初めてのお客様
台所に立つと、もう一度竃の用意をし、久しぶりにビスケットを焼くことにした。
お昼ごはん用にお茶と一緒に側に置いておけば、店番中でも席を立たずに済むだろう。
「あ、バター足りないかも。ごま油使えばいいや」
朝ごはんに使ったからなあ。まあ、ごま油は一壺丸っとあるから大丈夫。
バターが足りない分、ごま油を入れて蜂蜜と練り混ぜてから、そこに黒麦の粉を少しずつ混ぜ合わせて練る。
一つの塊にまとめたら、鉄板の上に薄く平らに伸ばして、ナイフで切れ目入れてから、焼くだけ。
あら、簡単。
焼けたら、熱いうちに切れ目でパキパキと割って 。出来上がり。
ガリガリとした歯触りが楽しいビスケットに…って、
堅すぎたな。これ。
試しにまだ温かいビスケットを一つ、かじってみた。
ああ、やっぱり。いつもより堅いわ。
今でこれなら、冷めたらガリガリどころか、ガチガチになりそうかも。
うーん。やたら気持ちよくパキパキと割れると思ったんだけど、やっぱりなあ。
味は甘くて香ばしくて、美味しいんだけどなー。
練っていて固いかなと思った時に、油か水を足せばよかったんだけど、こねてるうちに生地がうまく馴染んじゃったからねえ。
「…まあ、日持ちしそうだからいいか」
《よくない! 歯が折れたら、どうするのさ》
うしろでシャルペロが文句言ってるけど、気にしなーい。
「飲み物にひたせばいいわよ」
そんなこと言っても、作り直してる時間がないもん。
まだ開店には少し早いけど、開店しまーす。
窓を開け放ち、窓辺の椅子に陣取る。
蓋つきの器に入れた堅いビスケットと飲み物は、お客様の目に触れないところに置いた。
少し肌寒く感じたので膝掛けも用意して、準備万端。あとは待つだけ。
「編み物でもしながら待つかな」
ただ座っているのも退屈なので、冬に向けて必要な蒲団のカバーを編むことにした。
小さなモチーフを何枚も接ぎ合わせて作るそれは、作るのにとても時間がかかる。
しかし一つのモチーフは手のひら程の大きさで、空き時間に編めるので、こういった時間潰しにちょうどいい。
モチーフを編みながら時々通りを見るが、通りすぎるばかりで誰も立ち止まらない。
初めて誰か立ち止まったときには、モチーフが十枚ばかり編めていた。
なんだか冬が来る前に、蒲団カバーがいくつも出来上がりそうだ。
「ずいぶん若い店主だな」
開店して初めてのお客様は、いかにも探索者という出で立ちの男性客でした。
これから探索に向かうのか腰には中型剣を下げ、革の胸当てをしています。
「いらっしゃいませ。なにがご入り用ですか?」
その人は私を見ると、びっくりしたように目を瞬かせました。
今日は普段被っているショールを外しているので、店番中は派手なピンク頭が剥き出しです。よく目立つように、今日は左右分けの三つ編みにして、前の方に垂らしてみました。
精霊の加護持ちの魔女の薬屋って、いかにも効きそうでしょう。
大丈夫。一度使ってもらえば気に入ってもらえる自信はあります。
「オススメは傷薬の軟膏と各種丸薬です。無いものは調合しますよ」
まだ目を瞬かせているお客様にニッコリと微笑み、促す。
「あー、気付け薬が欲しいんだが」
気付け薬?ありますとも。薬の入った容器を取り出すとお客様は眉をひそめた。
「塗り薬? 飲み薬はないのか」
普通に考えたら、気付け薬って、嗅ぎ薬なんだけどね。
気付け薬を常備している貴婦人方も瓶入りの水薬を使っているけど、飲みませんよ。あれは嗅ぐものです。
何故探索者たちは、嗅ぎ薬でなくて飲み薬なんだろうか。
気持ちを奮い起たせる場合なら、キツい酒でも飲めばいい。
でも意識が朦朧としていたり気絶状態の人間が、飲み薬なんて飲めないでしょう。
そんな時に無理に流し込んでも、そのまま口から垂れ流すか、飲み込んでも気管に入って、下手すれば窒息しそうで心配なんだけど。
「塗ってもいいですけど、これは嗅ぎ薬なので繰り返し使えますよ」
もちろん塗っても効きますが、これは匂いを嗅ぐだけでも十分に効果がある。
先に言った理由で、気付けの水薬は置いていない。
そもそもうちの薬は、丸薬と塗り薬が主流だ。
「塗るなら、鼻の下ですね」
蓋を開けて差し出すと、お客様は顔を近づけて、思いきりしかめた。
「うっ」
「塗る量が多いと、鼻水と涙が止まらなくなりますけど」
「…これは効くな」
「ええ。あまりの刺激に、一気に目が覚めますよ」
薬効を凝縮してありますから、これで目覚めなければ、死んでいると思います。
「水薬は飲ませにくいし、、瓶が割れたりするでしょう?」
私は水薬は好きじゃない。いや、売られている水薬を信用していない。
そもそも自分で作れるから買う気もないが、売られているものの中には、水で薬を薄められて、薬効の怪しいものがあったりする。
薄まりすぎて、効果がないくらいはまだいい。怖いのは、腐敗している場合だ。
お腹こわすぞ。
そんな怪しげなモノを口にする危険をなぜ冒す必要があるのか、誰もおかしく思わないのが不思議だ。
危険なのはダンジョンだけで充分だろうに。
「たしかに」
「飲んだらお終いの水薬と違って、長持ちしますよ。値段もそんなに変わりません」
「もらおうか」
「ありがとうございます」
またどうぞ。