第五章 第七話
※このお話は『闇色のLeopard』の最終章最終話の裏話になります。
六月の空に広がる澄み切った青空には切れ切れの綿玉の様な雲が穏やかな風に静かに流れていて、ハレの日に正しく相応しい晴れの空を見上げて、ジャスティンはその空にも負けない晴れ晴れとした顔で額の汗を拭った。
「おい、ジャスティン。これは此処でいいのか?」
何客ものガーデン用チェアを積み上げたものを軽々と抱えて背後から声を掛けてきたのはスコットランド軍AAS大隊S班副班長のランス・ウィルソン中尉で、ジャスティンは「はい!」と元気良く返した。
今日は、此処聖システィーナでジャスティンが尊敬して止まない班長殿、アレックス・ザイア少佐の結婚式が執り行われる予定で、遠路遥々スコットランドから駆け付けたS班員は屈強な軍人の力を頼られて地区コミュニティセンターで催されるガーデンパーティの準備に借り出され、こうして朝から汗を掻いていたのだった。
「おい、俺のスーツを汚すなよ。一張羅なんだからな」
汚れ作業も苦にせず軽快に一番走り回っていたジャスティンは、無愛想なランスにジロリと凄まれ自分が着ている高そうなスーツはランスからの借り物だった事を思い出して、憮然としている先輩に思わず「了解しました!」と返していた。
世界の混乱が収まった後は病院で走り回っていたジャスティンは何も知らなかったが、ザイア大尉はAASを辞してSASに少佐として戻る事となり、残されたS班は副長ネルソン・アトキンズ大尉が班長となって引き継いだ。
仕方無い事とは言え、軍を辞したマリア・バーグマンと結婚生活を営むにあたりイングランドへの帰還を望んだ班長殿を引き留めるわけにもいかず、がっかりした様子のS班員達とは打って変わってジャスティンはご機嫌だった。
将来自分は此処聖システィーナに小児病院を開く予定で、SAS指令本部のあるポーツマスとは比較的近いこの場所でなら、今後も班長殿と顔を合わせる機会があるかもしれないと思うと下準備にも力が入るというもので、そうなると今の研修生活も益々気張らねばと、ランスの一張羅のスーツを汚さないように慎重になりながらもジャスティンは逸る気持ちを抑えられずに終始笑顔だった。
式の開始は午前十一時からで、まだ開始迄には一時間程の余裕があったが、パーティ会場の設営を終え院内の学校を開放して貰った来客用控え室で、服の汚れをチェックしてキリッとネクタイを結び、得意げな顔でニヤニヤしているジャスティンの相変らずボサボサの銀髪を後ろから無遠慮に叩いたのは親友ビリーであった。
「その頭も何とかしろ」
滅多に着る事も無いくせにスーツを何着も持っているビリーは、厳選したというスーツでビシッと決めて、一分の隙も無い臨戦態勢であった。
「うるせー。俺はこれで、このままでいいんだよ」
特に何の信条も持ってはいなかったが、規律に五月蝿い軍の中にあって他の上官達からは小言を言われ続けた自分の髪の事を、そう言えば班長殿は何も言わなかったと思い返しているジャスティンは、この姿が自分らしくて、そして自分はあの頃と何一つ変わってない事を班長殿に見せたくて、まだ小言を言いたそうなビリーにフンと鼻で息をした。
「確かに、その髪型が一番ウォレス一等准尉らしいですよね」
こちらは軍服の礼装姿のルドルフ・レッド中尉が、懐かしそうに目を細めてジャスティンに微笑んでいた。
ところが開始の予定時間が迫り、参列者が三々五々院内の小さな礼拝堂に集まり始めても式が始まる気配は無く、ランスに顎で指示されたジャスティンは「了解しました」と小声で返して、礼拝堂を抜け出して外へと出た。
「遅い! 何やってんだ、あの野郎!」
修道院の大門を出た所で唐突に罵声を浴びせ掛けられてビクッとしたジャスティンは、恐々とその声の主を窺い見た。
聖システィーナ修道院の前の道で仁王立ちし、車が来る筈の西の方角を睨んでいるコンラッド・アデス海軍中佐は、苛立ちを足元に表して靴音を響かせながら何度も腕時計に目をやって、苦虫を噛み潰した様な顔で憮然と立ち尽くしていた。
「あのお」
背後から恐る恐る声を掛けたジャスティンをジロリと振り返ったコンラッドの凄みのある目力を間近で見て、これが噂に聞いていた『餓えた虎』の目かと腰が引けたジャスティンだったが、それでも気力を振り絞って小さく咳払いをしてからコンラッドに訊ねた。
「中佐殿、誰が遅れているんですか?」
「あの野郎だ! 張本人のレオに決まってるだろうが!」
途端に顔を真っ赤にして怒鳴り返したコンラッドの罵声は、長閑な聖システィーナ中に響き渡った。
結婚式を挙げる当の本人がまだ来てないという情報にも、怒れる虎の咆哮を間近で見た恐怖感も相まって、呆然とした目を丸くしたジャスティンだったが、ふと思いついてまだ怒りのオーラを四方に撒き散らしているコンラッドにまたまた思い切って声を掛けた。
「中佐殿、えっと、電話してみたらどうでしょうか?」
「さっき掛けてみたが、運転モードだった」
