3 交流祭1日目、日没直後
「おーい、ハルノイ!」
陽が山に隠れ、オレンジ色が山の輪郭から少しはみ出る頃だった。露店はだんだんと片付け始め、人の行き交いが少なくなっていた。その冷たい薄暗さの中、リクノアの元で話を聞いて興奮しているハルノイに向かい、小さな少年を連れた大きな少年が駆けてきた。彼女は初めそれに気が付かなかったが、リクノアが少年たちに気付きそれを指摘して、ようやく彼女は少年たちに気が付いた。
「……ソーイ、なんなの急に?」
話を中断され少し気分を害した少女は、大きな少年にやや不機嫌そうに言葉を放った。それが気に入らなかったのか、少年が不満をぼやいた。
「ったく、せっかく教えてやろうとしているのに、なんだよその態度。」
その言葉が、少女の不満をさらに刺激した。
「別にいいよあんたに教えてもらわなくたって。今リクノアおじさんに旅のお話聞かせてもらってるんだから、邪魔しないでほしいの。」
先日、ハルノイはリクノアに旅の話を聞き出そうと試みたのだが、彼が持ってきたある一つの品に夢中になり、いろいろあって他の話を聞くことができなかった。だからハルノイは、祭りの間彼に付き添い、暇を見ては彼の話を聞こうとした。リクノアの方も、ハルノイが宣伝になってくれるので助かっているらしい。
「ああそうかよ。じゃあ、やっぱ教えてやんねえ!」
「何よ、せっかく言いに来たんでしょ?じゃあ、言ったらどうなの!?」
「気が変わったんだよ!もう言わねえ、一生言わねえ!」
イーっと白い息と歯を見せて、大きな少年は少女に意地悪そうに言い放った。それに少女はあからさまに苛立ちを見せ始めた。
二人は、白い息を荒立たせ、口げんかを始めた。
そこに居合わせたリクノアは、それが発展しないように、二人を宥めた。
「まあまあハルノイちゃん、そんなに怒らないで。ソーイ君も、そんな意地悪言わないで、ほら、言ってごらん?」
優しく言う彼に、大きな少年はきまりが悪そうに口を尖らせ何かを言おうとしたが、ちらりと少女を見て、やがてそっぽを向いた。
「嫌だね、そいつが謝るまでは絶対言わねえ。」
「なによ!私何にも悪いことしてないでしょ!?」
「なっ、お前よくそんなこと言えるな!」
リクノアは再開した言い合いを止める気が起きなかった。呆れたのではない。この薄暗さの中でも表情を顕わにする子供たちに、微笑ましさを感じているのだ。
「まったく……」
ふっと息をつくと、彼は露店の片付けに取り掛かろうとした。
すると、不意に裾を引っ張られたので、そちらに振り向くと、小さな少年がこちらをじっと見つめていた。
「ねえおじさん。あれなあに?」
リクノアと目が合うと、寒そうに縮こまった少年はわきに置いてある瓶を指差した。
「ああ、それはね……」
「それは氷の花よ!」
突然、戦線離脱したハルノイが、割って入ってきた。
「氷の花?」
不思議そうに小さな少年は首をかしげた。
「おい、逃げんのかよ!」
ソーイが後ろから声をかけたが、彼は楽しそうにしている弟を見て、怒りを収めた。
「そう!私が名前を付けたの!!」
ハルノイが自慢げに言う。
「へえ、すごいや!」
そしてきらきらした目を、瓶の中の透明な花に向けた。
「なんだよこれ、花びらが透明じゃん。」
ソーイがそれに顔を近づけた。すると、小さな少年は兄の顔の上に自分の顔を乗せた。
「ねえ、にいちゃん。俺これ欲しい!」
そんな弟のおねだりを、自分自身も欲しいのか、快諾したように大きな少年は頷いた。
「なあおじさん。これ、いくらだい?」
リクノアはハルノイに見せたような苦笑を浮かべた。
「……残念だけど、これは売り物じゃないんだ。」
「ふうん。なんだそうなのか。」
青年が申し訳なさそうに断ると、大きな少年は素直に諦めて立ち上がった。
しかし、小さな少年の方は、兄の背中からずれ落ちる拍子に、両手でその背中をしっかりと掴み、駄々をこね始めた。
「えー、にいちゃんお願いだよ!買ってよ!」
「だってこれ売り物じゃねえじゃん。買えねえよ。」
「なんで!?ねえおじさん、売って!!」
兄の服を掴んだまま、小さな少年はすがるような目を、露店を開く青年の方に向けた。
「……悪いね、これだけはどうしても売ることができないんだ。」
ふとソーイはハルノイのことが気になってそちらに視線を向けると、なぜか彼女は悲しそうな眼をして、こちらを見ていた。
「ねえ、にいちゃんもお願いして!」
勢いよく裾を引っ張られ、大きな少年は引き戻された。
「ターイ、いい加減にしろ!」
はずみで、ソーイはつい大声を出してしまった。すると見る見るうちに弟の顔がゆがみ始めた。
「う、うう……」
泣きそうな声を上げる弟に、大きな少年は当惑し、一生懸命慰めようとする。
「んああ、ほら、買うのが無理だったら、俺がとってきてやるよ!」
「ほんと!?」
小さな少年の表情がくるりと一変した。同時に少女の顔も、期待しているようにこちらに向いた。
しかし、慌てて大きなことを言ってしまったものだから、彼にはどうすればいいか分からない。そんな様子を見せた大きな少年は、青年の方を向き、そのことを尋ねた。
「なあ、この花どこに咲いているんだ?」
努めて柔らかく、青年は答えを告げた。
「それはね、山の上の、大分遠くて高いところに咲いていたんだ。簡単に行けるような場所じゃないよ。」
「なんだ……じゃあ、だめだな。ごめんな、ターイ。」
ソーイは申し訳なさそうな目をターイに向けた。ターイも残念そうに俯いていた。
「うん、残念……。」
その瞬間、少女の期待も消えた。
「そのかわり、おじさんがこの花について、いっぱいお話聞かせてあげるよ。」
その青年の申し出に、小さな頭が横に揺れる。
「今はだめなんだ。もう少しで農耕の民と遊牧の民の発表が始まっちゃうから……」
「おいターイ!」
「あ!」
大きな少年と少女の声はほぼ同時に聞こえた。
ターイは何の事だかよく分からないように兄の顔を見ていた。少女の方は、急に慌て始めた。
「そうだった!ありがとう、ターイ!」
そう言って、少女は駆けだした。
「待って!俺も見る!!」
ターイもその後についていった。
「ちっ……。」
意地悪が失敗したソーイは、面白くなさそうに舌打ちをし、二人の後に付いて行った。
その様子を、リクノアは柔らかに微笑んで見届けた。
「俺も早く片付けて、見に行かないと……。」
そして彼は、子供たちの背中を見ながら、片付け始めた。