はじまりの町 6
「イルクさん。よかったら手を洗って、お茶をどうぞ」
私は草むしりをしてくれている男の人−−イルクさんに声をかけた。
井戸と立ち木があるだけの中庭は、そう広くはないが先程まで見事に雑草だらけだった。それを彼がすっかり綺麗にしてくれたのだ。
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
イルクさんはポンプで水を汲み出して手を洗っていたが、いきなり頭から水を勢いよく被り、ついでとばかりにガシガシと洗い流し始めた。
汗が気になったのだろうか? 急だったので、ちょっとびっくりした。けっこう大雑把というか、思い切りのいい人みたいだ。
しかしイルクさん。もしかして拭くものを持っていないのではありませんか?
ああ、やっぱり。腰のあたりをゴソゴソして諦めた。
服で拭こうと思っているでしょう、あなた。それはやめなさい。草むしりと掃除で汚れているんだから。
大人なのに困った人だなと、すかさず私は、自分の手拭いを差し出した。
「……ああ、ありがとう」
イルクさんは少し迷って受け取り、その短く刈り込まれた赤い髪をゴシゴシと手荒にこすった。こういう時、短髪って便利だ。
この大雑把決定なお兄さんはギルドが寄越してくれた手伝いの人だ。片付けが大変だと支部長さんに訴えたら無料で貸してくれました。言ってみるものだ。
この人のおかげで片付けがおおかた終わった。
イルクさんは普段はギルドで事務をしているらしいが、上背がかなりあるうえにがっしりした体つきの人なので配送などの力仕事の方が向いているように見える。あくまでも私の勝手なイメージだが。
「こちらへどうぞ」
私はイルクさんをテーブルに誘った。イルクさんの体が大きいので、テーブルが小さく見えておかしい。
「どうぞ」
「ああ、どうも」
居心地悪そうにしているイルクさんの前にお茶を出すと、恐縮したようにカップに手を伸ばした。手が大きいのでカップも小さく見える。
「よかったら、こちらもどうぞ」
さっき買って来た甘い揚げ菓子を勧めると、イルクさんの口元がほころんだ。どうやら甘党らしい。
自分が食べたいものを選んでしまったけど、よかった。
何処にでも売っているありふれたお菓子だが、小さい頃から好きで、露店で見つけてつい買ってしまったのだ。
小麦粉の生地を一口大の棒状にして、油でカリカリに揚げて糖蜜をからめたお菓子は歯ざわりがよく、素朴な味がする。
森の熊さんみたいに大きな体の男の人が、甘いものを嬉しそうに食べている姿って案外かわいいかもしれない。
ついまじまじと見ていたら、イルクさんが赤面して俯いてしまった。すみません。不躾でした。
イルクさんも大人なのに、こんな小娘相手に照れないでくださいよう。どうも内気なようです、この人。
「おかげさまで綺麗になりました。ありがとうございました」
「いや、もともと事務手続きでのミスが原因だからね」
それはもういいです。謝罪していただいて、返金手続きも済みましたから。補償手続きはまだですけど。
イルクさんにはその補償の調査も兼ねて、来てもらっているのだ。いや、この場合は掃除のほうがオマケだろうか?