今度は憮然とした顔で返したコンラッドが、再度手にした携帯が突如着信を知らせる鳴動したのに気付いて、着信を取るなり相手を怒鳴り飛ばした。
「お前、何やってんだ! もう十一時だぞ! 遅れるにも程がある。お前それでもSASの――」
唾を飛ばす勢いで怒鳴っていたコンラッドがピタリと口を噤んだ。
「なんだ、マリアか。どうしたんだ、お前。もう時間だぞ」
唐突に沸点が下がり急にボソボソと気まずそうに声を掛けているコンラッドの背中をハラハラと見守っていたジャスティンだったが、「はぁ? バーミンガムぅ?」と再び怒声を浴びせたコンラッドに首を竦めて目を閉じた。
「あ? レオか。え? 途中で老婆を拾った? で、何でお前らがバーミンガムなんかに向かってんだよ。これから結婚式なんだぞ? 先に始めてろ? おい、主役が居なくてどうやって結婚式をやるんだよ!」
怒鳴りつけている相手が中佐の妹マリアでは無くどうやら班長殿に代わったらしかったが、素っ気無く切られた携帯電話を「クソッ、あの野郎!」と地面に投げ付けようとしてギリギリで踏み止まって堪えたコンラッドは、憮然とした顔で携帯電話を内ポケットに仕舞い込み、背後でどうしたものかとオロオロしているジャスティンをジロリと睨んだ。
「というわけだ。あの二人は当分来ない」
返す言葉の無いジャスティンは「へ?」とその場で固まった。
「バーミンガムか、直線距離で約二百kmだな。とすると最低でも往復で四時間は掛かる計算だ。式は午後四時に変更して――」
「パーティ用の料理が腐っちゃいますよ、班長殿」
その情報を知らされた礼拝堂内は騒然となり参列者がガヤガヤと騒ぎ立てていたが、その中で唯一人冷静さを保っているネルソン・アトキンズAAS大隊S班新班長は一人ブツブツとスケージュルを練り直している様子だったが、ランスの突っ込みにニヤリと笑ったネルソンは「夜は酒だけあればいいだろう」とやり返して、苦笑を浮かべたランスと頷き合っていた。
「じゃあ、俺! 俺が結婚式する!」
唐突に手を挙げたのはロドニーで、綺麗な青のドレス姿の婚約者エドナの手を引いて祭壇前に立とうとしたところで、そのエドナに「何言ってんのよ! まだ早いわよ!」と突っ込まれて、不承不承引き下がっていた。
「それじゃ先に宴会を始めちまおうぜ」
突拍子も無いが恐らくそれがベストだろうと思われる選択をしたケビック・リンステッド国際コミュニティ会議議長の提案で、誰もがニコニコと笑いながら当然の如く外へと出て行くのをポカーンと見送ったジャスティンの隣に、何時の間にかちょこんとビアンカが立っていて、今日もベールガールを務める予定だったビアンカは、真っ白なドレスを着たまま首を竦めてクスッと笑って言った。
「じゃあ、私達が結婚式の練習でもする?」
此処二ヶ月程会っていなかったビアンカは、たった二ヶ月だけの筈なのに何処か少し大人びて見えて、ドキッとしたジャスティンはベールこそ被ってはいないが純白のウェディングドレスにも見えるビアンカが差し出した手を思わず取ろうとして我に返った。
「いや、でもまだ四年あるし。そのうちにな」
狼狽えているジャスティンが照れ隠しに頭を盛大に掻いているのを斜に見上げて、ビアンカは薄っすらと目を細めて笑った。
「そのうちに……他の誰かが私を攫っちゃうかもよ?」
あの時のカレンと同じ冷酷な笑みを浮かべているビアンカを顔を引き攣らせて見下ろしているジャスティンは、いやそんな筈は無いと自分に何度も言い聞かせて誰にでも無くうんうんと頷いてから、顔を真顔に戻してビアンカの両肩に手をやって自分の胸の中に引き寄せた。
「お前が他の誰かを選ぶなら俺は引き留めない。でもな、ビアンカ。俺はお前以外の他の女を選ぶつもりはない」
「……ジャスティン」
今迄子供としか見られていなかった自分を女と呼んでくれた事に感激したビアンカの蒼の瞳には、途端に涙が浮かんできた。
「ジャスティン、ごめんね。愛してるわ」
涙で潤んだ瞳で見上げているビアンカの切なげな表情が愛しくて、思わず屈み込んでキスしようとしたジャスティンの背中から「十年早い!」と罵声と共に弾丸の様に飛んで来たロドニーの体当たりを食らって、倒れ込んだジャスティンはビアンカを守ろうと仰向けに引っ繰り返って床に盛大に頭をぶつけ「痛ぇ!」と頭を抱えて転げ回った。
当のロドニーは「フン」と鼻息も荒く無事だったビアンカの腕を取って引き寄せて、まだ引っ繰り返っているジャスティンを憮然として見下ろしていた。
「十年じゃないわ! 後四年だ!」
まだ痛む頭を抱えたまま起き直って言い返したジャスティンは、睨みつけるロドニーとの間に火花を散らしていたが、フッと呆れて首を竦めたビアンカが二人の手を取り、其々を嬉しそうな微笑みで見上げるともう二人共ビアンカに逆らえず気まずい顔を見合わせ、機嫌よさげなビアンカに手を引かれ大騒ぎの始まっているパーティ会場へと苦笑いで歩いて行った。




