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くるくる  作者: こたろー
49/50

49話 さようなら


 友哉くんとの楽しい時間を過ごした後、私は部屋の掃除に精を出した。今までこびりついた汚れを落とすように、隅から隅まで綺麗に掃除をする。ちょっとの間しかここで過ごしていないのに、雑巾が黒くなるくらい汚れている。


「わちゃー、これは酷いわ」


 バケツの水で雑巾をゆすぎ、再びきつく絞って床を拭く。

 もう夜遅いので大きな掃除は出来ないけれど、それでも見違えるほど綺麗になっていくのを見て、私は満足していた。部屋の隅に積まれた荷物は、引っ越してから荷解きをしないままだ。それを見て私は、呆れたように溜息を吐く。

 こうして掃除をしながら夜を過ごしていると、部屋にチャイムが鳴り響く。一旦雑巾を置き掃除していた手を止めると、私は玄関の扉を開けた。そこにいたのは、利人さんだ。


「今、よろしいですか?」

「あ、はい。ごめんなさい、ちょっと汚れてますけど……どうぞ?」

「では、失礼します」


 今日も和服姿の利人さんは、いつもと変わらぬ笑みを浮かべながら私を訪ねてきた。テレビの前にあるローテーブルの前に正座した利人さんが、私の部屋を見て少し寂しそうな顔をする。そんな利人さんの前に、私は麦茶を差し出し、自分も床に正座をした。


「今日は、明日のことでおうかがいに参りました」

「……はい」

「やはり決意は変わりませんか?」

「すみません」


 頭を少し下げると、利人さんの溜息が聞こえた。

 彼には無理をお願いしている。でも、これがきっと一番いいのだ。面倒をかけることはわかっているけれど、きっとこれでいい。


「利人さんには、面倒なことをお願いしてしまって申し訳ないです」

「そんなこと。でも、寂しいです」


 その台詞、律に言われたかった。でも、律には何も話していない。話なんてきっと出来ないから、それなら何も言わないほうがいい。

 利人さんには、沢山助けられた。最後の最後まで面倒をかけて、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだ。もう、これ以上は彼に負担をかけることはしたくない。だから幕引きは、自分でしよう。そう決意していた。


「明日、律には手紙を残していきます」

「直接渡すのですか?」

「……いえ。ポストに投函していきます」


 直接、律の顔を見るのは怖い。きっと彼の目は、私を壊してしまう。

 お互いの想いが通じ合った時のような優しい瞳には、きっともう出会えない。彼の中で私はもう、思い出になっているかもしれない。いや、思い出にすらしてもらえないかもしれない。だから彼の言葉を聞くのが怖くて、手紙という逃げ道を自分で作った。

 結局、私は臆病なんだ。それはずっと変わらない。幼い頃から自分を偽ってきたから、今もこうして逃げてしまう。強い口調で話しきっぱりと言い切る私は、臆病な自分の上に重ねた、ただの脆い仮面だった。弱さを全部曝け出したら、きっと人が離れていくと、そう思っていた。いや、それは今でも変わらない。臆病な自分から、どうやったら抜け出せるのか考えたけど、その方法は今でも見つかっていない。


「めぐみさん。念を押しますが、本当にいいんですか?」

「利人さん……」


 彼の目は真剣だ。このままでいいのか、律と別れてそのまま話さないままでいいのか、そう訴えかける瞳は力強く、負けてしまいそう。でも、怖い。蔑むような瞳に出会うのは、怖くてたまらない。


「ごめんなさい。私は……逃げます」


 最後は上手く言えなかったかもしれない。吐き気がする自分の弱さに、どうしようもない苛立ちを感じていた。馬鹿なことをいっぱい言えたはずなのに、今はそれすらできないのだ。俯いたまま利人さんの言葉に応えると、彼はその場から立ち上がり玄関へと向かう。


「めぐみさんの気持ちが聞けたので、私はこれで」

「はい」


 玄関で草履を履き、扉に手をかけた利人さんが、もう一度振り返り私に話しかける。


「いいですか? 後悔はしてはいけません。もしも、間違ったかもしれないと思ったら、すぐに引き返してください。道は必ずしも、一つではないのです。あなたの前には、沢山の道があるはずです。くれぐれも、あなたの進むべき道が一本だと思わないでください」


 その言葉に、私は頷く事ができなかった。正直よくわからなかったから。

 利人さんは最後にこの言葉を残して、私の部屋から出て行った。パタンと静かに閉じる扉の音を聞きながら、彼の言葉を繰り返す。


「道は、一つじゃない」


 それは、すぐには理解できなかった。だって、今の私には進むべき道すらみつかっていないのに。逃げ道が一つだけ、用意されているだけだから。

 利人さんの言葉を何度も頭で繰り返しながら、その日は眠りについた。いつかその言葉の意味がわかるといいな。


 **


 翌朝、昨日のように天気も良く、お洗濯日和の快晴だ。清々しい空気を窓から入れて、部屋の換気をしながら、私は身支度をのろのろと進める。そしてローテーブルに向かって座り、一通の手紙を書いた。直前まで書けなかった手紙は、律宛のもの。今は自分の素直な気持ちを書いて、それを彼に届けたかった。ありったけの『ありがとう』を、この手紙に込めて。

 書きあがった手紙を便箋に入れ、荷物を手に立ち上がった。くるりと部屋を見回してから玄関に向かい靴を履く。そして扉を大きく開いた。降り注ぐような朝陽が、私の門出を見守ってくれているような気がする。少し目を閉じてから少しだけ息を吐き、前を真っ直ぐ見据えたまま私の足は歩き出す。隣の律の部屋の扉に備え付けられたポストに、ゆっくり手紙を投函した。少し躊躇いはあったけれど、彼に私の思いが届けばいい。そんなかすかな願いを持ち、ゆっくりと入れたのだ。

 アパートの下まで降りてから、もう一度振り返る。今も開かない彼の扉を見つめ、頭を下げた。


「ありがとう、律。そして、さようなら……」


 私はこの日、利人さんにだけ打ち明けたまま、アパートから去っていった。

ラスト1話になりました。

明日の更新で完結になります。もう少し長くなるかと思ったのですが、ちゃんと50話におさまりました。

では。最後までどうぞお付き合いくださいませ。

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