二人目の騎士
結局スカートを二枚と白い亜麻のブラウスを一枚選んで、女の子と世間話を少しした後、私は店を出ようと扉のノブに手をかけた。
「ありがとうございました。また来てね」
「そうするわ」
そうして軽く頭を下げる彼女に頷き、扉を開こうとしたのだが、不意に扉が勢いよく外側に開かれたため、そのまま引きずられ堪らずつんのめった。
さらに不運なことに扉を開けて入って来た人物にぶつかられ、不安定な姿勢で踏ん張りが利かなかった私は、思いきり後ろへと跳ね飛ばされてしまった。
「きゃあ」
「すまんっ」
私を跳ね飛ばした人物が、手をのばしたのが見えたが当然間に合わず、私は床にしたたか腰を打ちつけることになった。
「悪い、大丈夫か」
大丈夫じゃないですよ。返事をする余裕もないほど、打ち付けたお尻がじんじんと痛い。
「ちょっと、なにしてるんですか。大丈夫?」
「立てるか」
女の子が慌てて声をかけてきた。声の主も手を差し出してくれる。
「大丈夫、です」
全然大丈夫じゃないけど、一応答えた。だが返事はしたものの、ひどく腰を打ち付けたせいで、すぐには立てない。
あー。全然大丈夫じゃないかも。みっともないやら痛いやらで、涙が出そう。いや、もう出てるわ。
くうっ。赤ちゃん産めなくなったら、どうしてくれるのよ。
痛みを堪えてペたりと尻餅をついたままでいると、私を突き飛ばした声の主が目の前にしゃがみ込んで視線が合った。途端にげんなりとする。
……うげー。また騎士さまか。
青いマントと騎士服。間違いようもなく、昨日の騎士さまと同じ姿に身を包んだ若い騎士さまが、私の前にいた。
騎士なんて、そんなにそこいらにゴロゴロといるわけじゃないだろうに、昨日の今日でまた遭遇とは、縁があるのだろうか。腐れ縁とかが。
しかし冗談でなく、本当に嫌な出会い方ばかりだ。私の中で、騎士全般への評価がだだ下がり中ですよ。
「キース様! 扉は静かに開けて入ってくださいと何度言ったらわかってくれるんですかっ」
「すまん」
「もうっ。こんな華奢な子、キース様が跳ね飛ばしたら壊れちゃうでしょう」
いや、たしかに私は小さいけどね。そこまで柔じゃあないから。
「いえ、本当に平気ですから。あ、ありがとうございます」
なんとか最初の痛みの衝撃を乗り越えて、やっと立ち上がろうとすると騎士さまが手を貸してくれた。迷ったが、騎士さまが目で促すので仕方なく手をとった。
まあ、この人が加害者なんだから普通は当たり前の行為なんだが、騎士っていうものはもっと尊大で勿体ぶった、昨日の騎士さまのような人ばかりと思っていたので戸惑ってしまう。
差し出された騎士さまの手は、皮が分厚いうえにたこでカチカチで指も節くれだち、とても大きかった。やはり剣を扱う人の手だからなのだろう。
「痛た……」
ゆっくりと立ったのだが尾てい骨に響く。これは間違いなく痣になっているな。帰ったらすぐに薬を塗らないといけない。
全く昨日の騎士さまといい、この人といい、どうも騎士と拘わるとろくなことがない。これ以上迷惑をかけられる前に、さっさと退散しよう。
「カゴが落ちたわよ」
女の子が、転倒した時に飛ばしたカゴを拾い上げて渡してくれた。
カゴには布の覆いがついているので、中身をぶちまけることはなかったようだ。そうなっても見られて困るものなんて、入っていないけどね。
「ありがとう」
しかし私が受け取ろうとすると、何故か騎士さまが彼女からカゴを取り上げてしまった。困惑して見上げると、その人は困ったように笑った。
「怪我をしているといけない。送ろう」
「え? いいえ。ぶつけただけですから、平気です。だいぶ治まりましたし」
まだ痛いけどね。
でも素直に転んだから、足も手も痛めていないはず。現にお尻以外はどこも痛くない。試しに足と手首も動かしてみたが、別段問題はなかった。
「どこも擦り剥いたりしていませんし、大丈夫みたいです」
だからカゴを返して欲しいと催促するが、騎士さまは聞かない。
「心配しなくても不審者じゃない。キースリング=クライバーン、見ての通り騎士だ」
はい。それは見ればわかります。青いマントには騎士団の紋章の百合の図柄の襟留め。高襟の青い騎士服と革の長靴。たぶん騎士の正装なんでしょうが、たいへんお似合いです。
