第二章 第六話
【中ボス】ロドニーとの和解に成功して、ホッとひと息をついたジャスティンだったが、【ラスボス】との対峙の前に、まだ問題が山積している事に気付いたのは、病院に隣接する研修生用の宿舎に大挙して訪れた女性の群れを目の当たりにした時の事であった。
正確には研修生だけのためというわけでは無く、院内で働く独身男性用の謂わば独身寮なのだが、有事には寝ていても叩き起されて、徒歩一分走れば三十秒のこの場所から否応なしに呼び出されるわけで、別名『仮眠室』と呼ばれていた。
軍育ちのジャスティンは寮生活が長かったし、一度遠征に出向けばそれこそ毎日仮眠状態だったので全く気にする事は無かったが、慣れない男どもは「ゆっくり眠れない」と不満たらたらだった。
そんな中で、何時もの様にガーガー爆睡しているジャスティンがノックの音で叩き起されたのは休日の早朝で、倍ぐらいに膨らんだ銀髪をボリボリと掻きながら寝惚け眼で開けたドアの向こうには、困り切った顔のアンガスが苦笑いして立っていた。
「先輩をお誘いする女性達が集まってるんですけど」
「へ?」
まだ意味の分かってないジャスティンは、半分しか開いてない瞳でポカーンと口を開けた。
日曜の早朝だというのに、めかし込んだ女性達が独身寮の一階のロビーで凡そ十名だろうか、大量に屯していて、まだ寝癖の取れていないピンピン頭のジャスティンが、それでも一応長袖のTシャツとジーンズに着替えて下りてくると、其々が一番自信のある笑顔を作って「はぁい、ジャスティン」と一斉に声を掛けた。
「って、どうしたんすか」
「折角の休日なのよ。たまには羽を伸ばしたほうがいいと思って」
「公園でブランチでもいかが?」
「少し郊外に足を伸ばしてもいいわね」
「なんなら、『ガイア2100』の『Sun Rise』でランチでもいいわね。今週はスコットランドのスモークサーモンを使ったコースだそうよ。故郷の味を食べたいんじゃなくて?」
一気に捲し立てる女性達の勢いに押され、タジタジと顔を引いたジャスティンだったが、今は逆さに振っても出る物は小銭しかなく、この人数ではとても太刀打ちは出来ないと、両手と顔をブンブンと振ってお断りの意を表した。
「俺まだ課題も終わってないし、気になる患者も居るし、悪いけど」
「あら、お金の事なら気にしなくていいわよ。研修生なんですもの。貧乏だってことぐらい分かってるわよ」
一瞬頭の中に分厚いスモークサーモンがちらついてゴクリと息を飲んだジャスティンであったが、思い直して寝癖の頭をブンブンと振った。
「……僕で良ければ、お付き合いしましょうか?」
一歩も引かない女性陣を前にして困り果てていたジャスティンの背後から声がして、振り返った先には、散歩に連れていって貰うのを待っている仔犬の様に、パタパタと振っている尻尾が見える様な顔でアンガスが立っていた。
――コイツ、まさか……
いや、幾らアンガスでもいっぺんに十人は相手出来ないだろうと思って、ジャスティンはさっきまで横に振っていた首をガクガクと縦に振ってウンウンと言った。
「コイツなら実践発表も終わってひと段落したしな。丁度いいよ。折角だから奢ってもらえ」
不満げな顔で顔を見合わせた女性達であったが、キラキラとした瞳で見上げているアンガスに母性本能を刺激されたのか、最終的には「いいわよ」と、仔犬を初めての散歩に連れていく様に連れ出して行った。
その日の夜、遅くなってから寮に戻ってきたアンガスを捕まえてその後の経緯を問い質したジャスティンを前に、アンガスは談話室のソファにちょこんと座って、クランベリージュースが似合いそうな顔でエールの瓶を手にして、ジャスティンに悪戯そうにクスクスと笑った。
「先ず、今、先輩を追っ掛けてるのは二十名ぐらいみたいですけど、その内の八割はゲームでしょうね。でも残りの二割は、割りと本気みたいですよ」
二十名の中の二割ってことは、四名の女子は自分に本気で好意を抱いてくれているのかと、遅れてやってきたモテ期にジャスティンは、嬉しいような悲しいような複雑な気分だった。
――これがせめて五年前に、いや三年前に訪れてくれていれば、俺の人生は薔薇色だったのに。
しかし今となっては、例え十人百人、いや千人の美女から迫られようと素直に喜ぶことも出来ないのを恨んで、ジャスティンは神に対して恨み言をブツブツと呟いた。
「で、あの後どうしたんだよ?」
半ば不貞腐れながらジャスティンがアンガスを睨むと、「ああ」と手にしたエールを呷ってから、アンガスはブカブカの袖で満足げに口を拭った。
「取り合えず、やっぱ一気に十人はきついんで、適当に三名に絞りました。少なくとも、その三人はもう先輩を追っ掛けないと思いますよ」
可愛い顔をしてシレッと言ったアンガスの飄々とした顔を繁々と眺めて、ジャスティンはハァとため息をついた。
「選んだのは内科と外科の主任看護師と、フロントのお局なんで、きっと自然と先輩への追っ掛けも無くなるんじゃないでしょうか」
抜かりなくメンバーの中でもキーポイントになる女性を選んで、しかも全員を一日で手懐けたというんだから、この男の天性の才能にジャスティンは舌を巻いた。
「お前さぁ、後々やばいんじゃないの?」
少なくとも病院内の四人と同時進行することになって、その先には修羅場しか浮かばないジャスティンが心配そうにアンガスの顔を覗き込んだが、酔っている気配は感じなかったが顔だけはほんのり赤らめて、大好きな骨ガムを貰ってご機嫌な仔犬が微笑むが如く、アンガスはにっこりと笑った。
「まぁ、こうなったら一大ハーレムでも作りますかね」
「ハーレムって……」
子供みたいなアンガスを囲んで、アラビアンナイトに出てくるようなシースルーの衣装を纏った女性陣が傅く様子が目に浮かんで、ジャスティンは頭を抱えた。
「心配ないですよ。僕、今までに一度も修羅場ったことないんで。最大同時に七名進行だったかな。女性達で相談して何曜日担当するか決めてましたから」
「……やっぱ神様は不公平だ……」
そんないい目を一度も見る事の無かった自分の儚い人生を哀れんで、ジャスティンは談話室のクッションを抱き締めた。
「先輩、そんなにモテないとは思えないんですけど」
「悪かったな! モテなかったわ!」
ドーベルマンが仔犬に噛み付く勢いでジャスティンが怒鳴ると、「ひゃん」とアンガスは首を竦めたが、またチラッと思わせぶりな視線を上げた。
「それって、きっと連れの問題じゃないですかね」
「連れ?」
「先輩の運気を全部吸い取っちゃうような、そんな人が何時も一緒だったんじゃないですかね」
ジャスティンの脳裏に、得意そうに鼻で笑っているあの男の顔が浮かんだ。




