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アルフィアの踊り子の旅  作者: アントラナフタレン
1章  アルフィア山脈の麓の村
3/5

2 交流祭前日

 交流祭は、少女にとっては一年に一度の最高の楽しみである。

 この村には、他にも収穫祭や冬越祭などの祭りが有るのだが、この交流祭だけは格別であった。他の祭は、農耕の民の中で終わってしまうが、この祭はそうではない。元は同じ民族とはいえ、旅をする遊牧の民が持ち帰るものには、乳製品や毛織物などの毎年持ってくる物の他にも、全く見たこともない珍しい物を見せてくれることもあるのだ。

 その中でも、少女が一番楽しみにしている物。それは、彼らの土産話だ。

 秋の麦色の髪。樫の木の蜜色の瞳。服装は違えども、それぞれの民が入り乱れる中を一つの小さな金の流れが縫う。

 「リクノアおじさん!!」

 あいさつの儀が終わり、放牧の民が広場で荷の整理や小屋にそれを運んでいる中に一人の青年を見つけた少女は、白い息を吐きながら駆け寄った。

 男は少女が走ってくるのに気が付くと、荷の仕分けをしていた手を止め、立ち上がった。

 「ああ、ハルノイちゃん。元気にしてたかい?」

 少女は満面の笑みで答えた。

 「ええ、とっても!」

 「それは良かった。エクノワ兄さんとハミーユ義姉さんは?」

 「お父さんもお母さんもすごく元気だよ!おじさんも元気そうでよかった!!」

 「ああ、ハルノイちゃんを見ていたら、もっと元気が湧いてきたよ。」

 そうして簡単なあいさつを済ますと、少女はすぐにリクノアに飛びついた。

 「ねえおじさん!早く聞かせて!今回の旅のこと!!」

 すると彼は困ったような顔を見せた。

 「いいのかい?明日の楽しみが減っちゃうよ?」

 間髪入れず、少女は首を振った。

 「大丈夫!明日は他の人からもお話聞くんだから!!」

 少女のその声が響くと、こちらの様子を見ていた放牧の民たちは、一斉に笑い始めた。

 「全く、好奇心旺盛だな!」

 「全然変わんないなあハルノイちゃんは。」

 「さすがは、うちらの男をかっさらった踊り子の娘だよ!!」

 青年もそれに混じって笑い始めたので、少女は恥ずかしくなって首を縮めた。

 「いいじゃねえか、リクノア!聞かせてやんなよ!なんだったらお前が見つけた物だけなら見せてやってもいいぜ!!」

 最後の一声は他の物より一際低く野太かった。なじみ深いその声を耳に入れ、リクノアは一瞬体を強張らせた。

 「ほんとに?!」

 ハルノイは目を輝かせ、声のした方を振り向いた。

 するとそこには、ひげを生やした、たくましい体つきの中年の男が、こちらに向かってゆっくりと歩いていた。吊り上った口角とひげから少し黄ばんだ歯が見えている。

 「族長……。でも、あれは明日の露店で公開するものですよ?」

 族長と呼ばれた男は大声で笑いながら手をひらひらさせた。

 「構わんよ。ありゃあ凄いもんだ!嬢ちゃん一人に見せたからって、値が落ちるもんじゃねえさ!ほれ!」

 と、大男はリクノアたちを促した。

 「仕方ないなあ……。じゃあハルノイちゃん、こっちにおいで。」

 「はい!」

 そして少女はリクノアの後についていった。しかし、少しだけ歩くと、リクノアの服の裾を引っ張り、彼の歩みを止めた。彼女はそのまま、大男の方へ駆け寄った。

 「ありがとうございます!族長さん!!」

 大男は一旦少女が戻ってきたことに驚いたが、口を大きく開けて笑い、少女の頭をポンポンと叩いた。

 「嬢ちゃんはこの放牧の民の娘なんだ。半分はわが一族の血が混じってんだ。全然かまわんよ。」

 少女は小さく笑って、大男を見上げた。

 「ねえ、族長さん。今年こそ、私も一緒に連れてってください!!」

 真摯な少女の懇願に、大男は手を止め困り果てたような顔で、やがて少女の頭をゆっくりと撫でた。

 「……すまんね、嬢ちゃん。本当は嬢ちゃんみてえな元気な子はぜひとも家にほしいんだけどな……。あいにく、嬢ちゃんはどうしても連れて行くわけにはいかねえんだ。」

 「どうして?」

 少女の瞳は、素直に悲しみを表していた。

 大男は少女の目線に合うまで腰を落とした。

 「嬢ちゃんは絶対にこの村一番の踊り子になるからだよ。いつか大人になって、交流祭や他の儀式の時に役割を果たさなきゃならねえ。それに、嬢ちゃんを連れて行ったら、村の人困っちゃうだろ?」

