ただいま開店準備中 3
11月1日。精霊の存在、精霊使いと精霊の愛し子について言葉足らずだったのを加筆しました。
何も考えず目についたから入った店だったが、すぐに後悔した。そこは小娘が気軽に来れる店ではなかった。
大抵の店は昼間でも奥の方が薄暗くなりがちなのに、店内はずいぶん明るかった。灯火ではなく、照明灯が設置してあるのだ。
魔道具である照明灯は、決して安いものではない。たたずまいが地味だったため気がつかなかったが、ざっと見ただけでも店内に置かれているのは高価な輸入物の化粧品や、趣味のいい装身具類だ。
これでも多少の目利きには自信があるから、嫌でも判る。ここには安物は置いていない。
サロン風の店内で頼んで初めて店員が品物を出してくるような、いかにも客を選ぶ高級店でこそないけれど、そこそこいい店ではあった。
ふと目についた細工物の櫛でも、町娘がおこづかいで買うには厳しい値がついているのは間違いない。
正直なところ店を変えたかったが、このピンク頭をさらしたまま外に出たら再び注目の的になる。自業自得だがそれは嫌だったので、そのまま店内を物色することにした。
しかし早々に目的のショールだけ買って出るつもりだったのに、つい目的以外のものに目がいってしまうのは女の業だろうか。
野薔薇の意匠が見事な透かし彫りの銀の髪飾りを、思わず手に取ってしまった。
うーん、かわいい。これはちょっと欲しいかも。
しかしそこは我慢する。小さな子供じゃあるまいし、欲しいものと必要なものの判断くらい出来ます。
残念だけど手に取ってしまった髪飾りを元の場所に置き、じっくり見て回りたくなるのを堪える。
今日は連れがいるから、今度来たらゆっくり見よう。いや、多分もう来ないけれど。
その連れのイルクさんは、店にすぐ入ったあたりで居心地悪そうにしていた。男の人には関係のない店だから、やはり居心地が悪そうだ。
すみません、さっさと済ませちゃいます。でもイルクさん大きいから、他のお客さんの邪魔になりますよ。今のところ私たちしかいませんけど、もう少し横にずれた方がいいです。
そうして目的のショールだが、値段を気にしなければ選び放題なくらいに種類は多かった。さすが高級店だ。
しかし残念ながら使える額は決まっているので、こちらの予算に合わせたものだけを見せてくれるよう店員さんに頼んだ。年配の上品な美人店員さんが、チラチラと私の頭を気にしながら何点かを目の前に並べてくれる。
うん。やっぱり気になりますか、この髪。でも私は店員さんの視線に気づかない振りをしてショールに目を落とす。
すみません。人を待たせているので無視させていただきます。
「うーん」
並べられた中から好みのものを二枚選び出して、しばし迷う。どうせ買うなら好みに合って似合う物がいい。
どちらも大判で薄手の軽い毛織りのものだが、新緑の色の方は好きな色だし房飾りがついていて可愛い。
葡萄色の方は私のピンクの髪色には合わない気がするが、紫の微妙なグラデーションがとても綺麗でかなり気に入ってしまった。
迷った末、すっぽり頭を隠してしまえば髪色とは関係ないということで、葡萄色の方に決めた。ついでに髪をまとめるためのピンも選んだ。
「会計をお願いします」
私はギルドカードを取り出した。普通の店には置いていないが、高額商品を扱うような店には、大抵会計のための水晶板が置いてあるのだ。
どういう仕組みかは知らないが、水晶板が銀行の口座と直結していて、現金が手元になくとも客が自分の銀行カードかギルドカードをかざせば手軽に支払いが出来るという代物だ。
客は余計な金を持ち歩かずに済むし、店も大金を置かずに済むため防犯面でも安心。非常にありがたいアイテムだ。
ジャラジャラと硬貨を数えなくていいのは楽だし、今ショールを買うと手持ちのお金のおおかたが消えてしまうので、この店にあって助かった。
わざわざギルドまでお金を引き出しに行くのは面倒だ。
ちなみに水晶板は情報伝達のための道具だから、その中にお金が入っているわけではない。もし水晶板が盗難に遭っても、お金はなくならない。
水晶板自体、商工ギルドからの貸し出し品で賃貸料は保険も込みだから、万一紛失しても店も責任をとらなくていい。
いいなー。うちにも欲しい。
うちに来るお客さんはダンジョン目当ての人が多いだろうから、大抵はギルドカードを持っているはずだろうし、あっても無駄にはならない。
会計は手早く済むし、釣り銭はいらない。収支の計算も楽になるし、本当にいいことづくめの素敵アイテムだ。