これで不審者はあり得ないでしょう。かかわりたくないという点では、騎士も不審者もあんまり相違はないですがね。
「不審者じゃないけど、女たらしですけどね」
ボソッと女の子がつぶやくのが聞こえた。あ、やっぱり。
「こら、ナディエラ。女たらしとはなんだ!」
女たらし=複数の女性を誘惑して弄ぶ男性のことですね。失礼ながら騎士さまは、見るからにそういう風に見えますわ。
見上げる長身の騎士さまは、今まで出会った誰よりも逞しくて、体躯はいかにも活力に満ちていた。
金茶の短髪は堅そうだけど、荒削りなのに魅力的な顔立ちに似合っていて、一見すると強面なのに、茶目っ気のある茶色の眼が親しみやすさを醸しだしていた。
うん。男前ですね。何て言うの? 野性的? でも町で見かける探索者のような粗野な感じは全くしないかな。いかにも男臭い見た目なのに、雰囲気が柔らかいのだ。
これは女性にモテるだろう。なんと言っても騎士さまだし。
「女性を尊重するのは、騎士の道だぞ」
いや、それは高貴な身分の方限定じゃないですかね? おそらくそこに、平民女性は含まれないでしょう。
「尊重と誰彼かまわず優しくするのは、違うと思いますよ。キース様の場合は、ただの女好きなんじゃないですか」
女の子がずけずけと言い放つ。いくら知り合いとはいえ、騎士さま相手に随分ないい様だ。あんたこそ何様だ。
「……ほんとにナディエラはキツイな。たしかにこの子は可愛いが、別に下心はないぞ」
「当たり前です。うちの大事なお客さんなんですから、手出しなんてとんでもないですよ。そういうのは、よそでやってください」
ナディエラという名前らしい女の子は、本当に身も蓋も無かった。いくら知り合いでも相手は騎士で、つまり士族だ。そこらを歩いている兄ちゃん相手じゃあるまいし、もう少し穏やかにものを言えないのだろうか。
ここにいるのが彼ら二人だけならともかく、今は客の私がいる。自分の物言いが客を不快にさせるかも知れないと、どうして考えないのかが不思議だが、それは、まあいい。彼女の問題だから。
「あの、騎士さま。カゴを返してください。一人で帰れますので」
やれやれ。痴話喧嘩を見せられているようで、どうにも居心地が悪かった。付き合いきれないので、続きは私が帰ってからにしてくれないかなあ。
「送ってもらいなさいよ。怪我してたら大変だわ」
本当にしつこいようだが、お尻以外はどこも痛くない。だが、もし怪我をしていたとしても、騎士さまに送ってもらうのは勘弁願いたい。
「冗談でしょう。淑女でも貴婦人でもない平民の私に騎士さまが付き添うなんて、あり得ないわ」
そう、あり得ない。そもそも平民の私と士族の騎士さまでは、身分が違う。
私が騎士さまにかしずいて、付き従うならばともかく。一緒に並んで歩くなんて、常識はずれもいいところだ。彼女は一体なにを考えて、騎士さまに送ってもらえと言うのだろうか。
晒し者は嫌ですよ。こちらに非はないのに、なにが悲しくて騎士さまと二人連れで歩かねばならないの。
彼女はこの騎士さまと親しくなりすぎて感覚がおかしくなっているのだろうか。
それともどう見ても平民にしか見えないけれど、実は彼女自身も士族身分で騎士さまと対等だから、彼女にすれば当たり前の態度を取っているとか? それにしても横柄すぎるし、誇り高い士族の女性が店員になんてなるわけないけど。
まあ彼女が常識はずれなのか、士族なのかなんてどうでもいい。とにかく私には有り難迷惑以外のなんでもないから、余計な口出しはしないで欲しい。
「騎士さま。お手を煩わせて申し訳ありませんでした。でも気にしてくださるなら、一人で帰らせてください」
これ以上迷惑をかけられるなんて冗談じゃない。彼女が騎士さまと親しくするのは自由だが、私は平民と士族の区分は守りたいので、慎んで遠慮いたします。
「わかった。だが、怪我をしていたら言ってくれ」
私の言いたいことを察してくれたらしい騎士さまは、渋々といったように頷いて、やっとカゴを渡してくれた。
「ありがとうございます」
私はにっこり笑って、騎士さまからカゴを受け取り、心の中でつぶやいた。
それこそ冗談でしょ。もう二度と会いたくないわよ。と