4 交流祭1日目、発表会
交流祭の一日目の夜は、遊牧の民による演奏と、農耕の民による発表会が催される。
ここで発表されるのは、農耕の民からは踊り子による踊り、放牧の民からは楽士による演奏だ。踊り子は女性ばかりであるが、楽士はそのほとんどが男性だ。
ちょうど今、ハルノイたちが森の木々を背面にした舞台に着いた時、放牧の民の演奏が始まるころだった。
甲高い笛の音が暗い空を渡り、凍えた観客たちの耳を突き抜けると、たくましい打楽器の音が大地を這う。そして元気のいい弦楽器の擦れる音がそれに重なっていく。まるで、山の土の力強さと、風の冷たさ、そしてその中を楽しく歩いていく者たちを描くように。
導入からのその迫力に、観客たちは圧倒されていた。
曲が進み、完全にすべての楽器が一体になると、だんだんと曲調が穏やかになっていく。そして主旋律を完全に弦楽器が引き受ける。小休止を挟み、音はやがて弾み始める。今度は、弦楽器の音が二つに分かれている。
鋭い笛の音が聞こえると、一気に盛り上がった。休んでいた楽器も皆動き始め、舞台の周りの松明の炎が揺れ動く。激しく交差し合う楽器たちの音色がハルノイの頭の中を駆け巡った。
力強い太鼓の音に合わせ、何度か単発的な盛り上がりを見せ、一斉に曲は終了した。
余韻が完全に去った後、観客の方から大きな拍手と歓声が沸き起こった。
「すごい……」
ハルノイの口から自然と嘆声が漏れた。
何度も聞いた曲であるのに、毎年感激せずにはいられない。まるで曲の中に一つの物語があるようで、変化の豊かな音波に毎度吸い込まれてしまうのだ。
「おい、ハルノイ。」
ぼんやりと余韻に浸っていた少女の背中の方から、少年が呼びかけた。
「何?」
振り向くと、大きな少年と眠たそうに目を擦る小さな少年がいた。話しかけたのは大きな少年の方だった。
「おまえの母ちゃん、今年も出るのか?」
「ええ、そうよ。」
少女が自慢げに言うと、少年は興味なさげに鼻を鳴らすだけだった。
そのまま話が続く様子がなかったので、ハルノイはそのまま舞台の方へ向き直った。舞台の上は、遊牧の民が楽器を片付けているところだった。
「なあ、ハルノイ。」
「何よ。」
振り向かず、声だけで応じた。
「……おまえは、あと何年で踊り子になるんだ?」
「……え、何言ってるの?」
少女は笑い始めた。
少年と少女は同い年だ。少しばかり、生まれは少女の方が早い。
この村では、十五歳になったら大人として認められる。そして大人になると、基本時にそれぞれがそれぞれの役割を果たすようになるのだ。
今はハルノイと同い年であるはずのソーイが、彼女にいつ成人するのかと訊いたことになり、少女はそれがおかしいのだ。
それに気づいて、大きな少年は顔を赤くした。あいにく、暗くて少女には分からないが。
「ああそうだな、あと六年だったな。」
大きな少年がそう言うと、傍らにいた小さな少年が、兄をからかった。
「にいちゃんボケたの?」
大きな少年は弟の頭を小突くと、話を切り替えた。
「それよりもよ、ここでいいのかよ?もっと前に行った方がいいんじゃね?」
少女はちらりと舞台の方を見て、首を横に振った。
「いいわ。ここからでも舞台はちゃんと見えるし。」
先ほど遊牧の民の演奏の時は、少女たちの前の方の観客は、ほとんど座っていた。後ろに行くにつれ膝立ちになったりしている者もいたが、そのほとんどが子供である。それでも、少女たちの視界の妨げにはならなかった。
しかし大きな少年はそれに反対した。
「いや、でも今のうちに前に出ておかないと、大変なことに……」
そこで、観客席の方から口笛やら歓声やらが聞こえてきた。それに反応して、少女は舞台の方を向いた。
家族連れや女たちは避難するように抜け始め、代わりに舞台の方にぞろぞろと男たちが集まり始めていた。舞台の方を見ると、綺麗に着飾った踊り子たちが舞台の横から入り始めているところだった。遊牧の民の時とは違って、賑やかな始まり方である。
そこでハルノイは慌てだした。
「しまった!そうだった!!」
ハルノイは慌てて前に出ようとした。しかし、ある程度まで行くと、騒ぎ出した男たちに阻まれ、思うようには進めなかった。
