貴方は?
最初は私ではなく、他の子に声が掛かったものとばかり思い込んでいた。しかし、再び「御嬢さん?」と顔を覗き込まれれば、嫌でも自分だと解る。
「え、ああ、はい、こんばんは」
まだお姉様の演説中というのもあって、少し無視しようかという気持ちが出てくる。
でも、お姉様の御顔に泥を塗るわけにはいかない。
「御嬢さんは、愛華女王の妹さんだよね?」
「はい、沙祐里と申します。
今日はわざわざお運びをいただき光栄です」
ああ、この人もお姉様目当ての人なのかな。
私を仲介に、お姉様に近寄ろうとする輩は少なくない。お姉様はこの国のトップの人だし、とても美人で優しい。だから、お嫁さんにしたい人はそれこそ山の様に沢山居る。
お姉様には幸か不幸か、許婚が居なかった。大抵の貴族は、生まれた時よりも前に親たちが、勝手に許婚の約束をして子どもの運命を決める。『そんな風に言ってはいけないわ』と、お姉様に怒られたこともあるけれど、やはり私はそういう風にとらえてしまう。
「僕は智行。
ちなみに、目的は女王様じゃなくて君だよ、沙祐里ちゃん」
苗字を名乗らないなんて変だなと内心で首を傾げた瞬間に、心を読まれたかのようにそういう智行様。
「私に?」
素直に首を傾げると、面白そうに微笑みを浮かべられる。
「うん、そうだよ。
沙祐里ちゃんは、今日踊る相手はいるのかな?」
いないんだったら、そこまで聞こえたところでお姉様の演説が終わってしまい、しっかり聞けなかった謝罪の意も込めて、大きめに音が鳴る様拍手する。
智行様が、一瞬何処か悲しそうな目をした気がする。
「居ませんよ、今の所は」
お姉様の方を見たまま答えれば、「それなら、僕と踊らないかい?」すぐに返事がやってくる。
「私の様な者と踊って楽しいのですか?」
あまりうまく踊れませんよ。そう付け足せば彼は笑って「僕は楽しそうだと思わなきゃ誘わないし、僕はダンスの練習、ずっとサボってきたから君の方が上手いと思うよ」私の手を取ると、恭しく手の甲に口付けた。それも、本当に。
普通、手の甲に口付けするときは相手の手の甲の上に自然な流れで親指を乗せ、其処に口付ける。
汚いからなのか、毒殺などの心配なのか、教えてもらったことは無いけれど、今まで本当に口付けて来た人なんていなかった。
あまりの驚きに固まっている私に、優しく微笑みを浮かべて「じゃあお姫様、行こうか」腕を引かれて、既に音楽が流れ、いくつかのペアが躍っているダンスホールに連れ出される。腕を引かれたときに痛みを感じなかったのは、智行様の気遣いか何かなのだろうか。
踊りが下手という割には、音楽のリズムのままに自分のアレンジを入れたりしていて、上手く踊っている。しかし、アレンジがばれない程度に、そして私がついてこられるように入れてくる。
「アレンジ入れちゃうのバレると面倒だからね」
くすくすっと面白そうにそう言って私にターンをさせる。その時に気付いたのだが、意外と真ん中の目立つところではなく端っこの方で私たちは踊っていた。
そして、お姉様が他の殿方たちとお話していらしたのも視界に入る。お姉様に近づけるということは、相当な力を持つ貴族たちだろう。
「沙祐里ちゃん、そんなにお姉さんが心配?」
考え事しているのがばれたのか、そうやって訊いてくる。
「心配です」
そういえば、智行様は悲しそうな顔をした。
「そっか、じゃあこの曲が終わったら僕がお姉さんの所に連れて行ってあげるよ」
悲しそうな顔をした理由が解らなかったが、お姉様が心配なのもあり頷き、ラストスパートに入った曲に合わせて体を動かす。
「沙祐里ちゃんは、お姉さんが大事なんだね」
曲の終わる寸前に、私が聞こえるか聞こえないかの音量で智行様が呟いた。
返事を返す前に終わってしまって、お互いに礼をすると、元通りのあの優しい微笑みを浮かべた智行様が手を引いてくれる。
引っ張ってる間も、なるべく痛くならないようにしてくれているようで、しかもなるべく無理に通らなくていい道を選んでくれる。紳士的だ。
こんな人にならお姉様を……。なんて思ってしまったが、まだ本性が解らない。
それに、お姉様ではなく私に用がある……。
苗字も名乗っていない。
……可笑しい。
そこまで考えたところで、智行様が止まった。
「行っておいで」
と、今まで掴まれていた手を離され、そっと背を押される。その押された手が、妙に温かくて、何処か安心する体温だった。