第三章 第二話
今年はエディンバラも見事な雪景色だったが、そのエディンバラの北約百八十kmにあるジャスティンの故郷アバディーンも今年は雪が多いらしく、鮮やかな黄色の塗装の色が今や黄土色へと変わり始めている古い『オールド・ローバーミニ』は、ガタガタと車体を揺らしながらゆっくりと雪道を走っていた。
「ねぇ、ジャスティン。歩いたほうが早くない?」
自分達の乗った車を悠々と歩いて抜かして行く通行人を横目に、エリーに結んでもらった青のリボンを車の振動に合わせて揺らしているビアンカに突っ込まれても、ハンドルを握り締めたままムスッとしているジャスティンは「文句言うな」と、出来れば到着せずにこのままずっと走り続けたい思いで一杯であった。
そんなジャスティンの儚い願いも虚しく、どれだけ低速で走ったところで終着点が遠ざかってくれる筈も無く、小さい子供の頃から見知ったテラスハウスの並ぶ通りを左に曲がると、その通りの奥に真っ白に輝くウォレス病院が薄っすらと積もった雪の中、静寂の中で佇んでいた。
一応、クリスマスの今日は休診らしく病院前には人影も車も無く、直ぐ隣のカミングスパークも芝生が雪に覆われて僅かに人の足跡を残しているだけで無人の公園のひっそりとして寂しい雰囲気が漂い、ジャスティンは車から降り立って今にも降り出しそうな分厚い雲を見上げて、またため息をついた。
「……何処かにお出掛けしているのかしら」
余りにも静かな気配を感じてビアンカはジャスティンのズボンを摘んで不安げに呟いたが、ジャスティンは「いや」と首を振った。
「家に居るだろ。だって病院だし」
事も無げに言ったジャスティンを、ビアンカはクリクリとした瞳で見上げた。
考えてみれば幼い時分からそうだったと、ジャスティンは自分の過去を振り返った。
小児科の入院施設は無かったが、産婦人科がある以上分娩の為の入院施設もあり、例外では無く二十四時間三百六十五日年中無休の病院では、家族で何処かに旅行に出掛けた記憶も無かった。
子供の疾病も妊婦の陣痛も何時起こるかは分からず、一度連絡があればどんな深夜であっても対応していた両親だっただけに、それも致し方ない事なんだろうと、今となっては分かるジャスティンであったが、当時は寂しかったっけなと、ゆっくりと病院裏手にある実家の玄関に向かって歩を進めながらフッと笑った。
例えクリスマス休暇の看板を出していても、必ず両親は在宅している筈だというジャスティンの読み通り、玄関の呼び鈴を鳴らして暫くすると、母オリヴィアが驚いた顔でジャスティンを出迎えた。
「どうしたの? 帰って来ない筈だったのに」
第一声がそれかよと苦笑いを溢したジャスティンは「えっと」と口篭って、自分のズボンに縋り付いてギュッと固く握り締めているビアンカの小さな手の感触を感じながら、覚悟を決めて大きく息をついた。
「あー、俺婚約したんだ。で、彼女を連れてきたんだけど」
「え?」
ジャスティンの背後にそれらしい女性が見えず、キョロキョロと視線を泳がせたオリヴィアはふと視線を下に向けた後、柔和な緑の瞳を見開いて口を開けたまま固まった。
内心でやっぱりなと思いながらも、ジャスティンは自分の足元で緊張した顔のビアンカの頭を撫でて、困惑している母に告げた。
「彼女はビアンカ・ワイズ、前に一度此処に来たことあるだろ?」
「こんにちは、あの、あの時はありがとうございました」
緊張しながらも丁寧な口調でぴょこんと頭を下げたビアンカに、オリヴィアは瞬きもしない瞳を見開いたまま「え、ええ」と戸惑いの色の濃い返事を返したが、ビアンカとジャスティンの顔を交互に見て、それ以上はどう返せばいいのか思い浮かばないようで、困惑したまま佇んでいた。
見慣れている筈の実家の居間も弾劾裁判の法廷の場の様に思えて、居心地の悪さを全身で感じているジャスティンは態とソファに深く座って、目の前に歴然と存在する突き刺さる視線から逃れようと、顔を逸らして平静を装おうとしていた。
「ふむ。あれから熱が出る事は?」
父ノーマン・ウォレスは、図体のでかい息子の隣席にちょこんと座っているビアンカを前にして、やっぱり医師の顔であった。
「ありません。あ、でもこの間怪我しちゃったんです。お腹に木の幹が刺さっちゃって」
物怖じをしないビアンカがニコニコと笑って話すと、ノーマンは「ふむ」と顎に手を当てて頷いた。
「聞いている。まぁ、まだ余り役に立たないであろうコイツが役に立ったそうで、快復して何よりだった」
父親の憎まれ口に突っ込みたくても、墓穴を掘りそうな今は口を噤んでいるしかないと、ジャスティンは黙ったまま剥れた頬を少し膨らませたが、ノーマンはそんな息子の様子を気にせず「それで」と言った。
「貴女はコイツと婚約したそうだが」
ビクッと肩を揺らしたジャスティンは恐々と父親の顔を覗き見た。




