1 アルフィアの伝説
「……これは遠い昔、我らの先祖のお話。ある年の寒い冬の夜、アルフィア山脈を下り、この村に恐ろしい怪物が襲ってきた。」
低い老婆の声が、木造りの広い部屋の中に響き渡っている。薄暗い部屋の奥に座りながら、その老婆は静かに語り始めた。
その前には、たくさんの子供たちがいた。真剣に老婆の話を聞いている者もいれば、退屈そうに足を投げ出している子供もいる。皆年齢はまちまちだが、大きな者ほど、あくびをかく傾向にあるようだ。
しかし、老婆はそれを気にせず、淡々と語り続ける。
「……その怪物はイェヌガーと呼ばれておる。イェヌガーは毎年、冬になっては夜に現れ、村の貯蔵庫の食糧を食い荒らし、奴が運ぶ冷気が、もともと寒いアルフィアの冬を一層寒くした。」
そこで老婆はいったん言葉を止め、大きく息をした。
「……イェヌガーは夜が終わると山へ帰って行ったが、夜が明けるとまた現れる。イェヌガーが来てから、冬は寒く貧しい季節になってしまった。そして冬になると、飢えて死ぬものが多くなったものだから、村の男たちはイェヌガーを倒そうと力を合わせて戦った。じゃが、奴は強かった。皆やられてしまった。」
そしてまた大きく息を吸った。そうしたら、老婆はむせてしまって、何度も咳をした。
子供たちはざわつき始めて、何人かが老婆を助けようと腰を浮かしたが、老婆は何とか持ち直し、ゆったりと物語を続けた。
「……噂では、イェヌガーは以前、アルフィアの麓にある他の村を襲い、その村は全滅してしまったそうな……。そうなってはいかんと、村の男たちを集め、イェヌガーが寝ている間に倒そうと、夜明けにこっそりとイェヌガーの後をつけ、寝床を探そうとした。しかし冬の山の上はもっと寒い。イェヌガーは山の上ではもっと元気になるし、日が沈みだすと、奴はまた村へ引き返し始めるものだから、結局断念してしまった。」
「でも、結局そいつの寝床探し出したんだろ?」
そう言いながら、この中でも一番体が大きく、やんちゃそうな少年が立ち上がった。それにつられて、隣にいるその少年より一回り小さい少年も立ち上がった。
「イェヌガーは暑いのに弱いんだよ。だから昼間とか冬じゃない時は来ないんだよ!!」
「これ、座りなさい。」
老婆が二人を叱ったが、二人とも全くそれに動じない。
「だって俺たち、それもう何回も聞いたんだぜ。」
「俺もう六回!!」
「俺はもう八回だ。ほんと毎年聞いていちゃ飽きるぜ?」
小さい方の少年が嬉しそうに飛び跳ね、大きい方の少年は得意そうに胸を張った。
「じゃが、一回も聞いておらん子供もいるじゃろう。」
しわがれた声で老婆がそう言うと、大きな少年が自分の後ろの方を指した。
「ほら見ろよ、何人か寝ているぜ?」
少年が指差した先には、先ほど真剣に聞いていた子供も含め、その言葉通りうとうとしていた。
他の子供たちは、寝てはいないものの気怠そうにあくびをかいていたり、その様子を面白がっていたりしており、誰も少年たちが老婆の話に割り込んだことを非難しない。ただ中に一人、少年たちに呆れたような素振りを見せる者もいた。
大きな少年は、その少女のことが少し気に障ったが、とりあえず気に留めなかったようにし、得意そうな態度を崩さなかった。
「ばあちゃんの話、長いしゆっくりだし退屈なんだよ。だから、俺が代わりにしてやるよ。」
「兄ちゃんすごい!!」
そして二人は前に出て、老婆と子供たちの間に入り、子供たちの方に向き直った。
「余計なお世話だい。さっさと……」
老婆はしわだらけの顔を歪め、声を張ったが、聞く耳を持たず、大きな少年は息を大きく吸って、一言。
「起きろ!!!」
すると眠っていた者は皆驚いて跳ね起きた。起きていた者たちはうるさそうに耳をふさいでいる。
その様子を面白がって、小さな少年が笑い出した。
大きな少年は咳払いを一つし、そして老婆のまねをして語り始めた。
「こりゃあ、遠い、とぉい昔のことぉなんじゃがのぅ……」
すると小さな子供たちはゲラゲラと笑い始めた。
老婆はすっかり機嫌を損ねてしまって、押し黙っている。
「名乗り出たんだから、まじめにやったらどうなの?」
笑い声の中から、抜きんでて張りのある声が通った。
その声に、笑いはすっかり静まり、視線が声の発信源に集まった。
その言葉に少し頭に来たが、少年は再び咳払いをし、今度はまじめに語りだした。
「昔、冬になったらイェヌガーっていう怪物が、夜になったら村を襲いに来て、そいつめちゃくちゃ強いからみんな勝てなくって、んでそいつが寝ている間に倒そうとして、後ついていったけど、全然寝ようとしなかったってのが、さっきまでのばあちゃんの話。」
「ひゃー、短あい!!」
乱雑だが、少年は見事にまとめあげた。
「そして、面白いのはここからだぜ!!」
「だぜ!!」
大きな少年が興奮しながら胸を張ると、小さな少年もそれを真似して胸を張った。
「イェヌガーは寒いのが大好きなんだ。だから寒い冬に山を下りて村にやってくるんだ。それに気が付いた村人たちは、冬が終わるころに、イェヌガーがいつも昼にいる所で待ち伏せて、村を襲わなくなって山の奥に帰っていくのをついていったんだ。あ、これやったの一人な。そいつ村人に黙って一人で行ったんだ。でも、一人で行って正解だったかもな。イェヌガーはすっげえ遠い所に住んでいたんだ。そいつは秋ごろに帰ってきて、村の人たちにイェヌガーの住処を教えたんだ。そしてその冬に、いよいよイェヌガーを倒そうと、村の強い人たちを集めたんだ。」
