第四章 第二話
「ジャスティン!」
一週間ぶりに会うビアンカは蒼の瞳をキラキラとさせ、修道院を訪ねてきたジャスティンに飛び跳ねる様に駆けて来て抱き付いた。
「よぉ、元気だったか」
十一歳と言っても平均より小柄なビアンカは飛びついても自分の胸にも届かず、お腹の辺りにしがみ付いている彼女の緩やかな金髪を撫でてジャスティンは照れ臭そうに頬を染めて笑った。
「毎日会えたらいいのに。でも、今は修道院からは出ちゃいけないって言われてるの」
ビアンカは蒼の瞳に不満を浮かべてジャスティンを見上げたが、そんな彼女を宥める様にジャスティンは小さな頭を撫でた。
「まだロシアは動いてないようだが、英国国内では先行して危険な奴らが動き出す可能性があるからな。安全のためだ。少しの間我慢しろ」
諭すジャスティンのがっちりとした筋肉質のお腹に顔を埋めて、ビアンカは「うん」と少し恥ずかしそうに頬を染めて小さく笑った。
「はい、ジャスティン。毎日ご苦労様」
今日も二人きりになるのを阻止されたジャスティンは、【守護者】の執務室でにこやかに微笑むクリス・エバンスに出迎えられた。
「ミレット尼僧が、『若い人に来て貰って助かってる』って。域内の医師は彼女だけだったし、みんな喜んでるよ」
この地域を守る【守護者】であるクリスは屈託無く笑っていたが、こき使われているジャスティンは苦笑を溢すだけだった。
「域内の子供達の数も多いし、早めに臨時じゃなくて正式な診療所の設置が望ましいですね」
ジャスティンの提案にクリスもキュッと眉を寄せて頷いた。
「うん。中央政府とも話し合ってるんだけどね。中々人材が居ないらしくて。だからジャスティン、ちゃんと予定通り開業してね」
最後にはクスクスと笑ったクリスにジャスティンは困惑してボリボリと頭を掻いた。
「でも開業する頃にはビアンカはW校だしなぁ」
「あら。W校にはビリーが居るから大丈夫よ。それに此処にはイブも居るんだし、彼女も守ってもらわないと」
シレッとした顔で大人ぶって紅茶を味わっているビアンカだったが、甘味が足りないのか仕切りにクッキーに手を伸ばしポリポリと齧っているあたりがまだ彼女が子供である事を示していて、そんなギャップにジャスティンは苦笑した。
「つうか、俺が守って貰う側になるかもよ? イブの力は結構凄いって聞いたし」
実際、次の院長と目されているイブ・ペイトンはまだ修行中の身ではあるが守護の力は他のどの尼僧よりも高く、前回はスリーパーエージェントが入り込んでいた此処でも、今回は恐らく蟻の子一匹入り込む隙間もないだろうと言われていることが、この場所に居るビアンカの安全を物語っていて、ジャスティンにとっても安心材料の一つであった。
「勿論よ。イブはみんなを守るって言ってたわ」
既に擁護者としての自覚が芽生えている幼い少女二人に感服して、ジャスティンも「ああ」とゆったりと目を細めて、薫り高い紅茶を味わった。
BVIの子供達の宿舎になっている寄宿舎一階のプレイルームも今は子供達の数も三人だけとなり、広さを感じるスペースの中央に腰掛けて、其々が山のような課題を前に悪戦苦闘している子供達をジャスティンは穏やかに見守っていた。
「ねぇ、ジャスティン。ここ教えて」
双子の片割れジェマが、抱えている分厚い本を開いて振り返ったジャスティンの目の前に突き出した。
「えっと……って。ジェマ、これ」
「そ、『看護の基本』。ミレット尼僧が最初に読むならこの本がいいって」
「ジェマって服飾デザイナーになるんじゃなかったっけ?」
過去に班長殿にそう聞いた気がすると首を傾げたジャスティンを見上げて、ジェマはフッと鼻で笑った。
「それは子供の時の事よ。今は看護師になるのが夢なの」
今も十分子供だろうと突っ込みたかったジャスティンだったが、それは藪を突っ付いて蛇を出すようなもので、喉元まで出掛かった言葉を飲み込んで「へー」と頷いた。
「看護師になって、エドナお姉ちゃんの手伝いをするのよ」
キラキラと瞳を輝かせているジェマの得意そうな顔を見下ろして、ジャスティンは口篭って黙り込んだ。
ロドニーとエドナの二人が島の再興を願っているのは知ってたが、まだ幼いジェマには過酷な島しか記憶に残っていない筈なのにと、ジャスティンは得意げに笑っているジェマから目を離せなかった。
「ザックもね。どうせロドニーには難しい事は無理だろうからって行政や経済学を学ぶ事にしたんですって。アデラはやっぱり食べるのが好きだから料理人になって島でレストランを開くんですって。サイはね、教師になる事にしたのよ」
振り返った妹に笑い掛けられ、双子の兄サイは照れ臭そうな顔で小さく笑った。
「此処で学んで学校の大切さが分かったんだ。島で産まれる子供達にも、学ぶ事の大切さと楽しさを知って欲しいんだ」
教育相のテリー・オルムステッドが聞いたら涙を溢しそうな台詞を淡々と呟きながらも、この冬まだ風邪を引いてないというサイは血色が良く少し赤らんだ頬で、クリクリとした瞳でジャスティンを見上げていた。
――島の子供達はみんな大人になったら島に帰ってしまうのか。
元々漁師の家だったというキッドとアキの仲良しコンビも漁を覚えたいと言っていたし、英国での暮らしも結構長くなっていたが、どの子も生まれ育った島に愛着を感じているんだと、改めて感じたジャスティンはぎこちなくビアンカを振り返った。
ビアンカには、この地の【守護者】となる宿命が定められていて、島に帰る事は出来ないのはジャスティンもビアンカ自身も痛いほど分かっていた。
それを受け止めていると前に言ったビアンカだったが、しかし、みんなが島に帰ってしまい独り残される寂しさを感じていない筈はあるまいと、今の話を聞いていたのかいなかったのか、平素の顔で床に寝そべりカリカリとノートに書いているビアンカの表情を読み取ろうと、ジャスティンは思わずビアンカの顔を覗き込んだ。
「……何よ」
作業を中断されてムスッとした顔を上げたビアンカに凄まれて、一瞬たじろいだジャスティンだったが、その蒼の瞳の底に哀しみが沈んでいないか見極めようと、黙ったままビアンカの瞳を見つめ返した。
「ビアンカなら大丈夫よ? イブも一緒だし、それにジャスティンがお医者様になって、お金持ちになって、大型クルーザーを買って貰うんでしょ? それで休みには島に里帰りするんだよね?」
まだ子供ながら、ビアンカを案じているジャスティンの想いに気付いたのか、唐突にジェマが明るく笑いながら言った。
「へ?」と口を開けて振り返ったジャスティンの背後から「うん。当然でしょ」とビアンカの冷静な声が降ってきて、益々開いた口が塞がらなくなったジャスティンは、また「へ?」と今度はビアンカを振り返った。
「頑張ってね、旦那様」
クスクスと笑っているビアンカに言葉を返す事も出来ずに、ケラケラと笑っている子供達の前で、ジャスティンは途方もない未来にぎこちない笑みを浮かべるだけであった。




