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くるくる  作者: こたろー
15/50

15話 帰りたくない



「好きなんだ、アンタが」

「……は?」

「だから、好きだって言ってるの。日本語わかるだろ?」

「わかるわよ! って、ええっ!?」


 律が私ににじり寄り、手を握りながら愛の告白をしてきた。

 眼鏡の奥にあるガラス玉の瞳が、今日もきらきらしていて、それでいて冷たくも見えた。

 そんなことより! 律が私を、好きだってー!?


「そんな馬鹿なぁぁぁ!」


 私の渾身の叫びと共に、体に鈍痛が走る。

 あれ、あれ? 目を開いても、さっきまで目の前にいた律の姿が見えない。一体どうなってるの?

 働かない頭で一所懸命考えた末、私は夢を見ていたということに気がついた。ちなみに体に走る痛みは、驚きのあまりベッドから転げ落ちたからのようだ。


「夢か……なんだ」


 ホッとしたのも束の間。

 律が私を好きだと告白する夢を見るなんて、どうかしてる。というより、夢は願望が見せるものなんて誰かに聞いた事がある気がする。


「願望!? 違う違う! そんなわけないだろう!」


 両手で頭を押さえながら、ぐわぁぁぁと一人で唸る朝。本当に一人暮らしでよかった。

 やけにリアルな夢を見て、鼓動がバクバクと早鐘を打つ。

 鎮めるように深呼吸をし、音が聴こえてしまわないように、手のひらで胸をぐっと押さえ込んだ。

 こんな夢を見たのは、昨日このベッドを占領していた律の匂いが、ベッドいっぱいに移ったからだ。律の匂いに包まれて眠りについたのが、きっと悪かったんだ。

 自分自身に言い聞かせるように、ベッドの脇で自己嫌悪に陥っていた。



「大丈夫大丈夫。こんな夢、何てことないわ」


 職場についても、今日は上の空。だから何度も自分を納得させるように、「大丈夫」と呟いた。

 でも実は、律の事が本当は好きになりかけていて、その願望が夢になって出てきたとしたら?

 いやいや。それはないって。

 あんなに私に対しての態度が酷いのに、それでも律を好きになるなんて、私はどれだけM体質なんだ。そんなことは、絶対にない。

 

 仕事が終り真っ直ぐ家に帰る途中も、今朝の夢が頭から離れずにいた。

 もう……これは重症だわ。

 一つ溜息を吐いては、立ち止まる。下を向いて歩くものの、足は一向に進む気配がない。


「どうしよう。帰りたくないな」


 アパートに着けば、すぐ隣の部屋に律がいる。あんな夢を見た後だ、なるべく律の顔は見たくない。

 ガーッと走ってびゅんっと部屋に入り鍵を掛ければ、大丈夫だろうか。でも、偶然会ってしまったら、どんな顔で律を見ればいいのかわからない。私一人で挙動不審なのも、なんとなく癪だ。

 袖をまくり腕時計をちらりと見ると、すでに仕事を終えてから一時間も経っていた。職場から家までは歩いて十分圏内にあるというのに、足が進まないためにこんなに時間が経ってしまったようだ。

 時計の針は、午後七時半を指している。


「そうだ!」


 パッと顔を上げて、私は家とは逆の方向に歩き始めた。良いことを思いついた。

 家に帰りたくないなら、いっそのこと遅くまで帰らなければいい。そう思った私は、一人でも時間を潰せる場所へ向かったのだった。


 **


 扉を開くと、そこは薄暗くてオレンジ色のやけにムードを高める明かりだけが、店内を照らしていた。カウンター席は六人が座れるようになっており、テーブル席は全部で五つだ。椅子を持ってくれば何人でも座れるよう、テーブルは全て丸テーブルを使用している。テーブルにもカウンター席にもキャンドルが灯されており、ムード満点だ。

