第三章 第三話
ビアンカはノーマンに冷静な蒼の瞳で見つめられていても動じる事無く頷いて「はい」と返した。
「……貴女はまだお若い。この先の人生で、もっと素晴しい伴侶に出会える可能性が高いと思うのだが」
一々自分には優しくない父の言葉に顔を顰めたジャスティンが、ようやく言い返そうと口を開き掛けた時に、ビアンカは真っ直ぐに蒼の瞳でノーマンを見返して「いいえ」ときっぱりと言った。
「彼は私にとって唯一無二の存在なのです。将来私が【守護者】の地位を継承した後々、彼が陰となり日向となって私を支えてくれる事でしょう。その『絆』は、古より連綿と受け継がれ決して切れる事の無い強い力で結ばれているのです。そして彼が命を賭して私を守ってくれるように、私も彼を守ります」
十一歳の少女が放ったとは思えない大人びた言葉に、ノーマンは訝しげに目を細めたが、真っ直ぐ背を伸ばして凛として座っているビアンカからゆっくりと淡いピンク色をした光が立ち上っているのを見て、寄せた眉そのままに黙ってビアンカを見つめ返していた。
ジャスティンもビアンカの毅然とした横顔を見ながら、その輝くオーラに目を細めていた。
――そうだ。俺は約束したんだ。ビアンカを守ると。
例え両親の理解が得られなくても己を貫いた親友ビリー・ローグの顔をジャスティンは思い出していた。
今はW校の教師であるS班時代からの盟友ビリーは、テレサとの結婚を親に反対され、理解を得られないまま今は音信不通となっていた。それでもテレサを守ると決断した男の少し寂しそうな横顔が頭を過ぎって、ジャスティンは覚悟を決めて顔を上げた。
精神を病んでいてビリーの寂しさには気付いていないテレサとは違い、このまま親の理解を得られないままだと、きっとビアンカは己に負い目を感じてしまうだろうとジャスティンは思った。
彼女にはそんな辛い思いはさせられないと、ギリッと唇を噛んだジャスティンは徐にソファから立ち上がり広い床の上に移動して、そのまま床に手を付いて平伏し、額を床に擦り付けて父に向かって叫んだ。
「約束します! 必ず彼女を守ると。俺の生命に代えても守ると。だから、だからどうか認めて下さい!」
声を震わせて全身で叫ぶジャスティンをビアンカも驚愕の眼差しで見守っていたが、その大きな蒼の瞳に浮かび始めた涙が零れ落ちそうになっていた。
息子の突然の行動にも表情を変える事無くじっと目をやっていたノーマンであったが、やがてフゥと大きく息をついた。
「あのな、誓うのは俺に対してではないだろう。彼女に誓え。必ず守り通してみせると」
冷徹にも聞こえるが穏やかな父の言葉に顔を上げたジャスティンは、少し赤くなった額の下の蒼の瞳を瞬かせた。
「不出来な息子ですが、よろしくお願いします」
まるで大人に語り掛けるようにビアンカに向き合ったノーマンは、口元に小さく笑みを浮かべていた。
「はい!」
眦から一粒涙を溢したビアンカの弾ける様な笑顔を見て、不出来と言われた事に気付いていないのか、ジャスティンも明るい笑顔になって、ビアンカに何度も何度も頷き掛けた。
「ごめんなさいね。婚約指輪も買ってあげられなくて」
柔和な笑みを浮かべたオリヴィアに笑い掛けられて、ビアンカは恥ずかしそうに顔を赤らめて、「いいえ」と首を振りながら目の前に置かれたハギスの皿を前にして顔を俯けた。
夕べは、ジャスティンには自分の部屋、ビアンカには客間が用意されて別々に眠ったが、その客間にこっそりオリヴィアが訪れた事はジャスティンには内緒であった。
生まれて直ぐ母親とは引き離されたビアンカには記憶に残る母の思い出は何一つ無かった。その顔も、声も、鼻を擽る甘い香りでさえも、ビアンカの中では母を示す物は全てエドナの記憶だったが、オリヴィアの優しく甘い匂いは、何処か懐かしさを感じさせた。
白い腕に抱かれ頭を撫でられたビアンカは、くすぐったい思いに顔を綻ばせて、静かな穏やかな一夜を過ごしたのだった。
「じゃあ、俺ら帰るから」
昨日来たばかりだと言うのに、素っ気無く言ったジャスティンを振り返ってビアンカは目をまん丸にして「えええ」と抗議したが、ジャスティンは大きな口にハギスを放り込みながら隣のビアンカをジロリと睨んだ。
「俺も病院があるし、お前だって年明けに試験があるんだろ?」
「う、うん」
ジャスティンを騙してアバディーンに連れて来させたビアンカは、それ以上反論出来ず不満げに口元を尖らせていたが、ジャスティンは知らん振りであった。