ソーイが大きく息をついた。ターイは一生懸命舞台の方を見ようと跳んでいる。
少女は溜息をついて落ち込み始めた。
「ああ、どうしよう……。お母さんが見えなくなっちゃった……。」
ハルノイは毎年、リクノアに肩車をしてもらって観客の後ろの方から母親の踊りを見ていた。しかし、頼みの叔父の姿が見当たらない。
舞台の袖には、しっかりと中が見えないようにする板が有るので、横から見るのは難しい。ハルノイはもう一度前の方へ向かおうとしたが、興奮した男たちの壁に阻まれ、跳ね返されるだけだ。後ろに下がれば見えそうではあるが、少女たちは新たに後ろにできた男たちの壁のせいで、前には進めなかった。
ダンっと舞台を強く踏み鳴らす音が、かすかに聞こえてきた。そこから続くはずの軽快なスッテプの音は、観客の声に揉まれて少女の耳には届かなかった。時々観客の頭の間から、踊り子たちの髪飾りが揺れるのが見えるだけだった。
「お母さん……」
項垂れた少女の肩を、後ろから伸びてきた大きな手が優しく叩いた。
「リクノアおじさん……!」
少女がその腕を伝って見上げると、優しく微笑むおじの顔があった。
「遅くなってごめんね。ちょっと、片付けにてこずっちゃってね。」
そう言いながら、彼は男たちの壁を割って進み、屈んでハルノイに乗るように促した。
「あ、いいな!俺も踊り見たいよ!!」
ターイの騒ぐ声が後ろで聞こえた。
その声にハルノイがためらうと、ソーイが屈んだ。
「ターイ、俺がおぶってやるよ。」
「わーい!ありがとにいちゃん!!」
そうしてそれぞれ、ハルノイはリクノアに肩車をしてもらい、ターイはソーイにおんぶをしてもらった。リクノアが立ち上がると、一気に目線が高くなり、舞台の上までよく見えた。対して少年たちの方は、ふらふらよろめきながら立ち上がったが、小さな少年の頭がリクノアの肩に並ぶほどだった。
「にいちゃん、見づらいよ。」
「我慢しろよ、これ以上高くできねえんだよ。」
「えー、ねえ、にいちゃんも肩車してよ。」
「無理だよ、危ねえだろ。」
「えーそんなあ。」
そう言いながらも小さな少年は、精一杯首を伸ばし、目の前にある数多くの男たちの頭をよけて、舞台の上を見ようとしていた。
「……ハルノイちゃんは、よく見えるかい?」
そんな兄弟の会話を耳に入れ、微笑ましげに笑っていたリクノアは、舞台の方を一生懸命に見つめるハルノイに尋ねた。
「うん!ありがとう、リクノアおじさん!」
「ちゃんとお母さんは見えたかい?」
「うん!やっぱり今年も真ん中!!」
嬉しそうに少女は答えた。
真ん中で踊る踊り子は、村で一番踊りがうまいものとされている。ハルノイの母親であるハミーユは、成人したその次の年から、ずっと真ん中で華やかな踊りを振る舞っているのだ。
歓声で掻き消えたスッテプの音は、視覚を通して補われ始めた。それはしっかりと耳になじんだリズムで、遠くにいてもどのように踊っているのかハルノイにははっきりわかった。
いつも練習している時とは違って派手な衣装で着飾った母親の踊りは、周りで踊る若い娘たちと比べても、全く劣らず美しかった。冬の夜の寒さを吹き飛ばすような強く熱い、大好きな母親の踊り。
「凄いな……まだハミーユ義姉さんを抜ける踊り子がいないだなんて……。」
リクノアが嘆声を漏らすと、少女は誇らしげに答える。
「だって、お母さんの踊りは凄いんだもん!絶対に誰にも負けないよ!!」
「そうだね……」
リクノアはそこで何かを考えたように一旦黙って、話を切り替えた。
「ねえ、ハルノイちゃん。今年もエクノワ兄さん探してみる?」
「お父さん?……分かった!」
少女が舞台の方に視線を戻すと、一瞬だけハミーユと目が合った気がした。母親の踊りを見ていたいと思ったが、綺麗な母親の踊りに釘付けになっている父親の姿を探すことも楽しみなのだ。
舞台から視線をおろし、まずは舞台の周りの観客の頭を舐めまわす。
「……あ!」
「え、もう見つかったのかい!?」
リクノアは感心して声を上げた。しかし、ハルノイは首を振って否定した。
「違うよ。ほら見て、族長さん!」
リクノアは見えていないようで、頭を少しだけ揺らした。それと同時にハルノイもふらふらと揺れるので、一層リクノアの頭を強くつかんだ。やがて叔父は、ようやく見つけたように、小さく声を上げた。