 少しドキドキしながら扉を開いたこのお店は、以前、友哉くんとぶつかったあのお店だ。

 扉を開けたと同時に響く、ちりん、という鈴の音。風鈴とは少し違うこの音色が店の中に響き渡ると、カウンターの中にいる店員がこちらへと視線を向けた。


「いらっしゃい……って、あれ、めぐみちゃん?」


 カウンターの中のバーテンさんが、驚いた表情をして私を見つめる。


「友哉くん。早速来たよ」


 ひらひらと手を振って、友哉くんに挨拶をした。友哉くんの顔を見たら少しだけホッとして、あんなに頭の中をちらついていた律の顔が、少しだけぼやけてきた。

 コートを脱いでカウンターに座ると、あたたかいおしぼりを差し出され、冷え切った手にじんわりとぬくもりが戻る。


「嬉しいな。こうして早速来てくれるなんて」

「だって、興味があったんだもん。私、バーって初めてなんだ」

「そっかー。それじゃあ、バーとはこんなに良い所ってところを見せないとな」


 そう言いながらニカッと笑う友哉くんは、白い歯を覗かせながら手際よくカクテルの準備を始めた。


「あ、友哉くん。実は私、あまりお酒は強くないから、弱めで作って欲しいんだけど」

「うん、知ってるから大丈夫。おいしい一杯を作るからね」


 とても自然に友哉くんと会話をしていたが、ふいに友哉くんの言葉が引っかかった。

 私、お酒が弱いなんて、誰にも言った事がないのに。どうして知ってるんだろう?

 彼とお酒を呑む機会があったのは、入居した日に利人さんの家で行われた歓迎会の時のみ。あの時だって、私は顔にも出さなかったし、片付けをしたりして席を外したりもしていた。それなのに、友哉くんは気付いてしまったのだろうか。バーテンダーの目は、誤魔化せないのかな。


「はい、おまたせ」


 コースターの上に置かれたのは、薄い桃色が美しいカクテル。カクテルと一緒に出されたおつまみは、クラッカーの上にクリームチーズとスモークサーモンが乗っており、アクセントに刻んだシソの葉が添えられている。

 おつまみも美味しそうだけど、まずはこの美しいカクテルを一口、ちびりと飲んだ。


「ん、美味しい。飲みやすくていくらでも飲めちゃいそう」

「ありがとう。でも、飲みすぎちゃ駄目だよ。って、バーテンがこんなこと言ったら、商売上がったりだ」


 気さくなバーテンの友哉くんとの会話は楽しくて、時間はあっという間に流れていく。カクテルも何杯飲んだかわからない。でも不思議とほろ酔いしただけで、気分は悪くないのだ。お酒を飲んでこんなに気分が良いのは、久し振りだ。

 今日は友哉くんが一人でお店を切り盛りしていたが、本当はもう一人、バーテンさんがいるらしい。それが友哉くんと共同経営している相方だという。相方さんは凄く無口で見た目は怖いけれど、その渋さがまたいい、と女性客に評判らしい。今度、是非お会いしてみたいものだ。

 私が来店してから少しずつお客さんが増えていき、気がつけば席は全て埋まっていた。友哉くんも少しずつ忙しくなり、カウンターの中に留まる事が難しくなってきた。少しぽやっとした頭で彼の様子をみていたが、ちらりと今何時なのか気になって腕を捲る。すると、時刻はすでに、深夜一時を回っていた。


「わ、もうこんな時間!? いけない、そろそろ帰らなくちゃ」

「めぐみちゃん。もう少し待っていてくれれば一緒に帰れるよ? もう遅いし、夜道は一人じゃ危ないよ」

「大丈夫! ここから近いし」


 コートを羽織り、バッグからお財布を出してカウンターにお金を置いた。そして友哉くんに「ごちそうさま! すごく美味しかった。また来るね」と言うと、これ以上ないくらい友哉くんが嬉しそうに笑った。お日様のような彼の笑顔に見送られて、私は店から出た。

 友哉くんと帰るのも悪くはないけれど、明日も仕事だ。これ以上遅くなったら、絶対に朝、起きられない。それにこの時間なら、律には会わなくて済む筈だ。

 さすがに深夜なら、律だって眠っている筈。そう思い、私はアパートに向かって歩き出した。


 夜の道はとても静かで、でも、真冬のような寒さはもうない道は、火照った体に心地良い。

 街灯が、きちん夜道を明るく照らしてくれる。それに、ほんのりと芽吹いていた桜の花が、いつのまにがちらほらと花を開き始めていた。

 春はすぐそこ。季節もくるくると回っていく。

 くるくる回っているのは季節だけではない。私の人生も回っていく。

 ――それはとても静かに、本人すら気付かぬまま、ゆっくりゆっくりと回っているのだろう。

 

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