第二章 第二話
「ちょっと! なんでジャスティンがいるのよ!」
女子の診察室に姿を見せたエドナが、平然とした顔で立っているジャスティンを見つけて頬を赤らめて不満げに叫んだが、ジロリと横目で睨んだジャスティンは小さくコホンと咳をして、不機嫌露にムスッとした顔のまま言った。
「俺は助手だからな。ちゃんと担当医師は女医だし、内診する時はパーテーションがあるから問題ない」
「女の看護師さんにしてくれればよかったのに」
まだブツブツ文句を言っているエドナは不満そうだったが、もう一人のBVI出身の少女アデラ・ノックスはドレッド風にした黒髪を揺らしてケタケタと笑った。
「一応お医者さんなんだから心配ないんじゃない?」
十四歳になったアデラは黒い肌に黒い瞳を持つ黒人系の混血で、エドナよりも四歳年下ではあったが、豊満な胸は既にエドナよりも目を見張るものがあり、括れた腰から伸びる長いスラリとした足も、マリンブルーのタータンが映えて、少女から女性への階段を一気に駆け上がろうとする若さが迸っていた。
「でも、確かジャスティンってロリコンだよね? 大丈夫?」
心配げな顔でエドナにコソコソ囁いたのはティア・ミドルトンという少女で、アデラと同じ十四歳であったがエドナと同級生だった。
海軍のティルベリードックのドック長を父に持つ彼女は、子供の頃から父親に武術を仕込まれていたらしく筋肉質のがっちりとした身体つきで、皆と同じマリンブルーのタータンを身に纏っていたが、白いポロシャツを捲ったその下の腹筋は、きっとシックスパックだろうと、ティアの筋肉のつき方を見て、ジャスティンは内心で舌を巻いた。
「とにかく、さっさとしろ。先生が待ってるんだ」
「あら、ジャスティン、ダメよ。子供達には優しくね」
パーテーションの向こうから姿を見せたカメリアの妖艶な笑みにあてられて、口を開けたままポカーンと見ている三人の女子の顔をクスクスと笑って、ジャスティンは一旦顔を引き締め直してから、にこやかに見える笑顔を作って女子達に話し掛けた。
「さあ、順番に並んで。まず検温と、血圧測定から始めるからね」
そのジャスティンのニコニコ顔を真顔でじっと見ていたエドナは、口をヘの字にして呟いた。
「ジャスティン……気色悪い」
「何でだよ!」
思わず素で叫んだジャスティンは、ケラケラと盛大に笑い出して止まらなくなったアデラが、身体を折って苦しそうになりながらも笑い続けているのを横目に、ムスッとした顔で黙り込んだ。
「無事に終わってよかったですね」
後片付けをしながら、アンガスがニコニコとジャスティンに話し掛けてきたが、無事ではなかったジャスティンは剥れたまま返事をしなかった。
結局あのままエドナは最後までジャスティンに冷たくあたって、ジャスティンがビアンカを輸血で助けた直後には、自分にしがみ付いて泣きながら「ジャスティン、ありがとう」と言っていたのは、きっと俺の願望が見せた幻影だったに違いないと、ジャスティンは力無く己を嘲笑った。
エドナが、自分の事をまるで汚らわしいものを見る目で見ていたのは事実だった。そりゃあ、自分の手で五歳まで育てたビアンカが、こんな図体のデカイ男に、しかもまだ十歳という年齢で奪われたのだから、憎むなというほうが無理であろう。
それでも最近は、ようやく自分とビアンカの事を認めてくれたと思っていたのに、気まぐれな女心は分からねぇと、ジャスティンはため息をついた。
「お腹空きましたねぇ」
ジャスティンのどんよりした雰囲気も全く気にせず、アンガスは暢気に空を見上げて切なそうに息をついて、もう昼食の時間が近い事に気付いてジャスティンも腕時計を見下ろして「ああ」と頷いた。
「俺達もとっとと帰るぞ」
ライアン医師とカメリアの二人は午後の診察があり先にロンドンへと戻っていた。病院用のライトバンに器材を詰め終わって最後に部屋をチェックしたジャスティンは、小会議室の扉を閉め預かっていた鍵を掛け終わってフゥと安堵の吐息をついたが、その背後から「お二人ともお時間あるかしら」と声を掛けられてアンガスと同時に振り返った。
「昼食をご用意したのよ。簡単な物ですけど、いかが?」
穏やかに微笑んでいるオルムステッド校長の顔を見て、パアッと顔を明るくした二人は顔を見合わせあって同時に頷いた。
