第二話:聖エデン学園前派出所
警察本部からの転送が完了した先は、学園地区の最果て――システムの再開発計画から取り残された、コンクリートの墓場のような場所だった。
ひび割れたアスファルト、点滅を繰り返す旧式のホログラム広告。そこに、半分文字の欠けた『聖エデン学園前派出所』の看板を掲げた、小さな建物が佇んでいた。
「……こんな場所、知らなかった。ここが、私たちの拠点? システムのバグか何かじゃないの?」
ルナが呆然と呟く。最新鋭の学園や本部を見てきた彼女にとって、そこはあまりに「異質」だった。
一方、ワクは無言で周囲をスキャンしていた。
「……リソースの配分ミス。あるいは意図的な放置」
その時、派出所の奥から、およそこの楽園には似つかわしくない威圧感を放つ巨漢が姿を現した。スキンヘッドに、彫りの深い強面。なぜか、このVR世界において片足を欠損している。だが、その瞳には不思議なほど穏やかな光が宿っていた。
「……おや、お客様ですか。これは失礼。お茶の準備をしましょう」
彼こそが、この派出所の所長――ゴンドウだった。
そしてその隣には、不機嫌そうに警棒を弄ぶ生意気そうなヤンキー風の青年、ジンが立っていた。
「へっ、おやっさん。コイツらじゃないですか? 本部から連絡があった奴ら。こんな掃き溜めに何の用だよ?」
「あ、ええと……今日からお世話になります。ルナです。こっちはワク。エヴァ本部長からの特命で、調査の拠点としてここを使わせていただくことになりました。よろしくお願いします」
ルナが恐る恐る頭を下げると、ゴンドウは岩のような顔を崩して、柔和に微笑んだ。
「丁寧なご挨拶、痛み入ります。私はゴンドウ。こっちはジンの坊主です。……特命の内容は伺っておりますよ。狭いところですが、どうぞ我が家だと思って、自由に使ってください」
さっそくルナは、持参した行方不明者のリストを机に表示し、エマやワクと相談する。
「……それで、まずは行方不明になった少女たちの足取りを追いたいんだけど、彼女たちが最後に使っていた机やロッカーの調査、あとは周囲への聞き込みから始めようかな……」
ゴンドウは「ふむ」と頷く。
「結構ですね。私もお話に参加したいところですが通常業務がありますので、我々のことは気にせず、続けてください」
「ジン、仕事ですよ」
「ちっ、分かってますよ」
ゴンドウとジンは、ルナの任務には無関心な様子で、いつもの「通常業務」へと動き出した。
派出所での、あまりに無意味な勤務が始まった。
ゴンドウが向かったのは、AIがコンマミリ単位で交通量を制御する横断歩道だった。そもそもここはVRだ。横断歩道は規範意識の構築のためだけに存在するわけで、事故が起こるなんてことは絶対にない。
彼は横断歩道に立ち、誰も自分を見ていないのに、誇らしげに手旗を振って歩行者を誘導している。生徒たちは視界の邪魔にならないようゴンドウを透過設定にしており、彼は文字通り「背景」として、虚空に向かってお辞儀を繰り返していた。
一方、ジンは「遺失物管理」という名目で、埃を被った棚の記録をチェックしている。だが、エデンの遺失物はシステムが即座に持ち主の元へ転送するため、この派出所に物が届けられることなど、開所以来一度もなかった。
「……ねえエマ。これ、本当に意味あるの?」
ルナは、虚空で旗を振るゴンドウを眺めながら、溜息混じりに脳内で問いかけた。
『ルナ様。……統計学的には、意味はありません。ですが、交番や派出所は「そこに警察官がいる」という一定数のニーズが生む安心感のためだけに維持されています。実務としての必要性はありません』
「……完全に無駄でしょ、この仕事。そもそも、大人は現実世界で働かなきゃいけないルールでしょ? なんで彼らはここにいるの?」
『……説明します。エデンにおいてVR常駐が許されるのは、社会的に極めて高い地位にある者、あるいは肉体的に働けない特別な理由がある者です。……所長のゴンドウ様は、現実世界で片足を欠損されています。VR設定でその不自由さを維持している理由は不明ですが、それが常駐の理由でしょう』
「そう、なんだ……。じゃあ、あのジンって人は? 彼も何か理由が?」
『……。……分かりません』
「……AIのあなたにも分からないなんてこと、あるんだ……」
ルナは、笛を回して欠伸をするジンを見つめ、何とも言えない奇妙な感覚を覚えた。
そんな時、一人の少女が泣きながら派出所に駆け込んできた。
「……あの、助けてください! 親友にミュートされちゃったんです!」
少女の端末には、冷淡なメッセージが表示されていた。
『相手のプライバシー権に基づき、すべての通信を遮断しました』
親友と仲直りしたい。でも、システムがミュートしている以上、謝る手段すら存在しない。
「……お姉さん。私、どうしたらいいですか?」
ルナは少女の顔を見て、答えに詰まった。
「……諦めるしかないよ。エデンのシステムがそう決めたなら……。解除の申請をしても、受理されないって、習ったから」
ルナが俯きかけた時、ゴンドウが湯呑みをコト、とテーブルに置いた。
「……お嬢さん。絶対にできるとまでは言えませんが、方法はありますよ」
ゴンドウは優しく、少女にこう説いた。
「あなたは一人じゃない。あなたとその親友を繋いでいる『別の友達』や『先生』にお願いして、あなたの謝りたいという気持ちを伝えてもらいなさい」
「え……?」
ルナが驚く中、ゴンドウは笑った。
少女の瞳に、パッと光が戻る。
「……やってみます!他の友達にお願いして、手紙を届けてもらいます! ありがとうございます!」
少女が笑顔で走り去った後、ルナは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
何でこんな単純なことが分からなかったのだろう…。




