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くるくる  作者: こたろー
24/50

24話 心、鎮めて


 結局モーニングを楽しむことなく、近所のコンビニでおにぎりを一つ買っただけで家に帰ってきた私は、テレビをつけて朝のワイドショーを眺めながらおにぎりを頬張っていた。少しだけ開けた窓からは、賑やかな話し声が時折聴こえてきて、一人部屋でおにぎりを頬張ることに寂しさを覚えた。

 テーブルに置いた冷たい麦茶を喉に流し込み、喉につかえていたご飯を無理矢理流し込む。ようやく流れたご飯にホッとして、静かにテーブルにグラスを置いた。


「……はぁ」


 言いようのない寂しさが、急に背中から襲い掛かってきたような気がした。

 先ほどの律の言葉が、思いがけないほど自分の胸に大きく突き刺さっているようだ。この先、彼に不倫のことを知られないように生活していくのは、それほど難しいことじゃない。でも、律の顔を見るたびに、彼にとって自分は汚らわしい存在なんだと深く思い知らされることになる。それだけが、辛い。

 部屋の中で賑やかな話し声がテレビを通じて聴こえてくるが、それすらも私の耳には届かない。ただひたすら、律の言葉を思い出しては胸が痛むだけだった。


「大丈夫、大丈夫」


 きっともう、呟くこともないだろうと思っていた言葉を呟いてみた。何度も自分に向けてきた言葉を口にしても、沈んだ心が浮上してくることはなかった。いつもなら「大丈夫」と言えば、幾度となく辛い思いを乗り越えてきたというのに。今日はうまく自分をコントロールできない。

 いつの間に、こんなに律のことを好きになってしまったのだろう。

 彼の言葉一つ一つが、自分の気分をこんなにも左右するなんて、出逢った頃は思いもしなかっただろう。じりじりと焦げるような胸を押さえながら、テーブルに額をつけて固く瞳を閉じたのだった。


 **


 今日は美波さんに頼まれた花屋の仕事の日。初めての仕事だけに、私は少しだけ緊張していた。お花屋さんなんて可憐な職場に、私は不似合いな気がする。けれど頼まれてしまった以上は、きちんとやりこなさなくては。自分の中で少し気合を入れるが、やっぱり緊張は解けることのないまま、美波さんのお店に向かった。


「おはようございます」


 遠慮がちに花屋の裏口から顔を出すと、店員さんらしき後姿が見えた。すると私の声に気がついたのか、後姿の子はこちらへと振り向く。すると、店員さんの姿を見て私は驚いて声を出せずにいた。

 あれ!? 店員さんって……男!?

 これは私の勝手な想像だが、美波さんのお店で働いているのは勝手に女の子だと思っていたのだ。だから男性が店員だということに、思わず驚いてしまい、大口を開けたまま固まってしまった。


「ああ、店長が仰っていた……臨時のアルバイトの方ですね」


 真っ黒な髪の中に少しだけ赤メッシュが入っている彼は、全体的にパンクファッションで固めており、シルバーアクセサリーが耳にも首にも手首にもしっかりつけられている。そんなナリで色鮮やかな花々に囲まれている様は、誰が何て言おうと完全に浮いている。それでも彼の指先には指輪一つ付けられていない様子を見ると、彼は花を大事にしているのだと窺えた。

 パクパクと口を動かしながら何かを言おうとするけれど、少し威圧感のある彼の出で立ちに負けてしまい、何も言えないままその場で突っ立っていた。すると彼の方が私に歩み寄り、少し控えめな声で話しかけてきた。


「えと、俺は榊毅さかきつよし。開店当初からずっとここで働かせてもらってて……その、仕事でわからないことは俺に訊いてください」


 仕事でわからないことは俺に訊いてくださいって、全てわからないんですけど! 美波さんから訊いてないのかしら?

 色々ツッコミどころはあるけれど、ひとまず榊さんが手渡してくれたお店のエプロンを身に付け、こちらから仕事の手順などを色々聞きだすことにした。黙っていたらきっと仕事にならなくて、美波さんに申し訳が立たない。

 シャッターを開け、店の前に花を並べていく。色々な花が風にそよそよと揺らぐのを見るのも、なかなか良いものだ。お日様に照らされ、花たちも嬉しそうに花弁を開いているような気がする。

 午前中はそこそこお客さんが来て、少しもたもたしてはいたがご機嫌を損ねることなく仕事を終えた。お昼に一旦休憩を貰い、近所のお弁当屋さんで一番安いお弁当とお茶を購入して一息ついた。労働の後のご飯は、とても美味しい。今朝の嫌な気分を払拭してしまえそうだ。でも、あの律の言葉は、間違いなく私の心に突き刺さったままだ。この心に刺さってしまった棘を抜くことは、私には出来ない。


 律の言葉を聞いた時、過去を後悔するのに三秒とかからなかった。もっと私が元彼を疑っていれば、もっと色々情報を集めていれば、後悔の波が次々と襲いかかる。でも、過去はもう戻らない。どんなに嘆いても、どんなに後悔しても、自分の過去を消す事ができないなんてわかっている。それでも後悔してしまうのは、真実を知られて律に嫌われるのが辛いから。女として見てもらわなくてもいいから、今のこの緩い関係を失いたくない。そう願っていたら、涙が一つ、目から箸を握り締める手の甲に零れ落ちた。

 こんなことで泣くなんて、弱すぎる。大丈夫だから。きっと大丈夫。

 「大丈夫」の呪文はもう効かないって分かっているけれど、どうしても呟かずにはいられない。張り裂けそうなこの心を、どうか鎮めて。



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