昼食はチキンサンドイッチにサラダボウル、温かいコーンスープと大きなメレンゲパイがセットになったワンプレートで、まだ生徒数が少ないので寄宿舎で用意して昼食の時間に大食堂に運んでくるのだとオルムステッド校長は笑った。
確かに百名は入るであろう大食堂では、日の当たる窓側に僅かに座る生徒と、少し離れた位置で談笑している教授陣が居るだけで、だだっ広い大広間に其々の声がワンワンと反響してはいるが、ひと気の無いテーブルで埋め尽くされている光景は、何処かうら寂しいものがあった。
その教授陣の輪の中に、あの男の姿を求めて探したジャスティンだったが、その中にはビリーの姿は無かった。
時間がある時には必ず寄宿舎へ戻っているというビリーは、今頃はきっと、愛妻と愛娘とのんびりと食卓を囲んでいるんだろうと、羨ましさも手伝ってジャスティンは小さく「チェッ」と洩らしたが、子供達の席の隣に用意された自分達のトレーを見つけたアンガスはもう「待て」が効かないらしく、パタパタと尻尾を振りながら駆け寄って、「早く早く」と嬉しそうにジャスティンを手招きした。
「よぉ」
用意されたジャスティンの席の隣に座っていたのはビアンカの兄ロドニーで、右腕を突き上げて挨拶してきたロドニーに拳を返して「よぉ」とジャスティンもロドニーに笑い掛けた。
ビアンカの怪我の一件以来、ジャスティンに平身低頭をして感謝したロドニーはすっかりと打ち解けて、ビアンカの事も認める事にしたらしく、以前のような攻撃性を見せることは無かった。
「お前は問題なかったか?」
品数が少ない所為かボリュームのあるチキンサンドイッチに齧り付きながらロドニーに声を掛けたジャスティンに、「おう」と返してロドニーはニヤリと笑った。
「まぁ、もうちっと背があるといいんだけどな。後は問題無しだ」
もうサンドイッチを食べ終えて、サラダボウルには手を付けずに、目の前のエドナのトレーにそっと手を伸ばしたロドニーだったが、「ダメ」とエドナにぴしゃりと手を叩かれて、不満そうに口を尖らせた。
「骨格の事はしょうがないよね。俺達環境劣悪だったもん」
首を竦めて大人びた事を言うのはアデラの兄ザックで、こちらもアデラと良く似たドレッド風にした髪がよく似合っていた。
「まぁね。でもイングランド育ちのコリンもチビだよな」
「キッド、駄目だよ。コリン、気にしてるんだから」
相変らず口の悪いキッドことキット・ルガートとアキ・リンゼイのコンビもすっかりW校に慣れたようで、金髪に茶色の瞳で褐色の肌を持つキッドと、淡茶色のクルクルとカールした髪と茶色の瞳、肌は黒人系に近いアキとは兄弟ではない筈だが、この二人は何時も一緒で仲が良かった。
話題に上がったコリン・エバンスは、BVIの子供達と少し距離を置いて、ティアと見つめ合いながら食事を楽しんでいた。
「なんで一緒に食べないんだ?」
もしかしたら子供達の間に壁が出来ているんじゃないかと心配になったジャスティンが、ロドニーにそっと問い掛けたが、メレンゲパイを食べるのに夢中のロドニーは素っ気無く「ああ」と言った。
「今はデートの時間なんだってさ。此処じゃあ授業中も寄宿舎でも二人きりになれる事はないからね。アイツらラブラブだし」
ブハッと盛大にお茶を吹いたジャスティンは、どちらかというと体育会系のティアが、潤んだ瞳でコリンに笑い掛けているのを見て、やれやれと苦笑を溢した。
このティアが実はビリーの妻テレサが産んだ子供だという事は、極秘事項として子供達は勿論の事、多くの教授陣にも殆ど知らされてはいなかった。
カナダの【核】として数奇な運命を辿ったテレサではあったが、一度は望まずして自分の手を離れた子供が、こうして幸せに大きくなっている事を素直に受け止めたようで、一緒の寄宿舎で生活しながらも決してその事を口に出す事は無いとビリーが言っていたのを思い出して、今はメアリー=アンという娘を授かって懸命に育てているテレサも、自分の過去を知らずに明るく生きているティアも、どちらにも穏やかな風が吹いている事に、ジャスティンは満足気に息を漏らして、若い二人のカップルを目を細めて見守った。
「ジャスティン、妬いてんの?」
その視線を勘違いしたのかケラケラと笑って突っ込んだキッドに、アキが心配そうにまた耳元で囁いた。
「やめなよ、ジャスティン怒ると怖いよ」
「おう、俺は怒ると怖いぞ」
何時までも変わらない子供達を見て、ジャスティンは満足そうにケタケタと笑った。




