22話 君と朝まで
怖かった気持ちを閉じ込めて大丈夫なフリをしたのに、どうして律はそれを見破れるの?
律の前で素直に泣けた自分にちょっとだけ驚きはあったけれど、抱き寄せられた胸はあたたかくて、背中に回された律の腕は優しく背を撫でてくれる。素直になるって、こんなに良い事が待ってたんだなぁ。今まで色々我慢して人に甘えてこなかった私は、なんだかちょっとだけ損をした気分だ。
そういえばさっき、律が部屋に入ってきたときに一つだけ違和感を感じたんだけど、それは何だったのかな。そんなことを考えているうちに瞼がどんどん重くなって、ついに私は意識を手放してしまった。
「おい。まさか寝てるんじゃないだろうな」
「……むぅ」
「このまま寝る気か」
「むぅ」
律が話しかけているのはわかるけれど、何を言っているのかはさっぱりわかっていなかった。だって、凄く眠いんだもん。
眠い、眠い。急激に襲われた睡魔を、一体どうすればはらうことができるのだろうか。何度も私に声をかける律の声が、心地良い子守唄に聴こえてしかたがない。でも、起きなくちゃ。このままじゃ律が眠れないから。
「むぅ~!」
「うわっ! やめ……!」
ぐりぐりと鼻を押し付け、目を覚まそうと必死な私。押し付けているのは、律の胸。一気に体重を律にかけすぎて、ベッドに腰をおろしていた律を、そのまま押し倒してしまった。
あ、なんか眠りやすいかも。
体が横になり暖かい律の体温と、とくとくと優しい心音で、私はすっかり眠りに落ちてしまった。
「……この、馬鹿女」
律が呟く言葉は聞こえなかったけれど、私の背中に回っている律の手が優しく撫でてくれている。
えへへ。あったかい。
どうやら今夜は、ぐっすり眠ってしまいそうだ。
**
ちゅんちゅんって、すずめが楽しそうに囀っているのが聴こえる。今日も快晴。窓の外はすっかり、朝の清々しい空気を纏っていた。
そんな中、一体これは何事?
思考回路が途絶えてしまうほどの光景が、目の前にある。
なんで? どうしてここに律がいるの? えっと、ここは私の部屋のはずですよね?
目覚めてから上体を起こし、すぐに気がついた。
――隣に、律が眠っていることに。
一緒に、寝たってこと? どうしてこんなことに……!?
頭を抱えて一所懸命昨日の記憶を辿ってみたけれど、一向に思い出せない。
「はっ! まさか律のやつが私を……!」
「おめでたい頭の持ち主だな、アンタは」
そぉっと隣の律を見ると、あわわ……めっちゃ不機嫌そうな顔している。
ずれた眼鏡を掛けなおし、頭を掻き毟りながら大あくび。そしてゆっくりと上体を起こす律。
ふぉぉ……寝ぼけた顔もまた、可愛らしいじゃないの。
完全に色ボケた台詞を胸に、まじまじと寝起きの律を覗き込む。うーん、眼福眼福。
「ジロジロ見るんじゃねー」
ちょっと恥ずかしそうに目を反らしながらそう言い、枕に顔を埋める様がやたら可愛い。
そうか。律は可愛い系だったのか……。
なんてアホなことを考えながらベッドから降りた私に、律が声をかける。
「もう、大丈夫なのか?」
「ん?」
「その、昨日、アンタ怖い思いしただろ? それで泣いてたから」
「あ、そういえば」
昨日の怖さなんて、もうすっかり忘れていた。
あの怖い台詞も、力強い腕に掴まれた手首のことも、すっかり忘れていたのだ。
だって、律が側にいてくれたから。だから大丈夫なんだよ。
……なんて可愛い女の子の台詞を真っ直ぐ言えたら、私と律の関係は少しずつ変化するのだろうか。いや。すんません。言えませんけどね。こっぱずかしい。
とりあえず私達はベッドから立ち上がり、お互い目も合わさず終始無言を貫いた。なぜって? なんとなく気まずいから。別に恋人でもないのに朝まで同じベッドで眠っていたら、妙な空気が流れるのは当たり前だ。特に私は律を意識しているので、恥ずかしさが倍増。変な寝顔を見られなかったのか、それがとても心配だ。
「……俺、戻るわ」
背中から聞こえてきた、小さな呟き。振り返ると律はすでに玄関で靴を履き始めていた。ドアのノブに手を掛け、扉が少しだけ開く。
あ、行っちゃう。
そう思った時、思わず彼の名前を呼び、戻ろうとする律の服の裾を掴んでしまった。これはもう、無意識で。
「何?」
「えっと、その……ごめんね?」
「別に、いーけど……」
そう言った律の顔は、ほんのり赤い。
「じゃ」
短い挨拶をして、そのまま私の部屋から出て行ってしまった。
パタン、と静かに閉められた扉。私の部屋は、あっという間に静けさを取り戻した。でも、今日はその静けさが、どことなく寂しく感じる。
私の事が苦手だと言っていたのに、どうして朝まで付き合ってくれたの? 本当に私のこと、苦手なの?
律のことばかり考えては、手を伸ばして彼を引き止めたくなる。けれど、前に苦手と言われてしまったからか、その一歩が踏み出せない。そんな臆病な自分がじれったい。
友達でもいい。だからせめて、私を「苦手」な相手というカテゴリから外して欲しい。沢山の友達の中に紛れてもいいから、もう少しだけ私を知ってほしい。
律が寝ていたベッドに身を沈め、彼の匂いをいっぱいに感じ、ぎゅっと掴まれたように切ない胸を押さえながら、瞳をゆっくり閉じたのだ。ああ、なんてほろ苦い気持ちなのか。




