39話 笑いたきゃ、笑え
甘いキスは嵐のように降り注ぎ、ふいに目が合った途端、律のテレた顔が目の前に見えた。カッと顔を赤くして恥ずかしそうに眼鏡を直す律は、いきなり挙動不審になってしまったのだ。そんなに恥ずかしかったのかな? 遊園地ではあんなの意地悪そうにせまってきていたのに、なんだこのギャップ。初めてキスしました、みたいな初々しさが漂い、なんだか私まで恥ずかしくなる。
「なんでそんなにテレるのよ」
「や、だって」
「何?」
「……制御できなくてガツガツするなんて、俺、ますますガキっぽくね?」
律は自分の方が年下だということを気にしているのだろうか。別にそんなこと気にしなくていいのに。むしろがっついても構わない……いや、嘘嘘! 絶対にそれは言わない。
それにしても律の唇は柔らかかったなぁ。しかも何気にキス、すっごく上手だし。思い出すととろーんと締まりのない顔になり、思わずにやけてしまうのはどうにかしたほうがいいかもしれない。必死ににやけないように取り繕ってみたけれど、口元の緩さはどうにもならなかった。
「口! ほらまた。なんでアンタはヨダレを垂らすんだよ」
ヨダレ! なんで私はこうもヨダレを垂らすところを律に見られてしまうのか。ごしごしと口元を拭いながら、恥ずかしさのあまり布団の中に再び潜ってしまう。でも布団を律に捲られて目が合った時には、恥ずかしさも頂点に達してしまった。
そっと伸びる律の手が、私のおでこに触れた。「熱はうーん……少しあるな」と言いながら、布団を再び私に掛けなおす。もしかして、看病してくれたりするのかな? と、不謹慎ながらもちょっとドキドキしていた私だったけど、律のやつ、どこまで冷たいんだ。
「俺、大学あるから。大人しく寝とけよ?」
ええっ! わかるよ、大学が大事なことくらい。でも、なんかこう、もっと優しさを感じるような言葉を期待してたんだけど。律の半分は優しさではできていないことが、今判明した。
「終ったらすぐ帰ってくるから。ケーキでも買ってきてやるよ」
やっぱり前言撤回。律は優しさでできています。
「ケーキ、いちごのやつがいいな」
「……わかった。いちごな。じゃあ何かあったら利人さんに……頼んどく、わ」
なんだ? 酷く歯切れが悪いな。利人さんに頼んでくれるのはいいけれど、律は私と利人さんが二人きりになることに抵抗はないのだろうか? 榊さんのときは、あんなに怒ったのに。変な奴。
不思議さを感じながらも私の頭はまだぼーっとしていたので自然と瞼が重くなり、とろとろと眠りについてしまった。遠くで律が部屋を出て行く音だけが、聞こえた気がした。
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なんだか、すごくイイ匂いがする。くんくんと鼻を利かせながらゆっくり目を開くと、キッチンに立つ二人の男性の後姿が見えた。
誰? 一人は律。もう一人は……利人さん?
寝起きのぼーっとした頭で彼らを見つめていると、律が困惑したような表情をみせて後ろに下がっていくのが見える。利人さんは、少し意地悪そうに何かを言っているような……。よくわからないけれど、私はとりあえず起き上がることにいした。
「ああ、めぐみさん。具合はいかがですか?」
「利人さん……はい。少しいいです」
「でもまだ、顔が赤いですね。息も上がってますし」
利人さんの大きな手のひらが、頬に触れた。その手が冷たくて気持ちいいので、噛み締めるように目を瞑った。
「めぐみさん、そんな顔しちゃダメですよ……?」
「へ?」
ぱちっと目を開くと、目前に迫る利人さんの顔があった。その利人さんの後ろに律が仁王立ちして、彼の襟元を後ろからぐいっと引いていく。あっという間に、利人さんが私から遠ざかっていった。
「利人さん! ちょっと近づきすぎ」
「いいじゃないですか。私だってめぐみさんが心配なんですから」
「ダメったらダメだ」
「……律くん? 心配は無用だと言ってるじゃないですか」
そっと利人さんが律の手に、自分の手を重ねている。律がそれを振り払うように私のところまで来て、膝をついた。
「水、飲めよ」
手渡してくれた水グラス。冷たくて気持ちいいのは嬉しいけれど、律のその複雑な顔は一体何なの? なんか私より顔色悪いような気がするんだけど。
律と利人さんは、遊園地に行った日からなんとなく様子がおかしい。それを何度も追求しても、納得できる答えは返ってこなかった。男同士にしかわからない、何かがあるのかもしれないな。だから女の私にはわからないのかも……と、イマイチ納得できないオチを自分なりに出して、このまま何も訊かないことにしたのだ。気になるんだけどね!
まだ熱が微妙にあるけれど、朝から何も食べていない私はおなかが空いている。さっきからイイ匂いがするので、さらに空腹を強く感じてしまう。でも「おなか空いたな~」とは言いづらくて、グラスのお水をごくごくと飲んでいた。すると、あろうことか今まで生きてきた中で一番大きな音で、私のおなかが泣きだしてしまった。必死でおなかを押さえるものの、音はちっとも消えてくれない。合唱の如く何度も鳴り響く腹の虫は、律や利人さんの意識を私へと集中させる。
――な、なんでこんなタイミングで……!
一人のときならまだしも、律も利人さんもいるというのに。恥ずかしすぎる……!
「ぶはっ! すっげー音!」
笑いを堪えていたのか、律が物凄い勢いで吹き出した。しかも目には涙がたまっていて、両手でおなかを抱えながらヒーヒー笑っている。
「……ぷっ。あ、すみませんめぐみさん。ぷぷ……」
り、利人さんまでっ! 優しい利人さんなら「おなかが空いているんですね」くらいに流してくれると信じていたのに。利人さんにまで裏切られてしまったような気分だ。
律ほど大笑いしてはいないけど、私のおなかの音で笑っていた利人さんが小さく笑いながらもキッチンへ向かい、お鍋の中のものをお皿に移している。
「さぁ、どうぞ。たくさんありますからね」
持ってきてくれたのは、たまご粥。優しい香りとあたたかな湯気で、とても美味しそうだ。お粥が熱いので、木製のスプーンを添えてくれているのも嬉しい。そしてお粥を目の前にして、さらにもう一回。私のおなかが大きく鳴り響いた。
「……ぷっ」
「利人さん。もういいですから思い切り笑ってください」
「いえいえ、そんな。ぷっ」
目覚めは最悪。もう、好きなだけ笑うといいさ。
お粥は熱々だというのに、私は口にお粥を掻っ込んで恥ずかしさに耐えた。もう、風邪を引いたことすら忘れられそうなほどの羞恥心に襲われた目覚めだった。