「そういえば、看板はまだ掛けないのかい?サララだと届かないだろう。よかったら俺が掛けるよ」
ああ、祖母に作ってもらったのに、看板のことをすっかり忘れていた。
「助かります。掛けてもらえますか」
私は椅子から立ち上がると、鞄の中から包みを取り出してテーブルに置いた。
包みを開くと中から一抱えくらいの大きさの、素朴な木の看板が現れる。
「これは…帽子?」
「ええ。魔女のお店だから帽子です。わかりにくいかしら」
今は誰も被らなくなって久しいけれど、魔女のトレードマークといえばとんがり帽子だ。
たいていの人は魔女と言えば、とんがり帽子とホウキを発想するようだが、とんがり帽子はともかくホウキは魔女とはまったく関係がない。
ホウキで飛ぶのは魔法使いだ。魔女にはそんな芸当はとてもじゃないが出来ない。
そもそも魔女と魔法使いは全くの別物なのに、世間では混同されているのだ。語源からして魔女と魔法使いは、全く赤の他人なのに。
魔法使いは《魔力で魔法を使う者》ということからそう呼ばれているが、魔女の語源は《魔法を使う女》ではない。
《魔法のように怪しい術を使う女》ということからきているらしいのだ。
怪しい女って御先祖さま、一体なにをしてそんな呼び名になったんだ? と思うけれど、これが事実なんだから仕方がない。
ちなみに私も魔女だけれど、魔力なんてカケラもない。当然魔法もまったく使えない。
もう一度言おう。もしも魔女に見える人間がホウキで空を飛んでいたら、それは魔女ではなく魔法使いだ。
ホウキで空を飛ぶには、魔法具である飛空ホウキを魔力で制御するしかないが、普通の人間は肝心の魔力を持たないから、扱うことが出来ない。
魔力がなくても使える日用品の魔道具ならともかく、飛空ホウキなどの魔法具は魔力を使わないと作動しないため、魔法使い限定なのだ。
しかも聞いた話では、飛空ホウキは制御が難しく、時々落っこちるらしい。
たとえ私に魔力があったとしても、そんな危ない物には乗りたくない。
どうして魔法使いは魔力があるのに、魔女に魔力がないと言い切るのかと聞かれれば、それはそういう血筋だからとしか答えようがない。
そもそも人間は魔力を持つ者が少ないのだから、仕方がないのだ。
持っていても、やはり妖精やドワーフと比べたら魔力の量は圧倒的に少ないらしい。
だから魔法使いは魔力を薄めないため、同族内や魔力の有無で結婚相手を決めるらしい。
魔法使いも魔女も、一緒なのは世襲制というところだけだ。
魔女は魔法使いと違い、結婚相手に魔力の有無を条件にはしない。だから魔力を持つ者がいない。つまりはそういうことだ。
もしかしたら探せばなかには魔力を持つ者がいるかも知れないが、多分ほとんどいないだろう。少なくとも、私は聞いたことがない。
とにかく、魔力のない魔女は、ホウキじゃ飛べない。
いや、わざわざホウキに頼らなくても《小技》が使える魔女は飛べるのだけど。
魔女と魔法使いが混同されたのは、その《小技》が使える魔女のせいなのだろうと思われる。
しかし《小技》が使える魔女なんてほんの少しだ。多くの魔女は、薬を作ったり占いをしたり産婆の仕事をしたりして生計を立てている。
そういう多くの魔女の一人であり、商いを生業としている私が言うんだから間違いない。
それから魔法使いと魔女の違いがあと一つ。
魔女と違い、魔法使いは使い魔を持たない(すべての魔女が使い魔を持つわけじゃないが)
いや、魔法使いが使い魔を持ってしまったら、魔法使いじゃなくなると言うべきだろうか。
もし魔法使いが使い魔を持つことができたなら、その魔法使いは《精霊使い》へと呼び名が変わる。
「何を扱っているかわかるならいいと思うが、これだとどうだろうな」
イルクさんは私が見せた看板に眉を寄せた。
ばーちゃんの店の看板はこれと一緒なんだけれど、やっぱり帽子の絵看板じゃ帽子屋みたいかしらね?わかりにくいかなあ。
「ギルドで看板は扱ってます?」
「少し時間はかかるけれど、用意出来るよ」
うーん。文字だけの看板を作ってもらおうかな。凝ったものでなければ、すぐ出来るだろうし。
「意匠を書きますから、お願いします」
帽子くださいなんて言われたら困るものね。ハッキリと職種がわかるようにしておこう。うん。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
私はカップに残ったお茶を飲んでしまうと、イルクさんににっこり笑いかけた。
魔法使いと魔女については、もちろん私の捏造です。
小麦粉を練って油で揚げて、糖蜜をからめたお菓子って……かりんとうだね。
ファンタジーにかりんとうは…合わないなぁ。