18話 タン麺返せ
この街に、スポーツジムはここしかない。
私が勤めているスポーツジムは、毎日沢山の会員さんがやってくる。それこそ朝から晩まで、絶え間なくやってくるのだ。
朝から昼にかけて主婦や年配の方がやってきて、昼から夕方にかけては学生がやってくる。そして夕方から夜は仕事帰りのサラリーマンやOLさんが、汗をかきにやってくるのだ。
よく続くなぁ、などと笑顔を振りまきながら受付をし、自分なら絶対に続かないだろうと思う。
「また来たよ、めぐみちゃん。今日こそ一緒に食事しようか?」
さわやかに私の名前を呼ぶのは、ここの会員になって十年以上経つという男性だ。いつもこうして声をかけては、仕事上がったら食事にでも行こうと誘ってくる。
「また誘ってくださいね」
あくまでもお客様。不愉快な態度をとるわけにもいかない。それにしても、なんというか……積極的な男性だなぁと思ってしまう。
私ってモテるのかしら? などとは決して思わない。なぜなら彼は、すでに還暦を過ぎたおじいちゃんなのだ。
おじいちゃんがアクティブすぎる。まぁ、本気で食事に誘っているわけではなく、こうして若い女性をからかっては楽しむのが彼なりの健康法なのだという。なんだそれ。
最近は元彼からの連絡もなく、こうしてジムの会員さんや職場の人たちとも仲良くなり、それなりに楽しく暮らしている。ただ時折、妹から愚痴のような長電話がかかってくることだけが憂鬱だ。しかも律のことを、それはそれは詳しく聞いてくるのだ。あくまでも律は隣人であって、別に彼に関して詳しい情報を握っているわけではないのに。こうしてたまに探りをいれてくる妹には、もううんざりだ。そんなわけで、たまに着信があっても無視する事が増えてきてしまった。
今の私の住んでいるアパートの住所を知っているのは、家族の中でも妹だけ。何処で私が引っ越すことを知ったのかは定かではないが、引越しを決めてから妹に新しく住む場所を教えろ、とせっつかれたので仕方なく教えた。そしてこの前の突撃訪問……いやはや、あれには参った。
しかし妹もあれからさっぱり来なくなった。まぁ、私としてはそのほうがありがたいけれど。
色々考え事をしながら仕事をしていたら、いつのまにか午後一時になっていた。
「お疲れ様、もう上がっていいわよ」
「あ、じゃあお先です」
今日はめずらしく一時に仕事は終り。午後からはずっと暇だ。
こんな日はお洒落でもしてショッピングするとか、図書館にでも行って本を読むとかすればいいのに、何もする気になれないのはどうしてだろう。
更衣室で着替えながら、これからどうするかを考えていた。時間はお昼を回ったところだ。どこかで食事でもしようかと思ったとき、前に友哉くんが大学の学食に連れて行ってくれたことを思い出した。確か一般の人でも使用してもいい、と言っていた気がする。
「学食行こう!」
別に声に出して言うことでもないけれど、なんとなくその場の勢いもあって、上半身はブラしかつけていない状態で一人、更衣室で叫ぶ午後だった。
ジムを出た私は、記憶を手繰り寄せながら大学までの道のりを歩く。そして、学食に行っても、律にはどうか会いませんように! と強く心の中で願っていた。
律が嫌いなわけではないけれど、まだ不確かな自分の気持ちを決定付けてしまう気がして、会うのが怖い。でも学食の安さには抗えない。貧乏が辛い!
そんなわけで、気配を消すように学食に出没した私。
私は空気、私は空気。などと自分に暗示をかけながら、野菜タップリタン麺をお膳に乗せた。
そのままいそいそと空いた席に向かい、一人で目の前のタン麺に目を輝かせながら、胸の前で手を合わせる。
「いただきます」
一人暮らしをしているとどうしても野菜不足になりがちなので、こんな風に沢山の野菜を一気に摂れるのはありがたい。ラーメンは大好きだし、野菜は摂れるし、しかも二百五十円とリーズナブル。いやはや、学食万歳!
ラーメンを気取って食べるのは苦手。ずるずると豪快に麺をすすり、時折出てくる鼻水を拭きながら、さらにラーメンをすする。
「くーっ、うまっ」
誰にも聞こえないように、こっそり美味さを噛み締める。ラーメンもすでに半分くらい食べ終えていた。
口の中のしょっぱさを消そうとグラスに手を掛けたが、グラスの中身がすでに空っぽだ。私はそのまま席を立ち、水を追加しに行った。水をグラスめいいっぱいに注ぎ席に戻ると、私の席に白衣を着た人が座っていた。しかも、私のラーメンを食べている……!
「ちょ、ちょっと! それ、私のラーメン……」
麺をすする途中で声を掛けたため、口から麺がぶらさがっている。それをちゅるり、とすすったあと、テーブルに置いてある眼鏡をかけた白衣の人。それは、一番会いたくない男。
「律……おのれ、私のラーメンを」
「残して席を立つお前が悪い」
「水がなくなったから席を立ったの! て言うか、それ、私の食べかけ。律は知らない人の食べかけでも、普通に食べちゃうの!?」
「まさか。アンタが食べてるのが見えたから食べてるに決まってんじゃん。馬鹿?」
完全に悪いのは律のはずなのに、どうなの。この言い包められよう。
コイツが好きとか、私……絶対に、ない。一時の気の迷いだ。そうだそうだ、絶対そうだ!
わなわなと拳を震わせている間に、律はラーメンを全て平らげてしまった。せっかく安くて満腹になると言って学食に来たというのに、お腹が満たされないまま律に完食されてしまっただなんて。
眉間の皺が、深く刻まれた午後の昼下がり。