「もしかして、舞台の前の、大きな人かい?」
「うん、そう!」
リクノアは苦笑した。
「族長め、ちゃっかり特等席取ってたんだな。」
つられてハルノイも無邪気に笑った。
「族長さん、楽しそうだね!」
遊牧の民の族長は、舞台の真下で、大きな手を叩いて踊りのリズムを刻んでいる。他の観客もそうしているのだが、大男の手は一層目立つのだ。
対してハルノイの父は、少女がその場を見渡しても全く見つからなかった。どこを見ても、跳ね上がったり手を叩いたりして騒いでいる男たちしか見えないのだ。
騒いでいる父の姿を期待していた少女は、次第に萎れはじめた。
「……だめだ、お父さん全然見つからないよ。」
「エクロワ兄さんは放牧の民の中でも小柄だったからね。今は俺の方が大きいんだ。」
それを聞いて、少女は意外そうに声を上げて、リクノアの顔を覗き込んだ。
「え!?本当に!?」
リクノアは首と目をできるだけ上げ、少女の目線に合わせる。
「そうだよ。ハルノイちゃんが産まれてちょっとしたぐらいにはもう抜かしていたよ。」
「そんなあ、だってお父さんの方が年上なんでしょ?」
信じられないと言うように、少女は抗議した。
「んーでも、そういうことってあるんだよ。今度並んでみようか?エクロワ兄さん、きっと嫌がるだろうけどね。」
そう言われて、少女は迷った。
今まで記憶の中では、父と叔父が並んで話している場面は確かにあった。しかし、少女にとっては二人ともあまりにも大きすぎて、どちらが高いなんて分からなかった。
「いい。だって二人とも大きいもん。」
リクノアは微笑んだ。
突然、舞台の方から一際大きい歓声が聞こえた。それが一通り静まると、一部の舞台の近くの観客たちが、ひそひそと何かを話し合った。
「きっとハミーユ義姉さんは、エクロワ兄さんを見つけたんだな。」
リクノアは騒いでいる方を、首を懸命に伸ばして見つめた。
ハミーユは毎年、娘と夫と目が合うと微笑みかけるのだ。するとその周りの男たちは、自分に微笑みかけたのではないかと勘違いをして騒ぎ始めるのだ。それが父を探すヒントになるのだ。
ハルノイも騒いでいる場所を隈なく探し始めた。一つ一つ、そこにある頭を一つも逃さず確認していく。途中、遊牧の民の族長の頭が引っ掛かったが、それも違うと視線をずらす。
「どうだい?」
リクノアの問いかけに、ハルノイは首を振った。
「だめ、本当に見つからない……。」
諦め気味に、ハルノイは溜息をついた。
「そんな、ハミーユ義姉さんが微笑みかけたんだ。そこら辺にいないのかい?」
少女は激しく首を振った。
落ち込んで黙ってしまった少女に、リクノアは優しく声をかけた。
「ハルノイちゃん、どうして男たちが踊りの時にこんなに騒ぐかわかるかい?」
少女は少し考えて答えた。
「えっと、楽しいから?」
「んーそれもそうなんだけど、やっぱり、踊り子は皆綺麗だからね。」
少女にはその意味が分からなくて、首を傾げた。その様子を察知したリクノアは、補足をした。
「男はみんな、綺麗な人が好きなんだよ。」
「え、でも、リクノアおじさんはいいの?」
少女の問いかけに、リクノアは困ったように首を傾けた。
「だって、俺まで踊り子の虜になっちゃあいけないしな。」
その言葉には、本当は見たいのだという気持ちが含まれていたような気がした。
「そっか、リクノアおじさんは農耕の民にはなれないんだ。」
「そうだよ。エクロワ兄さんがハミーユ義姉さんに捕まったりしたからね。」
叔父は冗談めかしてそういった。
少女は再び、舞台の方を見た。するとすぐに母親と目が合い、すかさず母はこちらに向かってウィンクをした。すぐに周りの男たちが跳ね上がった。母は既にこちらに気付いていたらしい。
「ねえ、リクノアおじさん。」
「なんだい?」
騒ぎ出した男に負けないように、リクノアは大きな声で返事をした。ハルノイも大きな声で問いかけた。
「お父さんは、お母さんの踊りを見て、農耕の民になるって決めたの?」
やや間を空けて、リクノアは答えた。
「そうだよ。ハミーユ義姉さんが踊り子を辞めたくないって言ったから……エクロワ兄さんは農耕の民になったんだよ。」