第二章 第七話
「なんか、文句あんのかよ」
さっきからずっと恨みがましい目で睨んでいるジャスティンに、ビリー・ローグは財布から紙幣を出し掛けた手を止めて、逆に睨み返した。
ビリーの娘メアリー=アンが、ここ三日ほど熱が出ているということで往診の依頼があり、下っ端のジャスティンが派遣され診察を終えたばかりであった。
乳幼児がよく罹る突発性発疹で、発熱だけで下痢も無く、状態は良好な上、適宜に薬を飲ませていたらしく熱性けいれん等の症状も無いということで、水分補給と痒がったら塗り薬を塗るよう指示しただけでジャスティンはお役ご免になった。
父親としては一応感謝したいところなのに、理由も無く睨まれていてはお礼どころか文句の一つも出るというもので、ビリーは診療報酬受け取り書の支払い者欄にサインしながら、まだ黙って睨んでいるジャスティンをジロリと見上げた。
「俺が何か文句言ったか? 寄越すのならベテランを寄越せとか、ベテランでなくてももっと確実な人を寄越せとか」
「それ言われたら余計怒るわ」
ムスッとした顔のジャスティンにサインした紙を突き出しながら、ビリーは不満そうだった。
「だったら何なんだよ」
「お前が居なければ、俺の青春は薔薇色だったのに」
剥れ顔のジャスティンがブツブツと呟いているのを見て、ビリーは「はぁ?」と呆れて目を丸くした。
「まぁ仕方なかっただろうな。そういう運命だったんだし」
アンガスの指摘を聞いたビリーは、やっぱり当然の如く頷いた。
思えばコイツと一緒に居る時は何時も自分は引き立て役だったと、ジャスティンは苦い思い出を噛み締めた。
確かにビリーとナンパに行けば失敗することはなかったが、影でこっそり女性達がジャンケンをして負けた方がジャスティン担当と決めていたことを思い出して、俺の人生ってとジャスティンは己で己を慰めた。
「よかったじゃないか、俺から独立して、お前もやっとひとり立ち出来たってことだし」
「遅いわ!」
慰めにもならない言葉にジャスティンは噛み付いたが、ビリーは聞いてない顔で立ち上がり、「さてと」とまだブツブツ言っているジャスティンを見下ろした。
「俺、授業があるんだわ。またな」
「はいはい、ご苦労さま」
不満げながらもジャスティンが立ち上がると、ビリーは「あ」と振り返った。
「そいつ、ただのプレイボーイじゃないかもしれんな」
「へ?」
「仔犬ちゃんだよ。何か心的要因があるんじゃないのか」
ビリーの言葉の意味が分からずに、ジャスティンはボリボリと頭を掻いた。
ビリーに指摘されるまでは、そんな事を微塵も考えていなかったジャスティンであったが、確かに、言われればそうかもしれないと思えてきた。
普段は屈託無くて、男女関わらず誰にでもまるで愛玩犬のように可愛がられているアンガスだったが、彼がカメリアに対して見せた冷たさを思えば、何か女性に対して抑圧的な感情を抱いているようにも見え、彼が女性に心を開かない原因が、何処か根深く彼の心を覆い尽くしているようにも思えた。
そもそも、彼が何故小児科を目指したのか、それを聞いてみたくなったジャスティンは、病院へ戻ると何時もの昼食時間にアンガスを誘い出して、これも何時もの屋上の片隅で、寒い風に身を竦めてカップの紅茶を飲んでいるアンガスに「なぁ」と切り出した。
「お前、何で小児科選んだんだ? 知識じゃ内科でもおかしくないだろうに」
小児科の中でも特に小児内科に才能を見せているアンガスの知識はかなりのもので、その点はヒックス・ストライド医師も医局長のハワード・ライアン医師も高く評価していた。
「最初は内科にしようかとも思ったんですけど、ほら、僕ってこういう見た目でしょ? だから辞めたんです」
「なんでさ?」
「もし先輩が具合悪くて病院に来た時に、診察室で目の前の医者が子供みたいな顔で『どうしましたか?』って言ってきたら、先輩はどうします?」
アンガスは悪戯そうな顔でニコニコと笑っていた。
「へ?」
「患者の三割は『こんな子供に医者が務まるか!』って怒鳴りだして、二割は『他の医者に代えてくれ』と懇願するでしょうね」
冷たい風に目を細めながらアンガスはポツリと言った。
じゃあ五割は平気なんじゃんと言い掛けてジャスティンはそうかと五割の理由に思い当たった。残りの五割は女だからだと、苦笑を浮かべたジャスティンだったが、何処か寂しげなアンガスの横顔を黙って見ていた。
「まぁ子供達なら懐いてくれますし怖がることもないでしょうから、小児科に向いていたとしか言いようがないですね」
達観した顔付きでフゥと息をついたアンガスに、ジャスティンもため息をついた。
「先輩みたいに実家が医院ってわけでもないし、何科でもよかったんです。ただ、それだけです」
もう何時もの屈託のない笑い顔に戻ったアンガスを見下ろして、ジャスティンはポツリと言った。
「で、どうして女が嫌いなんだ?」
その時一瞬垣間見せた凍り付いた表情は、頭のいいアンガスだけに質問の意味を理解していない所為ではないだろうとジャスティンには思えた。
戸惑うようにジャスティンから視線を逸らしてから、ゆっくりと顔を上げて見返したアンガスの顔は、一瞬捨てられた仔犬のような哀しい瞳をしていたが、やがてアンガスは笑みを取り戻して口元にシニカルな笑みを浮かべた。
「別に。それに僕、女でも男でもどっちでもいいですよ?」
「へ?」
「僕、両性愛なんで」
「え?」
「ああ、心配いらないですよ。僕ノーマルの男性を襲う趣味はないんで」
腰が引けて顔をヒクヒクとさせているジャスティンを見上げて、アンガスはやっぱり仔犬のような笑顔だった。