小さな子供たちは、誰ひとり寝ないでその話に興味津々だった。相変わらず、一人の視線が気にはなるが。
「そして、その冬は耐えて耐えて、冬が終わったらその男の案内で、強い人たちは皆イェヌガーを倒しに行ったんだ。でも、やっぱりそいつは強くって、倒せなかったんだ。でも、どうにかして、イェヌガーを洞窟に封印したんだ!!そして、それから村は平和になったんだぜ!!」
「おしまい!!」
少年が話し終えると、拍手の音が上がった。
少年たちは調子に乗って大仰に礼をした。
「ねえ、にいちゃん!」
小さな少年が興奮したまま大きな少年に呼びかけた。
「なんだ?」
「強い人たちは、どうやってイェヌガーを封印したの?!」
妙な沈黙が走った。
年少の者たちは、その少年と同じように、輝いた目で大きな少年の方を見ていた。しかし、年長の者たちは、ただ一人を除いて、首をかしげていた。
それもそのはずだ。何せ老婆は一度もイェヌガーを封印した時のことを話さなかったのだから。
しかし、大きな少年はそれを素直に言うことができず、知ったかぶりをしてしまった。
「それは……でっかい竜が出てきたんだよ!!んで火を吐いて、イェヌガーを焼いたんだ!!」
「ええ?!すっごーい!!!」
小さな少年は、すっかり舞い上がってしまい、飛び跳ね始めた。観客の方からも、歓声が上がり、大きな少年はすっかりその気になってしまった。
「竜なんて出ないわよ。」
観客の中から、一人立ち上がった。それは、少年たちが老婆の話に割り込んでからずっと冷たい視線を送り続けていた少女だった。
少女は大きな少年と同い年か、それとも少し年上ぐらいであった。他の者たちと比べて、恰好が華やかであった。そのため、立ち上がると存在感が増す。
「イェヌガーは松明の火で力を弱めて、太陽の石の力で封じられたの。」
勝気そうな眼を爛々と輝かせて、少年に代わって少女が語り始めた。
「太陽の石は、私たちの村とは山を挟んで反対側の、北の村からもらった物なの。それは寒い所でも暖かくしてくれる物で、ここより寒い北の村では冬を乗り切る大切な物だったのよ。でも、北の村の民も何回かイェヌガーに襲われてて、イェヌガーを倒すって言ったら協力してくれたの。」
子供たちの間から、感心した声が上がった。
それを聞きながら、少女はだんだんと前に出た。
「……太陽の石は、太陽の光を浴びて、力を蓄えるの。でも、ずっと寒いところに置いていると、だんだんその力は無くなってしまう。だから、イェヌガーが眠っている夏の間に、太陽の石を出して力を蓄えないといけないの。だから……」
「遊牧の民ができたんだろ。」
少女が話している間に機嫌を損ねてしまった少年が、不愛想に言い放った。それに対して、少女は笑顔で返す。
「そうよ。毎年、遊牧の民は封印が解けないようにするために山の奥まで旅に出るの。そしてちょうどもうすぐ……」
「遊牧の民が帰ってくる頃!!」
小さな少年が、大きな少年の元を離れ、少女の方へ駆け寄った。大きな少年は、それを見て顔を歪め、ふいっとそっぽを向いた。
すると、後ろで老婆がカッカッカっと笑い、少年はますます不機嫌になってしまった。
少女は小さな少年の言葉を、大きく肯定した。
「そう!そしてもうすぐ行われる交流祭は、元々は労いと無事に帰ってきたことを祝うお祭りだったんだけど、だんだんと遊牧の民が、私たちのような農耕の民とは違ってきたから、違う民族として扱われるようになって、今のように交流祭になったの。だから、農耕の民と遊牧の民は、兄弟みたいなものね。」
「兄弟?!」
小さな少年は、くるっと大きな少年の方を向き、軽やかな足でそちらに向かった。そして大きな少年の腕をつかみ、嬉しそうに言った。
「にいちゃん、俺たちと遊牧の民は、兄弟なんだって!!俺たちと一緒!!」
「……そんなことぐらい知ってる!」
そして、小さな少年の手を振り払ったが、それに気を悪くする様子もなく、少年は元気に駆け回った。
すると、座っていた子供たちも何人か立ち上がり、少年と共に遊び始めてしまった。すっかり興奮しきってしまった子供たちを、年長者は止める様子を見せない。
騒がしい部屋の中で、突然、タタン、と床を踏み鳴らす音が聞こえた。皆が静まり、それに注目した。
軽やかにステップを踏み、少女が踊りだしたのだ。その様は、まるで地面を力強く照らす、夏の太陽の光のようだった。
少女が一通り踊り終わると、大きな少年以外、皆拍手をした。それに少女は礼をするが、少年の礼とは違って、すっかり身についている。
「これは、元々遊牧の民だった私の父から聞いた話です。私の物語と踊りは、お気に召しましたか?」
踊りの後の決まり文句を言うと、さらに大きな拍手が上がった。
それに少女は飾らぬ笑顔で応えた。
「ありがとう!」
そして少女は、きまりが悪そうにそっぽを向いている大きな少年に向かった。
「ねえ、ソーイ。」
そう呼ばれた大きな少年は、少女の方を向かずに応えた。
「なんだよ。」
「もう来年から、語り部のおばあさんを困らせるようなことをしないでね。」
「……分かったよ。」
それを聞いて、踊り子の少女は満面の笑みを浮かべた。