 少女は息を漏らすように「うん。」と頷いた。

 「大丈夫!明日は俺からも話を聞かせてやるよ!族長直々の旅の話だ。楽しみにしておれ!!」

 それを聞くと、悲しそうにしていた少女の顔が、ぱあっと明るくなった。

 「はい!楽しみにしてます!!」

 「よし!ほれ、そこでリクノアが待っているぞ。さっさと行きなさい。」

 「はい!」

 元気よく返事をして、少女はリクノアの元へ駆け寄った。

 こちらをずっと見ていたリクノアは、少女が自分の元に到着すると、少女に合わせてゆっくりと歩きだした。

 「族長と何を話していたんだい?」

 少女はしばしどう言おうか迷い、やがて一つの疑問を投げかけた。

 「どうして踊り子は、一緒に旅ができないの?」

 それに彼は苦笑した。

 「また一緒に連れて行ってって族長に頼んだのかい?」

 「うん……。」

 少女はつまらなそうに頷いた。そして、先ほどの質問をもう一度青年にした。

 「ねえどうして?どうして踊り子は、この村にいなくちゃいけないの?」

 「それはね、踊り子は農耕の民にとって欠かせない人だからだよ。」

 青年は、族長と同じようなことを口にした。

 「でも、私とお母さんの他にも、踊り子は居るわ。」

 青年は、笑いながら首を振った。

 「いやいや、ハミーユ義姉さんみたいに、舞台初登場でエクノワ兄さんをかっさらうくらいの踊りができる人なんてそうそういないよ。ハルノイちゃんはハミーユ義姉さんの娘なんだ。きっとこの村一番の踊り子になるよ。」

 「リクノアおじさんまで……」

 少女は頬を赤くしながら口を尖らせた。すると青年は、微笑まし気に笑った

 二人はようやく、円いテントが並んでいる広場の一角に着いた。露店で出す物をしまうための物、他にも、個人の荷物や楽器用のそれも並んでいる。しかし、放牧の民が眠る用のテントはすべて畳んである。この村には長老の家の隣に大きな小屋があり、交流祭の間はそこで放牧の民は休むからである。

 リクノアは、すぐに出品物用のテントに向かった。そしてハルノイも一緒に中に入れると、テントの中で働いている中年の女性に声をかけた。

 「なあ、俺の荷物は?ちゃんとひっくり返したりしてないよな?」

 「ああ、大丈夫。まだそこに丁寧に積まれているよ。」

 彼女はそう言って隅に積まれた荷物の山を指差した。そして彼女はハルノイを見つけると、声を上げた。

 「おや、農耕の民の子じゃないか。リクノア、この子に見せるつもりなのかい?」

 農耕の民と放牧の民とでは着ている物が違うのだ。放牧の民はこの時期は毛織物を羽織っていることが多いのだが、農耕の民は、彼らと交換するそれと、麻とを組み合わせてできている服を、何枚も重ねて着ている。だから交流祭の時は、よく服装の違いで見分けるのだ。

 リクノアは、頷き、両手をひらひらさせた。

 「族長直々のお許しだ。俺のだけならぜひとも見せろ、だってさ。」

 すると女性も驚きの声を漏らしつつ、呆れたような風を混ぜながら笑った。

 「まあ、族長らしいっていうのかしらね。」

 そして彼女は自分の作業へ戻った。

 さっそくリクノアは、荷の山から自分の鞄を探し出し、それを開けた場所に置いた。その鞄は革製の 茶色い物で、少女の頭二個分ほどの大きさであった。

 少女は輝いた目で待ち遠しげにその鞄を見ていた。リクノアはそんな少女を見て、「よし。」と言って、鞄の紐を解いた。暗い鞄の中から彼が取り出したのは、ガラスでできた透明な瓶だった。

 「わあ、きれい……。」

 少女は思わず感嘆を漏らした。

 その瓶の中に入っていたのは、灰色がかかった茶色い土と、その上に伸びる緑の茎とそこから枝分かれをして広がる緑の葉、そして茎のてっぺんには、きらきらと乱反射をする透明な花びら。花びらの中には薄桃色のめしべがあり、そしてその周りには黄色い花粉を持ったおしべが瓶の振動と共に揺れていた。