しかし賃貸料が高い。
たしか一月で銀貨20枚、20ランの筈だ。いきなり導入するのはやっぱり無理だな。しばらくソロバンで頑張って、採算が合うようなら考えるとしよう。
私がギルドカードをその水晶板にかざして支払いを済ませると、さっきの店員さんが待ち兼ねたように話し掛けてきた。
「失礼ですがお嬢さん。その髪は本物ですか?」
「はい、もちろん」
自分で言うのもアレだが、ピンクだよ?ピンク!わざわざこんな奇天烈な色に染める人がいるのなら、是非とも会ってみたいものだ。
「とても珍しい色ですね。あの、それでお嬢さんはどちらですか?」
「私の髪の色は、守護を受けてるせいですよ。でも精霊なんて見たことありませんけど」
髪色が自然ではありえない色の場合、二通り考えられる。精霊と契約した精霊使いか、精霊に愛され守護を受けて精霊の色に染まってしまった精霊の愛し子かだ。
「精霊が見えないのに、色付きの愛し子様なんているんですか?聞いたこともないですよ」
それはそうだろう。色なしよりも色持ちの愛し子の方が圧倒的に少数なのだから。
ほとんどの愛し子は知らず知らずのうちに精霊に守られていて、鑑定してもらってびっくりってことが多いらしい。
色持ちになるには、精霊が見えて意思を通じ合わせることが条件らしいが、中には例外もあるということだ。私のように。
「全然わかりません」
それは本当。今まで精霊の気配なんて微塵も感じたことはない。
「それは不思議ですね」
彼女はしきりに首を傾げ、手元の会計に使う水晶板を気にしている。
会計用のその水晶板だが、実は本来の用途とは違う使い方も出来るのだ。
「いいですよ。見て確かめても」
目の前の人がむずむずとしているので、私は水を向けてやった。
「すみません。じゃあ、失礼します」
店員のプライドより好奇心が勝った彼女は、私の言葉に遠慮なく水晶板に手を掛けた。
そうして自分の顔まで上げようとして失敗した。水晶板が重すぎて上がらなかったのだ。
なるほど。水晶板はまな板ほどの大きさがあり厚みも相当あるため、ずいぶん重いようだ。
盗難防止の意味もあるのかもしれないが、下手に持とうとすると手首を痛めそうだ。
彼女は持ち上げるのを諦め、カウンターに水晶板を立ててそれ越しに私を見た。
精霊と契約、もしくは守護を受けている者を見分けるには、対象を水晶越しに見ればいいのだ。
精霊眼を持たない人の目には水晶越しでも精霊の姿は映らないが、精霊が愛し子に授けた祝福の光を見ることが出来る。
「見えますか」
後ろでイルクさんが何か言いたそうにしていたが、気にしない。実際に見てしまえば納得するだろうし、いちいち怒ることでもない。
「ああ…」
彼女が思わずこぼした声に苦笑した。水晶板越しに見えるものを、私も見て知っている。
精霊に愛されその祝福を受けた者は、祝福の光としか言いようのない淡い光を全身にまとわり付かせているのだ。
「本当に見えるわ。なんて綺麗」
呆然とつぶやくその人に私は声をかけた。
「ここで身仕度させてもらえますか? このままじゃ目立つので」
「ああ、かまいませんよ。いえ、お嬢さま。失礼いたしました」
店員さんは好奇心が満足したら恥ずかしくなったのか、謝ってきた。
《お嬢さん》から《お嬢さま》に呼び方が変わっていることには気付かない振りをしたが、もともと丁寧だった彼女の態度がさらに改まってしまったことで、自分が対応を誤ったことに気付いてこっそり舌打ちした。
私の気分を悪くさせなかったかと気にして、かわいい匂い袋までオマケさせてしまったのは、逆に申し訳なかった。
精霊信仰の篤いこの国で、精霊の存在を無視する者はいない。誰もが精霊に愛されることを望みこそすれ、嫌われ呪われることを望むはずもない。
気まぐれな精霊たちは人々に恵みをもたらしたと思えば、時にそれを踏みにじる。
精霊使いと愛し子は精霊の好意が目に見える形になったものなのだから、無下に扱うことは出来ないのだ。
たとえ内心では腹立たしく思っていたとしても、それを表に出して傷付けることは禁忌とされている。
実際の過去の事例はいくつか思いつくが、精霊に呪われた者の末路はたいていの場合が、悲惨極まりないものばかりなのだから。
私は特別扱いされたいわけではないので、ちょっと反省した。
「あの精霊使い様も、あんな風に光って見えるのかしらねぇ」
私がため息を吐きつつ髪をまとめていると、店員さんがつぶやいた。