開店直前
朝ごはんを食べて間もないまだ早い時間、店舗兼作業場で調合した薬の整理をしていると、控えめに店側の扉が叩かれた。
「どちら様ですか」
開店準備中のうちに用がある人なんて、配達人かイルクさんくらいだ。
扉の叩きかたでイルクさんだと分かっていたが、それでも掛け金を外す前に一応声をかけた。
「イルクだけど、ちょっといいかな」
やっぱりそうだった。でもおととい来たばかりなのに、何の用だろう。首を傾げながら迎え入れた。
「どうぞ、入ってください」
「看板が出来たから持って来たんだが…仕事中かな」
ああ、そうだった。頼んでいたのをすっかり忘れてました。
散らかった作業場を見られるのは恥ずかしいが、片付けている暇がなかったから仕方がない。
作業台に広げた調合済みの薬や、後は配合するだけの材料の容器を端にどけて、イルクさんが看板を置く場所を空けた。
「頼まれた通りだと思うけど、確認してもらえるかな」
「あ、はい」
イルクさんに言われるまま、看板を手に取った。
無垢の杉板で作られたそれは、祖母にもらった看板よりも一回り小さく軽い。
「ありがとうございます。とてもいいですよ」
はい、注文以上の出来上がりです。図案こそ私が頼んだ通りに文字を彫りこんだだけの簡素なものだが、飾り文字がしゃれている。
「もう掛けておこうか」
「お願いします」
助かる。どっちみち私じゃ手が届かない。
二人で外に出たが、早い時間のためか、まだほとんどの店は開店しておらず、通りにも人の姿はなかった。
「なかなかいいな」
長身のイルクさんは楽々と看板を吊り下げて、少し下がった位置からそれを眺めてつぶやくように言った。
「はい。あ、イルクさん。看板もかかったことだし、告知してもらったより早いですけど、開店したいんですよ。いいですか」
準備に追われてばたばたするのが嫌で、余裕をもたせて開店の日取りを決めていたら、やはり余ってしまった。
「気が早いな。わかった。あとで修正しておこう」
「何度もごめんなさい」
イルクさんには余計な仕事を増やしてしまうが、先々のことを考えたら無収入が続くのは不安なんですよ。
「いや、遅れるよりいいさ。それでいつに?」
「明日にでも。今までちょっと、のんびりしすぎました。頑張って稼がないと」
「分かった。支部長にも伝えておくよ。気にしていたからね」
そう言って私の方を見たイルクさんは、なぜか眉根を寄せた。
「さっきは気づかなかったが、顔色が悪いな」
「え、そうですか」
「やっぱり開店は、予定通りでいいんじゃないか?」
外に比べたら室内は薄暗かったから、私の顔色に気がつかなかったらしい。
イルクさんはそう言うが、一応私の体調は万全だ。睡眠の時間はとっているし、きちんと食事もしている。
ただ、寝ても眠りが浅くて、食もあまり進まないのを無理に流し込んでいるが。
でもそれは病気じゃない。
「明日のことを考えると、緊張してドキドキするから、そのせいですよ」
親の店では店番も配達もしょっちゅうしていたが、自分の店となるとやっぱり違うのだ。
ちゃんと準備してきたから大丈夫だと思うのに、情けないことに、不安で胸が息苦しくなる。
図太い質だと自分でも自覚しているけど、根っこの部分の私は、気弱なのだ。
「ちょっと落ち着かないだけです」
そう。開店してしまえば、落ち着くだろう。
「それならいいが、無理はしないようにな。明日も様子を見に来るから」
「大丈夫なんですか? そう頻繁に仕事中の持ち場を離れたら、いけないでしょう」
今日だって、こうして来ているし。
「仕事だよ。これも業務の一部だ」
「いや、支部長さんに言われて来ているわけだから、仕事になるんでしょうけど。おととい来て、今日も来て、明日もって…本業の事務の方はいいんですか?」
