを感じ、嬉しさと照れ臭さの入り交じった緩んだ笑みが浮かんでくるのを堪えるのに必死だった。