 「きれいだろ。それはね、おじさんが見つけたんだ。」

 「へえ……ねえ、どうやってこれを見つけたの?」

 輝いた目で、少女は問うた。すると青年は、少女がこういうことを事前から分かっていたかのように、すらすらと説明を始めた。

 「ちょうど、秋に入ったくらいかな?散歩をしていたらたまたま、これがいっぱい咲いているのを見つけたんだ。不思議なもんでな、山の上は秋でもここくらいに寒くて花なんか咲きそうにないのに、この花は春が来た時みたいに咲いていたんだ。まるで草原が星の川に覆われたように輝いていたんだ。」

 少女は瞳を輝かせ、手を伸ばして青年から瓶を受け取った。

 ひんやりと瓶から少女の手に冴えた冷気が伝わってきた。この寒い冬の空気で感じる冷気とは違う、 新鮮な冷気であった。それに指を馴染ませ、少しずつ瓶を動かして、少女は花びらの輝きを楽しんでいた。

 少女の頭の中に、一つの景色がひらめいた。星の光を反射して、明るい夜を映した草原。そこにあるのは、この透明な花びらを持つ美しい花。少女はそこで、その花を摘んで、花冠を作っている。

 少女が手に持っている花は、そんな夢のような風景を少女に見せてくれる。そして少女の胸の中に、不思議な高揚感が募っていくのだ。

 そして少女は、ゆっくりとその花を観察し始めた。すると、その花びらがだんだんと薄い氷のように見えてきた。

 少女は青年に向かって思い切って言ってみた。

 「ねえ、リクノアおじさん。この花の名前って決まっているの?」

 すると、少女が思っていた通り、彼は首を横に振った。

 「いいや、実は名前をどうしようか、まだ考えていないんだよ。」

 「ねえ、じゃあ私が名前を付けてもいい?」

 「ああ、いいよ。」

 すると少女は青年に向かって、瓶を突きだし、にっこりと笑った。

 「じゃあこの花の名前は『氷の花』ね!」

 青年からは、透き通る花びらを通して、少女の笑顔が輝いて見えた。

 「氷の花?」

 「うん、だって花びらが水たまりの上に張った氷みたいだから!」

 そして少女は再びそれを自分の元へ引き寄せ、しばらく見とれていた。

 その間に、リクノアは鞄の中を探り、また一つ、今度は花の入った瓶よりももっと小さい、ちょうど 少女の親指ほどのそれを取り出した。

 「ハルノイちゃん、手を出して。」

 言われたとおり少女が瓶を右手に持ち直し、もう片方の手を青年に差し出した。

 青年は小瓶のふたを開け、中に入っている透明な粘性の液体を少女の手のひらの上に垂らした。

 少女はそれを不思議そうに観察した。手を少し傾けると、その液体は手のひらの上をゆっくりと滑って行く。その感覚は森林の樹木からとれる蜜のようで、それによく似た感覚の滑らかな光沢がその軌跡を示していた。少女はそれが手から落ちないように注意を払った。

 「リクノアおじさん、これなに?」

 彼は小瓶のふたを閉め、一旦それを腰に下げた小さな鞄に入れた。

 「なめてごらん。」

 もったいない気がして、少女はためらった。この透明な液体も、あの透明な花のような特別なものに見え、無意識ながらも遠慮している。

 その様子を悟ったのか、青年は更に少女を促した。

 「いいよ。もう手の上に落っこちてきたものなんだ。今更遠慮する必要なんてないよ。」

 そう言われて、少女はようやくそれを小さな舌でなめた。すぐにはその味は感じられなかったが、口の中でそれが溶け出した途端、さわやかな甘みが広がった。

 「うわあ……」

 不思議な感覚に、少女は嘆息で感想を告げた。

 そんな少女の反応に満足し、リクノアはその正体を明かした。

 「それはね、その花の蜜だよ。」

 そう言って彼は少女の右手にある瓶を指した。

 「え?この花の?!」

 「ああ。でもね、採れる量がすごく少ないんだ。だけど、すごくおいしかっただろ?」

 少女は頷いて、瓶の中の花と、蜜の感触がかすかに残っている左手を見つめていた。

 言われてみると、あの蜜がこの透明な花の物だということを、何となく理解できた。両手に有る物の雰囲気は、今も少女にそれを証明している。

 「リクノアおじさん、この花からどうやって蜜を採ったの?」

 「普通の花と同じさ。花だけを取って、花びらの根元の方から蜜が垂れるから、それを集めるんだ。」

 「へえ……。」

 少女の中に、今度は少女が『氷の花』と名付けた花に囲まれ、近くにあったそれを一つ摘んで、花びらの根元に口を当て息とともに蜜を吸う自分の姿を思い浮かべた。そうすると、口の中にまたあのさわやかな甘みが蘇ってくる。

