第二章 第四話
看護師のネットワークというのは何処がどう繋がっているのか、翌日には『あのジャスティン・ウォレスは真正のロリコンだ。あの『椿姫』の誘いを断った』と院内にもう広く知れ渡っていて、当のカメリア本人は知らぬ存ぜぬを通してはいたが、益々悪化していく職場環境に、ジャスティンは諦めに似た嘆息をついた。
小児科医局でもヒックスにニヤニヤとからかわれて、看護師達の冷たい視線にも晒されて、何時もはこんな時でも気にせずに接してくれる病棟看護師カレンも、今日はまだ一度も口を利いてくれてはいなかった。
「断ったのに、何で俺が悪者なんだよ」
職員食堂でも遠巻きにされ、時折チラチラとジャスティンを振り返る視線に痛む頭を抱えていたが、目の前に座っているアンガスはやっぱり何も気にしていないようで、今日もモリモリと食べていた。
「でも、誘いに乗らなくて良かったと思いますよ」
分厚いチキンステーキに齧り付いて、嬉しそうにモグモグとしながらアンガスは笑った。
「そりゃ当たり前だ。幾らなんでも、職場で女を買うような真似をする奴が」
「一杯いるそうですよ」
呆気らかんとしたアンガスの台詞に、ジャスティンは開いた口が塞がらなかった。
何でも、誘った男が落ちなかったことが無く、ゴタゴタが生じるのは避けているのか、既婚者には手を出さず、未婚の若い男ばかり狙っているのだという。
「それで、今まで落とせなかった男が一人も居なかったんで、別名Ms.パーフェクトと呼ばれているそうで」
小声でヒソヒソと話すアンガスに顔を寄せ、ジャスティンはムッとした。
――パーフェクトを名乗るなら副長殿ぐらい完璧になってからにしろ。
前職でジャスティンの上司だったネルソン・アトキンズ中尉の、全てに於いて完璧な素振りを思い出して、ジャスティンは面白くなさそうにマッシュポテトを口に放り込んだ。
「でもまぁ、別の意味でも誘いに乗らなくてよかったと思いますよ。抱いてみれば分かるけど、大味でなんていうか、反応の薄い人形を抱いてるみたいなんですよね。一見美味しそうな肢体だったんですけどねぇ」
次の一口にナイフを入れながらポツリと言ったアンガスの言葉を、聞き間違えたのかと目をパチクリとさせたジャスティンは、思わず立ち上がって「ええ?」と叫んでいた。
小児科に配属されて直ぐに誘われたというアンガスは、あっさりと誘いを受けたのだと笑った。
「僕には、先輩みたいに公言している彼女が居るわけでもないですから」
同期なのに年上だからという理由で、ジャスティンを先輩と呼ぶアンガスは、食堂から屋上に連れ出されて、ひと気の無い隅っこでケラケラと笑っていた。
小柄で十代にしか見えない外観のアンガスが、そんな大胆な性格だったとは露も知らずに、呆れたジャスティンは「はぁ」と言葉を返すしかなかった。
「僕はこういう見た目なんで、もしかして童貞と思われてるんですかね。誘いは多いんですけど、彼女以降は断ってます。同じ場所で複数そういう関係を結ぶと、後々面倒なんで」
外見は迷子の仔犬だけれど中身はプレイボーイなアンガスを前にして、ジャスティンは己の未熟さにため息をついた。
「でもいいじゃないですか。『俺のビアンカは最高にいい女なんで間に合ってます』ってカッコいいと思いますよ」
自由恋愛主義だからこそ俺がロリコンでも気にしなかったのかと、ジャスティンは屋上のフェンスに寄り掛かって「まぁな」と空を見上げた。
関係者が多く出入りするこの病院内の噂が飛び火してあちこちに広まるのはあっという間で、翌週の休みに聖システィーナへ行ったジャスティンを出迎えたビアンカが蒼の瞳を潤ませているのを見て、しがみ付くビアンカの頭をグリグリと撫でてやってジャスティンはフゥと息を洩らした。
「だから、大丈夫だって言ったろ」
「……うん」
それでも切なげな顔で見上げるビアンカの涙で濡れた頬を拭ってやって、ジャスティンはゆったりと微笑んだ。
「お前が最高だから」
【守護者】としての自分の役割を全うしようしているビアンカの澄んだ心が愛おしかった。自分を信じて真っ直ぐに向けてくる蒼の瞳の、穢れの無い輝きに嘘はつきたくなかった。
また自分の腹に顔を埋めたビアンカの髪をゆっくりと撫でながら、ジャスティンは穏やかに微笑んだ。
だが、程なくしてまた新たな噂が院内を駆け巡った。
「『椿姫』はジャスティン・ウォレスを誘ってない。大人の女にも興味はあるらしく言い寄ってきたが、彼女はあんな男好みじゃないと言って鼻にも掛けなかった」
という噂が院内に広まり、院外に広まるのにも余り時間は掛からなかった。
「なんなんだよ、全く」
袖にされた事に自尊心を傷つけられたカメリアが意図的に流したのかとも思ったが、そこからまた、『ロリコンだと思ったけど実はオールラウンド』という新たな渾名にジャスティンは辟易として、また屋上で空を見上げていた。
「ああ。ちゃんと彼女は言う事を聞いてくれたんですね」
カップのお茶を美味しそうに啜りながら呟いたアンガスの言葉に、もうジャスティンは驚かなかった。
これからも定期的に抱いてやるから、ジャスティンはロリコンではないという意味の噂を流せとカメリアに指示したのが、アンガスだったのだ。
「まぁ、仕込めばそれなりの身体だし、もっと楽しめるようになるかもしれませんし」
シレッと話すアンガスのこの小さな体の何処に、女を自在に操る能力が隠されているのかと、ダボダボのピンク色の術衣の下半身をじっと見つめて、ジャスティンは開いた口が塞がらなかった。
「……至って普通ですよ?」
ジャスティンの視線に気付いてニコッと笑ったアンガスの顔は、頭を撫でて貰って尻尾をブンブンと振っている仔犬のようで、もう言い返せないジャスティンは両手を挙げて降参した。
しかし新たな噂は、また不穏な波紋を呼んでいた。
院内では、誰がジャスティンを落とせるかという競争が密やかに始まったらしく、あれだけ自分を遠巻きにしていた女達が長い睫をバチバチさせて摺り寄ってくるのも鬱陶しかったが、W校では再び戦闘意欲を燃やしたロドニーが、最近ボクシングも始めたらしく、虎視眈々とジャスティンを狙っているという話が、ビリーから含み笑い交じりに齎され、一方のエドナは、また自分とは口を利いてはくれないだろうとジャスティンは頭を抱えた。
そして次に聖システィーナを訪れた時、泣きじゃくるビアンカをどうやって宥めようかと、尽きない悩みにジャスティンは「ああ、もう!」と頭をバリバリと掻いた。




