第四章 第五話
聖システィーナ修道院由来の薬は修道院から賄えたが、それ以外の薬や消耗品は国立中央病院から取り寄せていた聖システィーナの臨時診療所に今回その物品類を運搬して来たのは、本来は病棟勤務の看護師カレン・ホッグスであった。
「何だよ、何でお前なんだよ」
「仕方ないでしょ。皆忙しいのよ」
ジャスティンの素っ気無い悪態に不機嫌な顔になったカレンを、ジャスティンはフッと鼻で笑った。
「病棟は暇なんだな」
「そんなわけないわよ! 私の顔を見りゃ分かるでしょ!」
唾を飛ばす勢いで顔を近づけたカレンの両目の下には黒々とした隈が浮いていて折角の美貌が台無しであったが、その顔で睨まれてジャスティンは思わず顔を引いた。
「……すみません」
「分かりゃいいのよ」
腕組みをしたカレンはまだ不機嫌そうであった。
受け取った備品のダンボール箱を覗き込んで一つ一つチェックしながら、まだ不満そうではあるが出されたお茶を無言で飲んでいるカレンを振り返ってジャスティンは「なぁ」と声を掛けた。
「小児科は……大丈夫なのか?」
「まぁ何とかなってるわよ。病棟はね。でも最近は往診依頼が多いのよ。どの家庭でも、子供を外に出したくないみたい。仕方ない事だけどね」
フゥと息をついたカレンは、少し体が暖まってきたのか、さっきよりも表情は和らいでいた。
「アンガスは?」
「休み無しで頑張ってるわよ。本当は、今日此処へ来たがってたんだけど、全員に全力で止められたの。アンガスに運ばせたら、荷を丸ごと引っ繰り返すだけじゃなくて、自分も引っ繰り返して自分の病院に搬送される事になるからって」
クスクスと笑ったカレンの機嫌が良くなったらしい表情を見て、ジャスティンも「そりゃそうだな」とアンガスの仔犬の様な垂れ目を思い出してクスッと笑った。
「で、此処はどうなの?」
最近のロンドンは常に軍が巡回していて、街には緊張した空気が張り詰めている状態だと語ったカレンに問われて、ジャスティンは浮かない顔でボリボリと頭を掻いた。
「まぁ此処も軍が二十四時間巡回してるし、此処には【守護者】が居るからな。ビアンカも修道院から一歩も外へ出てないし、不審者の報告も今のところは無い」
「ならいいんだけど」
それでも安堵出来ないのか浮かない顔付きのカレンに背を向けて残りの備品チェックを再開したジャスティンは、ダンボール箱の中に頼んでいない紙袋を見つけて曇った表情のカレンを振り返った。
「これは何だ?」
往診用の雑嚢を肩掛けにしてジャスティンが修道院を訪れたのはその日の午後の事だった。
「ジャスティン!」
授業の合間にビアンカを呼び出して貰ったジャスティンは、学内の保健室で椅子に腰を掛けて「よぉ」と明るく笑って手を挙げた。
「どうしたの? 学校の保険の先生になってくれるの?」
蒼の瞳をキラキラとさせているビアンカにジャスティンは苦笑いして首を振った。
「いや。お前に渡す物があるんだ」
そう言ってジャスティンが雑嚢から取り出したのは、銀製の細い鎖に小さな十字架が付けられたペンダントであった。
「これを私に?」
「ああ。常に身につけていて欲しいんだ」
「でも私は尼僧にはならないわよ?」
同じ様な物を既にイブが身に付けている事を知ってるビアンカは不思議そうに首を傾げた。
「それはな、お守りなんだ」
少し寂しげな影が浮かんでいるジャスティンの瞳を、ビアンカは蒼の瞳でじっと見返していた。
英国中央政府から託されたというそのペンダントには、GPSが仕込まれていた。
要警護者の中でも最重要の要警護者であるビアンカ・ワイズが、万が一敵の手に落ちた時にその位置情報をいち早く察知するためのものであった。
「本当はそんな物無くても、俺がお前を守るんだけどな」
自分の力が疑われていると受け取ったジャスティンが寂しそうに呟いたのを聞いて、ビアンカは小さな手を伸ばしてジャスティンの頬にそっと触れた。
「私が何処に居るのか何時も貴方が知っていてくれるのなら、私は嬉しいわ」
「ビアンカ……」
「この十字架を握り締めていればきっと貴方が助けに来てくれる、私にはそう信じられるの」
穏やかな蒼の光を纏ったビアンカの瞳に、吸い込まれる様に顔を寄せようとしたジャスティンだったが、背後から「コホン」という咳払いの声が聞こえて、慌てて顔を離し真っ赤になって顔を上げた。
「Mr.ジャスティン・ウォレス、ご用件はお済みですか?」
保健室の入口には、ビアンカを連れてきた教員の尼僧が仁王立ちしてジャスティンを鋭い視線でジロリと睨んでいて、顔を真っ赤にしたままバッと立ち上がったジャスティンは「は、はい!」と睨む尼僧に直立不動で敬礼を返した。
帰り際に修道院の前で佇んで、曇天の空の下でくすんだ色の石壁の校舎を見上げて、ジャスティンは自分のポケットから携帯電話を取り出し画面を開いて目を落とした。
画面上の地図の上では、ビアンカの現在地を示す小さな赤い点が修道院の位置で小さく明滅していて、暫く見入った後ジャスティンはまた顔を上げた。
「お前が何処に居ても、俺が必ず守ってやる」
誰に言うでも無くポツリと呟き、銀髪を揺らす冷たい北風に頬を赤らめ、ジャスティンは名残惜しそうに振り返りながら診療所への道をゆっくりと歩き始めた。