 すると、少女の口の中で唾液が出てきた。それを飲み下した時の物足りなさから、あの蜜の甘さが恋しくなった。

 「ねえ、リクノアおじさん。この蜜、貰ってもいいかな?」

 それを聞いたとたん、得意げ話していたリクノアの様子が一変した。

 「だめだよ!この蜜は高級品なんだ。欲しいなら明日のお祭りの時に買いなよ。」

 「えー、リクノアおじさんのケチ。一個くらい、良いじゃない。」

 「だめだよ。」

 ふてくされて少女は頬を膨らませた。

 リクノアは腰の鞄から先ほどの小瓶を取り出したが、すぐにそれを元の大きな鞄に入れてしまった。一度は期待に輝いた少女の瞳は、悲しげに萎れた。

 「さ、ほら。」

 そう言って、彼は少女の方へ手を伸ばした。もちろん、少女が握っている透明な花が入った瓶を返してもらうためだ。

 少女は意地になって、それを身に引き寄せ、拒んだ。

 「この花だけでも。」

 「だめだよ。それはこの花の蜜ですよって教えるために使うんだ。それがないと客寄せにならないよ。」

 そう言いながら、彼は少女に迫った。すると少女は夢の花を絶対に放すまいと、大事に瓶を抱えたまま、彼に背を向けた。

 「いやだ!」

 この花だけでも渡したくなかった。少女が体感することのない風景を見せてくれるこの花を、手放すまいと懸命に抱きかかえる。

 リクノアは溜息を洩らし、ゆっくりと少女に歩み寄った。

 「……それじゃあ、約束。ハルノイちゃんが十五歳になって、交流祭の時に素敵な踊りを見せてくれたら、出発する前の日にこの花をあげるよ。」

 その言葉に、少女は硬直を緩めた。

 「え、今年はだめなの?」

 残念そうな瞳で、少女はリクノアを見つめた。それに対し、少し引け目を感じつつ、リクノアは口を開いた。

 「悪いけど、族長が交流祭が終わった後見せてほしいって言ってたんだ。だから今年はどうしてもあげるわけにはいかないんだ。」

 「そんな……」

 悲しそうに少女は瓶を見つめた。そんな少女に、彼は少女の肩に手を置いた。

 「でも、ハルノイちゃんは、あともう少しで十五でしょ?」

 「うん、あと六年。」

 「じゃあ、その時に。ね、約束。」

 「うん……。」

 少女はためらった後、渋々ながらも、瓶をリクノアに返した。

 リクノアはそれを受け取ると、すぐに大きな鞄の中にそれをしまった。

 テントから出た後、少女と青年は広場の元いた場所に戻った。その間、少女はずっと黙っていて、リクノアは何となく声をかけられないでいた。

 広場に着くと、遊牧の民の作業は大分終わり、広場は片付いてきている。

 「……じゃあ、ハルノイちゃん。またね。」

 「うん。」

 少女が元気なく頷くと、青年は励まそうとした。

 「何も絶対に貰えなくなったわけじゃないだろ?」

 少女は首を振った。

 「違うの。」

 そしてハルノイは、リクノアを見上げて、そして頭を下げた。

 「リクノアおじさん。困らせちゃって、ごめんなさい。」

 そして少女がゆっくりと顔を上げると、ちょうど少女の目線の高さにリクノアの顔があった。

 「ちゃんと約束は守るよ。だからハルニアちゃんも、お母さんみたいな立派な踊り子になるんだよ。」

 「うん!」

 「よし、それじゃあ俺はそろそろ作業に戻るよ。あんまり空けすぎていると、仲間に怒られるからね。」

 そう言って、彼は立ち上がり、少女の頭を撫でた。

 「じゃあ、リクノアおじさん、またね。お仕事がんばってね。」

 「ああ、リクノアちゃんも、踊りの練習頑張るんだよ。」

 そうして二人は、互いに手を振りながら別れた。


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