今まで何度も引っ張り出しておいて今さらなんだけど、仕事が溜まったりしないのかな。
「いつも事務ばかりだから、俺も気分が変わっていいしね」
イルクさんは珍しくニヤリと笑った。あら、そういう顔もするんですね。
案外この人って、生真面目なばかりじゃないのかな。
「お茶をいれますけど、飲んでいきませんか?」
「いや、このまま探索者ギルドに行ってくるよ。また寄らせてもらったときに誘ってくれ」
イルクさんをお茶に誘ったが、すぐ告知の変更を頼んで来ると断られたので、そのまま見送った。
すみません。お手数おかけします。
そのあとは中に戻って仕事の続きをしようと思ったが、玄関の汚れが気になったので、店の表を掃除することにした。
春とはいえ、この辺りは時々強い風が吹く。通りの路面は石畳で舗装されているが、それでも砂ぼこりは避けられない。
どうせ汚れるからと掃除をしないわけにもいかない。
急いで中に戻ると井戸で桶に水を汲み、雑巾を用意して、髪が邪魔にならないよう、外に出る前にショールをしっかりと被った。
そうして扉を拭き終わり、窓の鎧戸に取りかかったところで声をかけられた。
顔をあげると大柄でおとなしそうな人と中肉中背で地味な感じの探索者風の若い男性二人連れが立っていた。
「店の人? あのさ、ここって探索者ギルドの掲示板に告知してる店だよね。で、結局なんの店なの? 魔女の店って」
「魔法屋かなにか?」
魔法屋は魔力のない一般人でも使用出来る魔道具を主に扱う店だ。
残念ながら魔力がない私には、魔法具も魔道具も作れないし、値段も高額なものなので、取り扱う予定はない。
「基本は薬屋です。他に雑貨も扱ってますが」
詳細は先ほど掛けた看板をご覧ください。いや、私に聞いた方が早いわね。
やはり世間の魔女の認知度は低いようだと実感した。また魔法使いと混同されている。
「薬屋なら、世話になるかもしれないな」
「予定を早めて明日開店しますので、是非ご利用ください」
どうも地味な方のお兄さんに見覚えがある気がする。向こうもそのようで、さっきから不思議そうな顔をしていたが、急に声を張り上げた。
「ああ、値切りの子だ」
「ザリガニのお兄さんでしたか」
覚えがあるはずだ。市場のザリガニ売りのお兄さんだった。
「あのあと売れましたか」
「…持って帰って食べたよ」
だから高くしすぎだと言ったのに。
「結局そのままの値で売ってたんですね。でも、共食いしなかったなら、まだいいじゃないですか」
「まだ川の水は冷たいってのに、安売り出来るかって」
獲るのに苦労した売り手の事情なんて、買う側には関係ないですよ。
「お兄さんは気の毒だと思うけど、相場より高けりゃ誰も買いませんよ」
実際に売れ残ったわけだし。
値引きがなかったら私だって、ザリガニじゃない別の物を買いましたよ。
「ちょっと待っててくださいね」
私は二人に声をかけて店の中に入ると、お試し用の傷薬の小さな包みを二つつかんで、戻った。
「お試しにどうぞ。傷用の軟膏です」
気の毒なお兄さんに御奉仕いたしましょう。
「気前がいいな」
「…ああ、ありがとう」
差し出した包みをザリガニのお兄さんが受け取ると、柄は大きいがおとなしそうなお兄さんも、戸惑いながらも受けとってくれた。
「よかったら、次から買ってくださいね」
にっこり微笑むとザリガニのお兄さんが苦笑いした。
「ちゃっかりしてるな」
当たり前でしょう。こっちは商売なんだから。
「他の探索者さん達に宣伝していただけたら、次に来たときにオマケしちゃいますよ」
「効いたらな」
効いたら? 効くに決まっているじゃないですか。そこらの怪しげな薬売りと一緒にして欲しくないですね。
「よろしくお願いしまーす」