ところが、その朝食の間に、病院の玄関の来訪を告げるブザーが鳴り響き、席を立ったノーマンが暫くしてから戻ってくると、まだのんびりと朝食を食べていたジャスティンに「おい」と険しい顔で声を掛けた。
「急患だ。四歳児、原因不明の発熱。お前も手伝え」
不服の抗議も虚しく強引に引き立てられていったジャスティンを、ビアンカはフォークを片手にポカーンとしたまま見送った。
結局その後にも陣痛の起こった妊婦が担ぎ込まれて、普段病院を手伝っている看護師が休日で不在とあっては親子三人だけで全力で当たるしか無く、ジャスティンがようやく解放されたのは夜遅くになってからであった。
「ご苦労さま」
ヨレヨレになって戻ってきたジャスティンに、ずっと一人留守番していたビアンカが労りの言葉と共にエールの小瓶を差し出すと、「サンキュ」と受け取ったジャスティンは一気に半分ほど飲み干し、フーッと大きくため息をついた。
「だから、帰ってくるの嫌だったんだよ」
身内だけに遠慮も配慮も無くこき使い、そして言葉の辛らつさは先輩医師ヒックス・ストライド以上の父ノーマンが自分を馬車馬のように働かせるのが分かっていたジャスティンは、ぐったりとした身体をソファに投げ出した。
医師としては優れているのだろうが、親としてはどうなんだよと普段から思っていたジャスティンは、沸々とこみ上げる怒りで赤く変わった頬を膨らませた。
「知ってるか? 俺を小学校から寄宿舎付きの名門校に入れたのも、家に居なけりゃ面倒を見なくていいから、なんだぞ? 長期の休みでも何処にも遊びに連れていってくれた事も無かった。クリスマスなんぞ、毎回家でひっそりでツリー飾った記憶もねぇよ。それって親としてどうよ?」
残ったエールも一気に呷って捲し立てるジャスティンを見上げて、ビアンカはキョトンとしていた。
「クリスマスプレゼントも無かったの?」
問われたジャスティンは、記憶の欠片を探って眉を寄せた。
確かに何処かに出掛けたという記憶は自分には全く無かったが、毎年クリスマスの朝にはベッドの枕元に綺麗に包まれたプレゼントが置いてあった事を思い出して、ジャスティンは「いや」と小声で呟いて目を伏せた。
記憶の中の両親は、何時も働いていた。日々の診療だけでは無く、少子化が始まっていたとは言え、急変の多い小児科も、深夜早朝に訪れる陣痛の始まった妊婦への対応も、全て両親は手を抜く事無く対応していた筈だった。
親父もお袋も何時眠ってるんだろうと、子供心に思っていた事を思い出してジャスティンは唇を噛んだ。
――プレゼントなんて買いに行く暇も無かった筈だ。でも、毎年必ずあった。
その時ばかりは嬉しさに顔を綻ばせていた幼い自分を思い出して、ジャスティンは遠い目をしていた。
「ご両親は地域医療に命を掛けていた。でもジャスティン、貴方の事も愛していた。違うかしら?」
何処か訳知り顔で小さく微笑んでいるビアンカの顔を横目に見て、ジャスティンは素直になれず顔を背けて「ああ」とだけ返した。
「構ってあげる事の出来ない息子が寂しい思いをしないようにと、仲良しのお友達が沢山いる小学校を選んだと聞いているわ。徹夜で診なければいけない患者さんが来ていても、お母様は必ず手ずからの朝食を作ったと」
確かに朝食は何時もお袋の味で、出来合いを食べた事は無かった。
父親も、息子に本当に必要な物だと思えば、惜しむ事無く何でも買い与えてくれた。
個人経営の医院だと言えば裕福な家庭と思われがちだが、決して経営は楽では無く裕福だと思った事も無かった。それでも、父親を説き伏せる事が出来た時には、例えそれが高額な物でも親父は惜しまなかったと思い出し、ジャスティンは一層頬を赤らめてそっぽを向いた。浮かんで零れそうになった涙をビアンカには見られたくなかったからだ。
「お父様のような立派なお医者様にならないとね」
態とそっぽを向いているジャスティンの隣ににじり上がってきたビアンカのクスクス笑う声が耳元を擽って「……おう」と照れ臭げに返したジャスティンは、まだ両親が診療所に残っているのを思い出してバッと振り返ってビアンカの小さな体を掻き抱き、細い腰に腕を回して抱き寄せた。
――この花の香りの意味が、親父達に分かるかなぁ。
零れ出て溢れる花の香りが広がっていくのを感じて、ビアンカの小さな唇を味わいながら頭の中で独り言を呟いて、ジャスティンは内心で小さく笑っていた。




