23話 隠し事、ひとつ
翌朝、なんだかいつもより目覚めよく起きられた気がする。うるさいくらいアラームが鳴り響く中でも平気で眠れる私が、アラームをセットした時間よりも早く目覚めたのだ。しかもすっきりと気持ちよく起きられた。
「なんかいいことあるかもー!」
ただ目覚めが良かっただけなのに、ついこんなことを口走ってしまう。おめでたいおつむの持ち主だなぁ、私。でも、これくらい密かに思ったっていいでしょ?
毎朝朝食を食べる習慣がない私だけど、今日は早起きしたのだ。久し振りにどこかでモーニングでも食べようかと思い、掛け布団を勢いよく上からどかした。
二十分ほどでしたくを終えた私は、最後にお気に入りのスプリングコートを羽織り、扉を開く。外の空気が春のように暖かい今日は、薄手のスプリングコートが丁度良い。
ベージュのスプリングコートに桜色のストールを巻き、ダボッとしたジーンズの裾をくるりと捲る。足首を出して、ストールとお揃いの桜色のパンプスを履いたら、気分はすっかり春色だ。
「うーん。春らしくなってきた」
大きく背伸びをし、扉を閉めて鍵をかける。そして階段を下りようとしたところで、朝日を浴びた金髪が目に入った。それは友哉くんのトレードマークの金髪だ。
目の前の柵に手を掛け、友哉くんに声をかけようとしたその時。がちゃ、という音が耳に届く。その音の方を見ると、そこには律が眠たそうに大あくびしながら部屋から出てきたのだ。
「お、はよ」
「……はよ」
律と目が合い思わず挨拶をしたものの、二人の間に微妙な空気が流れる。挨拶をしたきり、お互い何も言わずに階段を下りていった。
階段を下りると、そこには友哉くんがバイクの前でしゃがみこみ、何かをしている姿が見える。律と二人きりの空気があまりにも重すぎて、その背中に助けをつい求めてしまう。ささっと友哉くんの背中に駆け寄り、友哉くんの肩をポンと叩き「おはよ」と言った瞬間、友哉くんの異変に気がついた。振り向いた友哉くんの顔が、いつもとかなり違っていたのだ。
「どどどどーしたの!? その顔」
「あー……これ?」
友哉くんの左頬に大きな湿布が貼られていて、口元も少し切れているのか、少々色が変わって紫色になっている。
私も律も友哉くんの姿に驚きを隠せなかった。けれど友哉くんはちょっと苦い顔をしながらもケラケラと笑い、その湿布を貼った経緯を話し出した。
「実は深夜にさ、店でちょっとした喧嘩があってね。見ただけでわかったけど、あれは不倫関係なんだろうな。その不倫関係の二人のところに男の奥さんが乗り込んできてさ、それで女同士の殴り合いが始まっちゃったんだよ。それを止めようとしたら、俺の左頬に見事な拳が繰り出されたってわけ」
苦笑いをしながら経緯を説明してくれた友哉くん。彼は完全に被害者だ。そして「不倫」という二文字に、私の胸がズキッと痛んだ。もしもあのまま彼と付き合っていたら、私だって殴り合いに発展するようなことになっていたかもしれない。そう思ったら、ちゃんと彼にさようならを言えてよかったなぁと思う。しかしここで、律の言葉が私の胸に大きく、そして深く突き刺さった。
「不倫するなんて馬鹿としか言いようがないな。男も馬鹿だけど女も馬鹿だな。俺は不倫しているやつなんて、気持ち悪くて一緒にいるのも嫌だな」
吐き捨てるように律が言う。その言葉は、まるで私に向けられたようで、大きく私の胸を抉る。好きでしていたわけではないけれど、結果として私は不倫をしていたのだ。でも、律はそのことを知らない。
気持ち悪い、か。そういわれても仕方ないのかもしれない。
それから私は、ますます律と目を合わせる事ができなくなってしまったのだった。
***
友哉くんと別れ、律とも別れた。そして私はそのまま喫茶店に行こうと思っていたのをすっかり忘れて、ぼーっとしながら歩いていた。辿り着いた場所は公園。お年寄りが散歩したり、通勤通学前にジョギングしている人なんかで溢れかえった公園は、賑やかそのものだ。でも、私一人だけが、その中で浮かない顔をしている。
律が好きだと確信したところでくらった、あの言葉。気にならないわけがない。きっと私の過去を聞いたら、律は軽蔑の目を私に向けるはず。それだけは、嫌だ。絶対に律に知られたくない。この事を知られて律に拒絶されることを考えただけで、悲しくて身も心も千切れそうなほど痛い。だから私は、何としてもこの事実を隠し通す。今、そう決めた。
公園のベンチで、一人力強く拳を握り締める。この先、律に過去の不倫のことを知られないように隠し通す為、自分なりに気合を入れた。
「絶対に……知られたくない」
ぎゅっと強く拳を握り、これから先もずっと律に隠し事をしていく覚悟を決めた朝だった。
明日は更新お休みさせてもらいます。すみません。