14話 利人さんとラブラブ……?
玄関の扉を開け、まず最初に私の部屋に入ったのは、なぜか律だった。しかも、そのまま靴を脱ぎ、私のベッドに一直線。ばふっと鈍い音を立てて、そのままベッドへ倒れこんだのだ。
「こら! 人のベッドを勝手に占領するんじゃない」
「きゃんきゃんうるせーな。今日は授業がみっしりあったから、疲れてるんだよ」
律が受ける授業がいっぱいあって疲れたという言い訳と、私のベッドで勝手に横になるのって関係なくないか?
しかし律は本当に疲れているのか、そう言ったまま静かに寝息をたて始めてしまった。
「ちょ、ちょっと律? これから利人さんの家に行くって言ったじゃない。ちょっとー」
うつぶせのまま寝息を立てる律の背中を、ゆさゆさと大きく揺さぶっても、律は一向に目覚めない。それどころか、深い深い眠りについてしまったようだ。
ベッド脇にしゃがみこみ律の寝顔を覗き込むと、そこにはいつも吊り上げている眉毛は下がっていて、あどけない子供のような寝顔を見せている。
寝顔は可愛いんだなぁ。
しげしげと見つめていたが、利人さんを待たせてはいけない。私は仕方なく、クローゼットからもう一枚掛け布団を引っ張り出し、律に掛けてから部屋を出て行った。
本当に疲れてるっぽかったし、何かあれば電話が来るか利人さんの家まで来るだろう。
そう思い、部屋のカーテンを閉め、ベッドのサイドテーブルのライトだけを点けて部屋を後にした。
部屋の鍵をかけ、利人さんの家がある三階まで昇り、彼に言われたとおり勝手に扉を開けた。
「お邪魔します」
流石に人の家の扉を勝手に開けるのは、ちょっと緊張する。でも、すぐにその緊張感もなくなる笑顔を、ひょこっと見せてくれる利人さんがいる。
「いらっしゃい。おや、律くんはどうしました?」
ダイニングテーブルにアンティークかと思われるティーセットを並べ、しかもハーブティーに合うようなクッキーなどが用意されていた。手早く用意しながら、利人さんは律が来ないことを不思議に思ったのか、笑顔からポカンと不思議そうな表情に変わった。そんな表情の利人さんも、素敵! などと言えるわけもなく、私は慌てて理由を説明した。
「なぜか、私のベッドを占領してます。いきなり倒れたと思ったら、爆睡してました」
「爆睡ですか。よほどお疲れだったのでしょう。では後ほど、彼の部屋の鍵を渡すついでに、起こしてさしあげましょう。それまでは、ぐっすり眠ればよろしいでしょう」
「ですね」
やったー! 利人さんとのラブラブティータイムの時間を、手に入れたわー!
内心ガッツポーズをしながら、私の頬は緩むばかり。
ハーブの香りが立ち上る、透き通った夕焼け色のハーブティーが、私の鼻をくすぐる。
さぁ、レッツ! ティーパーティー!
「おや、良い香りだね」
ティーカップを口につけたところで、私は奥の部屋から出てきた人物に気がついた。
そうでした! 利人さんは一人暮らしじゃなかった! ごめんなさい、おたえさん。
にこにこと目尻を下げて、ゆっくりとこちらに歩むおたえさんが、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
不思議とおたえさんがそこにいるだけで、気持ちがゆったりとリラックスし、気持ちが安らぐ。本当のおばあちゃんではないけれど、一緒にこうしてお茶を飲んでいると、本当のおばあちゃんのような気がしてくる。
元々私は、義母に馴染めずおばあちゃんの家にばかり通っていた。いつも優しい笑顔で迎えてくれるおばあちゃんの、しわしわの手が大好きだった。良いことも悪いこともおばあちゃんには包み隠さず話し、真っ直ぐ私の言葉に耳を傾けてくれた。そのおばあちゃんも、今はもう、いない。
このアパートに決めて、本当に良かったなぁと思う。おたえさんのような優しいおばあちゃんや、頼りになる利人さん。そして住人もみんな良い人だ。律は、まだ少しわからないところもあるけれど、根っからの悪い奴ではないと思う。
ハーブティーを飲みながら心落ち着く優しい時間を過ごした私は、今夜はぐっすり眠れそう。
「それじゃあ、ご馳走様でした」
「いえいえ。また来てくださいね。あ、そうだ。律くんの部屋の鍵を渡さなくては」
結局、律は利人さんの家には来なかった。もしかしたら、まだ眠っているのかもしれない。
「利人さん、私でよければ鍵、渡しておきますよ」
「え、でも」
「鍵は律がちゃんと返しに行くと思いますから。それに、どうせ私の部屋にいるだろうし」
「……では、お願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
こうして、利人さんからマスターキーを受け取り、三階から二階へと降りていった。
私の部屋の前に着くと、部屋から明かりが漏れている。確か、ベッドサイドのライトしかつけてこなかったはずなのに。もしかしたら、律が起きたのかもしれない。
部屋の鍵を開けて中に入ると、また、自分の家のようにくつろいでいる律がいた。ああ、また! お気に入りのクッションは、律の尻の下で潰されえている。しかも、勝手にキッチンを漁ったのか、コーヒーまでちゃっかり飲んでいるではないか。
「律! 人の家を勝手に漁るなー!」
「別にいーじゃん。勝手に俺を置いてくのが悪い」
おのれ……! さっきの言葉を撤回しよう。律が根っからの悪い奴ではない気がする、なんて嘘だ!
引くつく口元を押さえながら部屋に入り、律の前にマスターキーをチラつかせた。
「ほら、マスターキー。これで部屋に入れるでしょ」
「お、悪ぃ」
律が取ろうとしたところで、私はサッとマスターキーを上にあげた。
「ほらほら、お礼は? めぐみさん、ありがとーございますーって言ってごらん」
「……誰が言うか!」
律がゆらりと立ち上がり簡単に私の腕を掴みながら、鍵を奪い取る。いとも簡単に取られてしまい、あまりにもあっけなく意地悪は終ってしまった。
それもこれも、私より背の高い律が悪い。
「んじゃ、どーもー」
マスターキーを、くるくると回しながら片付けもしないで部屋から出て行った律。気が抜けた私は、そのままベッドに倒れこんだ。
いつもとは違う、私のベッド。
私の匂いをかき消すように、律の匂いが立ち込めるベッド。
それはほんの少しだけ、私の中でスパイスになる。
まわるよ、まわる。くるくる、まわる。
私の生活が、ゆっくりまわりだす。